2014年12月14日

洗礼ヨハネ的人物は世界にいる?! 黄煥ァ先生、入教3日目の出来事





今回は、黄煥ァ先生が語られた証しですが、
黄先生が導かれてすぐに、ある霊能者が現れたといいます。
その証しを紹介します。


終末になると、多くの霊能者たちが出現します。
世界中で、終末に対する予言や、天からの啓示を伝えるような現象がありますが、
韓国では神様と直接会話をし、
問答をするという水準の霊能者たちが相当数いるのです。

大田(韓国の忠清南道)に一人の素晴らしい霊能者がいるという話を聞いて、
私に講義をされた初代協会長の劉孝元先生が手紙を出しました。

「あなたはとても天から愛される信仰心の厚いかたで、
天の父に何でも質問すれば回答を受けるかたですから、
統一教会とはどういうところかを神に聞いてみてください。
そしてその返事を送ってください」
と書いて送ったのです。その霊能者は権昌林といい、
当時34歳でお父様よりも年上でした。

その人はそういう手紙を受け取ったので、水行をし、心を清めて、
「統一教会とはどういうところでしょうか」
と、天に祈ってみたのです。
正しい返答をこいねがう祈りをしているとき、天から啓示が下りてきました。
「おまえは早くソウルに行け。
ノアの箱舟の戸を閉める時が迫った。
早く行かなければおまえは死ぬ」。

彼は、今まで受けたさまざまな啓示に対して、
「誰にも言うな。おまえだけが知っていなさい」
と言われるほど天から愛され、
天と直接会話を交わしていた人ですから、
「他のどの復興師や牧師、長老が救われなくても、自分だけは救われる」
と思っていたのです。
ところが、「早く行かなければ死ぬ」という啓示が下りたのですから、
大変なことだったのです。

さらに、
「今までおまえに教えたいろいろな啓示の巻紙をみな持っていって、証ししなさい」
という啓示を受けました。
「今まで誰にも言うなと言ったけれども、そのかたには証ししてもいい。
すべてをそこで証ししなさい」
というのです。

それで、その啓示の巻紙を持って訪れてきたわけです。
それは、私が原理を聞き始めて三日目ごろのことでした。
前日、劉先生が私に、
「あすは権昌林というかたが来ることになっており、
素晴らしい証があるのではないかと思います」
と言いました。
教会に来たら会えるというのです。
私は、毎日のように原理講義を受けに教会に行っていたので、
その日も学校が終わって行ってみると、
そのとおり、そのかたが来ておられました。

いろいろな啓示の巻紙を開いては、
「これはこういうときのお祈りの内容で、
こういう天からの答えでした」
「こういう啓示が下りました」と説明してくれました。
とにかくたくさん持ってきているのです。
私はそのようなお祈りもせずに来ましたが、
何十年も祈りの生活をし、神より直接啓示を受けたその人の話を
みんな聞いたのですから、証を得たわけです。
その素晴らしい啓示の内容を、劉先生のそばで共に聞くことができました。

それは土曜日のことでした。
その次の日が聖日で、三大門
(「三つの門」の意味、この教会には、門が三つあったことからこう呼ばれていた)
の小さな教会で礼拝に参加することになったのです。
権さんも私も一緒に参加しました。

私が最初に教会の礼拝に参加したころの人数は、20名くらいです。
縁側と部屋にぎっしり詰めて座っても、20名以上入れないような家でした。
正座していると、ひざが挟まれてしまい、中の人は立ち上がれないほどです。
お父様もやはり正座しておられました。

礼拝には一定した形式や順序もなく、黙祷から始まって、賛美歌を一緒に歌い、
お父様がお祈りされたあと賛美歌、聖書拝読と続き、
お祈りをして、説教がなされました。

礼拝の時間は三時間くらい続いたのですが、始めから終わりまで涙でした。
説教をされるお父様は言うまでもなく、全食口が泣き続けるのです。
表現が大げさかもしれませんが、礼拝後は床に涙がたまり、
そのままでは乾かないので、雑巾でふかなければならないほどでした。
そしてこの権昌林さんも、霊的に基準の高いかたですから、初めから涙を流していました。

礼拝が終わると、雰囲気がガラッと変わります。
それこそ天国のように、朗らかで、明るく、みんな喜びいっぱいに満ちるのです。

一方、礼拝が終わるや否や 逃げ出すように帰っていく人もいました。
迫害が非常に激しく、統一教会の礼拝に出たことが知れたら、
夫から殴られ、けられ、引きずられる、という体験を持っているからです。
それでも時間を割いて来るのです。

そうでない人たちは残って、一緒に昼食を取るのです。
少し生活の豊かな食口がもちや果物などを持ってきており、
それを分けて取りながら、楽しく食事をするのです。
何もないその当時、りんご箱を二つ置き、
その上にベニヤ板を敷いて、食卓代わりにしました。
おかずといっても、一つか二つくらいあるだけです。
そこには私のような若い学生や青年たち、そして壮年や婦人もいました。

その権昌林さんも私たちと一緒に昼食を取るように、食事を準備しました。
彼としては、「先生は素晴らしい先生だし、説教も感動したけれども、
自分は来客のようなものだし、年も上だから、
最低、先生とお膳を囲んで食べられる」、と思ったのです。
ところが、先生の前のお膳は一人用の小さなもので、
そこには御飯と汁のほかに三、四個のおかずが置かれていました。
自分より若い先生のほうにそのお膳をあげて、
自分は食口たちと一緒にお膳を囲むことになったのです。

このことに彼はつまずきました。
「何で自分にこんな待遇しかしてくれないのか」
と寂しい思いをしたのです。

本当は、あれほどの霊的基準があり、苦労の信仰生活もしたと思いますから、
それくらいは当たり前に消化できなければならないはずです。
たったその食事の件だけで、心が傷つき、ろくに食事をしないのです。

食べるふりを少しした程度で、さじを置き、
食事が終わるのを待って、立って言いました。
「素晴らしい説教で、非常に感動いたしました。
み旨を知ったからには、伝道しなければなりません。
これからみ言を伝えにまいります」
丁寧な言葉でそのようにあいさつをして出たのです。
私は本当だと思っていましたが、それっきり、帰ってきませんでした。

六か月ほどたってから、その人が半身不随になったという話を聞きました。
そしてその翌年には亡くなったのです。

お父様は、「彼は洗礼ヨハネ的使命を持っている人だ」
と言われました。
終末には洗礼ヨハネは一人ではありません。
世界には、何人もの洗礼ヨハネ的使命を担う人がいるのです。

劉協会長もそういう 一人でした。
お年もお父様より六歳上です。
教会の行事のときなども、天使長的、洗礼ヨハネ的立場で行いました。

この権さんも洗礼ヨハネ的使命を持っていたのです。
それを果たせないまま離れていったために、
半身不随になり、とうとうこの世の人ではなくなってしまったのです。
これが、初期の教会では一つの大きな衝撃的ニュースとなりました。


やはり、洗礼ヨハネのような人物は
特別な使命があると同時に、
試練もあるということだと思います。

この霊能者の方も本当に素晴らしい霊性を備え、
今まで、多くの証しを立て、精誠をつんでこられました。
ある意味、再臨の主である、
真のお父様と出会うためである、
そう言っても過言ではないと思います。

しかし、たった食事の席でもてはやされなかった
たった、その一点において、
つまづき、離れてしまったのです。

使命の大きい人ほど
最後の最後に足元をすくわれないように、
そういう警告なのだと思います。。。

洗礼ヨハネも、イエスをいったん証すことまではしましたが
その後、別の道を行きました。
そして、最期は悲惨でありました。
いったん証して、その後にひとつの試練があるのでしょう。

最後まで、メシアを証し続けるというのは、
ある意味、大変なことでありますが、素晴らしいことであると思います。
私たちは、その素晴らしい立場を
与えられていると思い、さらに感謝していきたいと思います。


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