2014年12月13日

イエス様の上座に文先生?! 続・黄煥ァ先生の場合 《受難の源流》より



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「受難の源流」
昨日の黄煥ァ(ファンファンチェ)先生の証し、続編です。
表題は、「イエス様より上にいた若い青年」です。


その夜、黄煥ァ氏は梁允永女史の家に行き、十人ほどで文師の話を聞いた。
話の途中、文師は後ろに座っていた延禧大学校の女学生に

「昨日、何か霊的に受けたものはないか?」と尋ねた。

文師は彼女に見た夢を話すように勧めたが、
彼女はなぜかためらって、話し始めなかった。
その日、統一教会に来たばかりの
キリスト教の信仰を持っている黄煥ァ氏が、そこにいたからである。

彼女は、文師に質問した。

「すべてを話してもいいのでしょうか?」

「見た夢のすべてを話しなさい。何も隠すことはない」

文師にこのように言われた女学生は、昨夜見た夢について話し始めた。

夢は次のような内容であった。

「高い階段を上ると、この世では見ることのできない
ピカピカ光る玉座がありました。
そこは三段階になっていて、いちばん下は空席で、
二つ目の段にはイエス様が座っておられ、
その上を仰ぎ見ると若いかたが座っていらっしゃいました」

若いかたとは、文鮮明師のことである。

イエス・キリストを神様のように思ってきた黄煥ァ氏にとっては、
到底受け入れることのできない内容であった。
イエス様が下の玉座で、文師がその上にいたということは、
イエス様より文師のほうが偉いということを意味していたからである。

「これこそ、統一教会は邪教だ。サタン(悪魔)の集団だ!」
このように黄煥ァ氏が叫んでも不思議ではなかった。
ところが黄煥ァ氏はこのとき、

「そういうことも、ありうるかもしれない」
という思いが自然とわいてきたという。
その日の文師の話は、早朝五時まで続いた。

教会で朝食を済ませた後、黄煥ァ氏は教会を出ようとした。
すると講義をした劉孝元氏は、講義の続きを聞くように迫った。
黄煥ァ氏は学校に行かなければならないことを劉孝元氏に説明したが、
それでも同氏は講義を聞くように勧めた。

黄煥ァ氏が、「学校に行きます」と誘いをきっぱり断ると、
劉孝元氏は寂しい表情をした。
黄煥ァ氏が劉孝元氏の顔を見ると、
人間がこれほど寂しい顔つきができるのかと思うほどの表情だった。

劉孝元氏がしょんぼりした理由は、
統一教会が創立された1954年5月1日から半年あまり、
劉氏は毎日のように講義をしてきたが、
ほとんど入信する人がいなかったからである。
一度、講義を聞いても、再び聞きに来る人がいなかった。

黄煥ァ氏が講義の続きを聞かないで学校に行くのを見て、
もう二度と教会に来ないと劉孝元氏は思ったのである。

ところが、黄煥ァ氏は学校の帰り、再び教会に姿を現した。
劉孝元氏は黄煥ァ氏を見つけ、素足で走って行き、彼を迎えた。
こうして黄煥ァ氏は「統一原理」を再び学び始めた。

このころ、統一教会に来た学生たちは知性に富んだ者が多かった。
また、信ずるに値する何の基盤もなかったせいか、
教会に来て特別な夢や幻を見る人が大半だった。
大学生の黄煥ァ氏も、その例外ではなかった。
講義を聞いた三日目の夜、黄煥ァ氏は次のような不思議な夢を見ている。

黄煥ァ氏は白いガウン(礼服)を身にまとい、大きなホールに入った。
そこは天井も床も壁も真っ白である。
そこには、バンケット用の円卓がたくさん並べられ、
その上には白いテーブルカバーが掛けられていた。
また、そこにいた男女もみな白いガウンを着ていたのである。

黄煥ァ氏がホールの中央まで進んで行くと、足がひとりでに止まった。
そのとき、
「おまえたちは今、再臨のイエス・キリストとともに宴会の場に参席している」
と、空中からはっきりした声が聞こえてきた。

1954年11月、黄煥ァ氏が統一教会に通い始めたころの礼拝参加者数は、
約二十人だった。



み言を聞いたばかりであり、クリスチャンだった黄先生が、
「イエス様が下の玉座で、文師がその上にいた」
という夢の内容を受け入れるということは、
簡単なことではなかったと思います。

しかし、それを受け入れる度量というか、
素直さ、純粋さが黄先生にはあったのだと思います。

教会に導かれると不思議な夢を見る人が多いです。
うちの教会でも、いつも見たことのないような先祖が出てきたり、
また、お父様が夢に現れたりします。

一つ、証しをします。



先日、祝福を受けられた93歳のご婦人。
足も悪く、なかなか、教会に来ることも難しいので、
紹介した婦人が、訪問に行きました。
総序と創造原理の講義案を持って、
み言を伝えに行ったのです。

その日の朝、いつものように出発式をしました。
そのとき、教会長は、
「何か、夢を見られましたか?
祝福を受けて、父母様の夢を見る人がいますから」

それで、婦人が尋ねてみました。
「○○さん、何か、昨日、
夢とか見ませんでしたか?」

そうしたら、本当に夢を見ていたのです。
「見ましたよ。
何か、とても綺麗な女性の姿でしたね。
知らない人だけど、本当に素敵でした」
それで、婦人が父母様のお写真を見せました。

「この方ですか?」

「あぁ、そうだと思います!」

祝福のときにも、父母様のお写真をお見せしましたが、
実際、高齢ということもあって、忘れていたようです。

祝福を受けた方は、み言をほとんど知らなくても、
真の父母様との因縁を結んだ立場にあるのだな。
そのことを改めて思わされました。

黄先生の証しは、もう一回、続きます。。。


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