昨日の記事に出てくるマリア・ジブナさん。
自分の昔の記事を読み返してみたのですが、
改めて、感動し、胸に詰まる思いでした。
マリア・ジブナさんが夢に現れた訳ではありませんが、
もう一度、書くように言われているような気がするので、
以前の記事と重なる部分もありますが、
書き記していきたいと思います。
☆
その当時、共産圏の国に宣教に行くミッションを
ナビ(蝶)作戦と呼んでいました。
地下にもぐって不自由に活動せざるを得ない状況でしたが
いずれ、さなぎから蝶のように変化し、
自由に羽ばたく日が来ることを祈念して
名づけられたミッションでした。
チェコスロバキアの宣教活動をしていたジブナさんは、
地下活動をしながら、多くの人を伝道しました。
30名近くも伝道されたそうです。
ある日の日曜日。
いつもと同じように礼拝を捧げていました。
すると、突然、秘密警察がやってきて
ジブナさんはじめ、すべての人が
牢獄に捕らわれてしまいました。
実は、その伝道された人の中に、
スパイがいたのでした。
ジブナさんは、外国から来た宣教師だったので、
最後まで拷問を受け、獄死したのでした。
その前日に、お父様に手紙を書きました。
その手紙が、彼女の死後、当時アメリカにおられた
お父様の元に届けられ、読み上げられたといいます。
その手紙が以下の文章です。
☆
「お父様、私は一度もあなたに
お会いしたことがありません。
しかし、あなたのみ言を聞いて、
『これが私の人生の行くべき道だ』
そのように確信しました。
そして、この道を出発してまいりました。
しかし、この国は神様を認めない
共産主義の国です。
だから、私は明日、
この地上にいることはできないかも知れません。
でも私は自分が来た道を決してうらんだりしません。
あなたに対して何一つのわだかまりもありません。
だから私に対して心配しないでください。
でもお父様、
一つだけ願いがあるとすれば、
生きているときに
あなたとお会いしてみたかった」
☆
本当に胸を打つ文章です。
実際、その場に居合わせた食口たちは、
みんな、泣きに泣いたそうです。
そのとき、お父様は、じっと下を向いておられました。
そして、一言つぶやいたのです。
「先生は悪い男よね」
さらに言葉を続けられました。
「私が原理を発見していなければ、
この原理を伝えていなければ、
この姉妹はこのような目にあわなかった。
だから先生は悪い男だ」
☆
お父様のこの言葉に、お父様がどんな方なのか、
その人となりを見ることが出来るのではないでしょうか。
共産圏に行った宣教師たちは
知られたら危険な活動だったので、
誰がどの国に行ったのか、
その人が宣教に行ったことさえ
誰も知りませんでした。
知っているのは、本人とお父様と
世界宣教本部だけだったそうです。
お父様は、危険な状況で活動する宣教師たちに
どんな思いをもって
日々、過ごされていたのでしょうか。
統一教会を反対する人たちは、
お父様を極悪人と教えます。
私が拉致監禁されているときにも
教会を反対する牧師がお父様のことを
「文ちゃん」と言いながら、
ヒットラーやら共産主義の指導者たちと
お父様をオーバーラップさせていました。
「先生は悪い男よね」
このような言葉を発せられる真のお父様は
本当に、「悪い男」なのでしょうか。。。
この言葉の真意をわからない人は、
そのように見るのかも知れません。
お父様は、どれだけ食口を愛しているでしょうか。
しかし、み言を伝播させるためには、
あえて、共産圏にも宣教に行かなければなりません。
牢獄に入れたのも、獄死させたのも
当時のチェコスロバキア政府の責任ですが、
それをお父様が自分の責任としているのです。
親心から出てくる言葉としか言いようがありません。
☆
話を戻しますが、そこにいたみんなは
「お父様、そんなことはありません。」
誰もが思っていました。
しかし、言葉を発する者は一人もいませんでした。
お父様はその後に、
もう一言語られたのです。
「私が霊界に行ったら、
彼女を最初に呼んであげる」
その言葉を聞いて、
そこにいたメンバーたちの心は
本当に解放されたといいます。
自叙伝には、その後お父様の夢の中に
マリア・ジブナさんが蝶になって現れたとあります。
霊界に行き、翼をもったように自由に羽ばたいていったのでしょう。
実際、今、霊界においては、
マリア・ジブナさんは、お父様の元で
歩まれているに違いありません。
そう考えると、
今、地上にお父様がおられなかったとしても、
お父様のために歩むということが
どれほど重要なことなのかがわかるのではないでしょうか。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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