今日はクリスマス。
イエス様の生涯を知らない、あるいはクリスチャンでない人も、
イエス様のことを誰もが意識する一日です。
さて、キリスト教の牧師でありながら、
文鮮明先生を真の父として受け入れた方がおられます。
日本和協教会の中村信一牧師です。
数少ない、貴重な方の一人でしょう。。。
真のお父様を、再臨主としてどのように確信したのでしょうか。
☆
わたしは文先生をメシヤであると確信してから、
今まで一瞬たりとも疑ったことはありません。
そのことをどうして確信するに至ったかをお話しします。
わたしは五十年間、いかなる迫害があっても聖書を捨てず、
牧師として過ごしてきました。
今日も統一教会は、迫害を受けていますが、
初期はもっと激しい迫害の中にあったのです。
そのようなとき、ある週刊誌を手にしたのです。
そこには、統一教会のスキャンダルを暴露するために、
統一教会の会員が寝泊まりしているホームに、
新参者を装って進入した人の証言が掲載されていました。
その記事を見て、驚きました。
男女問題のスキャンダルを暴こうと入ったその人物は、
男女問題を一つも発見することができなかったというのです。
人間が堕落するときは、やはり男女問題です。
この男女問題を勝利したか、あるいは皆無でないにしても、
男女が同じ屋根の下に生活していながらも、
清い関係を保っていけるというこの団体に、
大変素晴らしいものを感じたのでした。
☆
ところで、わたしは牧師ですから、文先生が究極の救い主であるかどうかは、
聖書にその根拠を求めざるを得ません。
その秘密を聖書から見つけることができたとき、
それはどれほどの喜びであったでしょうか。
旧約聖書の「詩篇」第六八篇四節には、
次のように記されている箇所があります。
「神のみまへにうたへ その名をほめたゝへよ
乗て野をすぐる者のために大道をきづけ
かれの名をヤハとよぶ その前によろこびをどれ」
上記の文は、文語体ですが、口語体のある聖書の訳は、
次のようになっています。
「神にむかって歌え、そのみ名をほめうたえ。
雲に乗られる者にむかって歌声をあげよ。
その名は主、そのみ前に喜び踊れ」
同じ箇所でも、このように訳が違うのです。
わたしは学生時代、ヘブライ語を学んでいたため、
なぜこのように訳が異なるのかが、よく理解できるのです。
前述した文語体の「野をすぐる者」とは、
「荒野(路程)を勝利した者」という意味ですが、
ヘブライ語では、「雲に乗ってくる者」と同じ言葉なのです。
ですから、来臨のメシヤは、「荒野路程を勝利されるかた」
でもあられるという解釈ができるのです。
☆
人間は、自分を愛するという自己保存の本能的なものを持っています。
ですから、文先生が自ら進んで荒野四十年路程を乗り越えられたということに、
わたしは本当に感動したのです。
韓国でのキリスト教の摂理が失敗したとき、
なぜ、命を懸けて北朝鮮に行かれて、
今一度、伝道活動をしなければならなかったのでしょうか。
興南硫安工場で、死の峠を幾度も越えるような道を、
なにゆえ行かなければならなかったのでしょうか。
人間はだれでも、自ら選んで荒野路程を行く人はいません。
これらのことを研究してみるときに、
「荒野路程を勝利された文先生は、来臨のメシヤである」
ということが、はっきりと見えてきたのです。
☆
ある日、中村牧師が、早朝祈祷会を行っている最中、
『不思議な団体の青年たちが参加してきた』そうです。
それが統一教会との最初の出会いでした。
多くのクリスチャンたちが、『この団体とは関わらないほうがいい』
そのように言われていましたが、何か興味を持ったそうです。
最初の出会いは、松本ママ。
そして、講義をされたのが、桜井節子先生だったようです。
講義の終末論に感動しました。
「キリスト教の終末は、一般的に天変地異が起こることを意味しています。
ところが、「統一原理」での終末は、
“すべてのものが破壊されるのではなく、新しい秩序がそのときから始まる”
という内容でした。
それを聞いて、わたしは非常に感動したのです」
イエス様をイメージするクリスチャン、しかも牧師ともあろう方が、
真のお父様を受け入れるのは、簡単ではなかったでしょう。
2000年前もしかり、だったと思うのですが。。。
お父様のみ言
荒野路程で押し寄せる風を
避けようとして逃げれば、
荒い鳥のえさとなってしまう。
☆
イエス様がサタンを屈服させる方法として
「柔和謙遜になれ!
従順屈服せよ!
犠牲的奉仕をせよ!」
と教えてくれたのである。
「御旨の道」より
荒野路程で押し寄せる風を
避けようとして逃げれば、
荒い鳥のえさとなってしまう。
☆
イエス様がサタンを屈服させる方法として
「柔和謙遜になれ!
従順屈服せよ!
犠牲的奉仕をせよ!」
と教えてくれたのである。
「御旨の道」より
中村牧師略歴
1910年1月27日、新潟県北蒲原郡水原町に誕生。
1935年、同志社大学文学部神学科卒業。
その後、日本基督教団沼津教会、京都鴨東教会、弓町本郷教会で牧会。
終戦後、独立して超教派世田谷聖書教会を設立
(その後、日本基督和協教会に改称)
同教会主管牧師、日本超教派基督教協会会長、
彩墨創画会会長、文学博士、神学博士。
1997年11月4日、87歳で昇華(聖和)。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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