“歴史的抱擁”の意味とは──
☆
真のお父様の姿を思い浮かべながら、
真の愛に勝利されたお父様のことを書こうと思ったら、
史吉子(サキルジャ)先生の証しを見つけました。
題目は、
「私は慕わしさのあまり悲しみの涙に濡れて生きる人である」
です。
一部、紹介します。
☆
神様の愛に完全に一体化されたお父様の生涯は、
「自分を殺そうとする怨讐を愛し抜く」、その一言に尽きるでしょう。
怨讐に対していかに愛して尽くし、感動させて、その怨讐を自ら喜んで屈伏させる、
その闘いの連続であったのです。
世間では、怨讐を殺そうとするのが普通でしょう。
しかし、それでは悪循環です。
“殺されたから自分も殺す”という、
果てしない血みどろの闘いを完全に断つ道は何かといえば、
怨讐が自ら感動して屈伏するように愛する以外にないのです。
☆
お父様はそれを、日本という国に対しても、そのまま適用されました。
お父様は学生時代、日本で抗日運動をされました。
その結果、日本の官憲からひどい拷問を受けられたのです。
けれどもお父様は、
「一瞬たりとも日本人を憎まなかった。むしろ、悔い改めの祈りを続けた」
と言われるのです。
お父様は拷問を受けられながら、次のように祈られたのでした。
「ああ神様、私がこの日本の子供たちを救わなければならないのに、
まだ親として名乗る責任を果たせないでいるばかりに、
この子供たちは、私が親であることを知らないでいるのです。
ですから、こうして私を苦しめているのです。
どうぞ、この日本の子供たちを許してください」
それはちょうど、十字架にかかられたイエス様が、
自分を殺そうとする者のために許しを請うていかれた、その姿と全く同じです。
ですから今、原理のみ言を聞くために、
日本で多くの人がたやすく統一教会に入ってくるのは、
お父様があの時に、そのような深い許しの心情の基盤を
この日本において築いていかれたからなのです。
もしあの時に、“この日本人め”と恨む心や憎しみを残していかれたならば、
絶対に皆さんは、その憎しみの壁にぶつかって、
このみ旨の道に入ってくることはできなかったのです。
☆
このように、お父様の心情の世界は神様と一体化されているので、
絶対にだれをも憎むことができないのです。
もし憎んだりされると、胸が苦しくてたまらなくなるそうです。
ですから、憎らしい怨讐に対しても
“いかにしてより深く愛してあげようか、尽くしてあげようか”と、
そのことばかりに心を砕かれるというのが、真のお父様なのです。
そこにゴルバチョフ・ソ連大統領(当時)も屈伏し、金日成主席も屈伏したのです。
お父様が金日成主席に会われたとき、お父様には
“この殺人魔。韓国を血畑に荒らしたこの者め”という感情もあったそうです。
けれども、金日成がもう一度、暴力でもって戦争を起こしたならば、
世界は大変なことになってしまいます。
そこでお父様は、金日成を親の立場で愛していかれたのです。
お父様はそのことを後に、
「金日成をいかに愛するか、という最後の祈りをハワイでやった」
と言われました。
そのように祈っていると、“全世界の者が『金日成を殺せー。殺人魔だー』と言っても、
もし、金日成を生んだ親がそこにいたならば、その気持ちはどうだろう。
『私の息子が自分の目の前で死ぬのは見たくない。
どういう方法を使っても、法律を変えてでも、
息子を殺さないで生かして、もう一度良い子に戻したい』
という心を持つのではないか。
それが親である”という思いが、心情に響いてきたというのです。
それでお父様は、金日成に対して、親として愛する心を準備してから北韓に向かわれ、
その結果、あのような歴史的な“抱擁”の場面となったのです。
そしてそのことを、金日成本人が敏感に感じ取ったというのです。
その証拠に、彼は死ぬまで、息子である金正日書記に、
「私は世界中の偉い人に会ったが、文先生に会ってからは文先生が恋しくてたまらない。
どうしてだろう。
会いたいなあ、会いたいなあ」
と言っていたというのです。
☆
このように、お父様の深い愛、神様から来た愛があるので、
全世界の者が皆、お父様に向かわざるを得ないし、
お父様に従ってこざるを得ないのです。
そのような愛の基準を持たれたかたが、真のお父様であられるのです。
お父様は人類の親ですから、あの子もこの子も、
五色の人種が等しく地獄の苦しみからはい上がって、
楽しく神様の子供として暮らすことができるように、
帰ってきてほしいと願っておられます。
そのような真の愛を持たれた真の父母であられるからこそ、
子供を良い子にするために、いろいろな指導をされたり、
私たちをしかっておられるのに、世間の人たちは、そのことが分からないのです。
☆
教会を批判する人たちは、
お父様と金日成主席の出会いに対しても、
「パフォーマンスだ」とか、
「利益を考えて、会ったのだ」とか、
いろいろ言われる人がいます。
しかし、お父様にとって、金日成は、恩讐でした。
そんな恩讐に対しても、ハワイでの祈りを通して、
「親の立場」をもって、接していったのです。
真の愛の精神を貫かれた真のお父様。
イエス様と全く同じ試練を乗り越えていかれました。
お父様もイエス様も、
生きて働かれている神様が、
同じような思いを乗り越えていかれたからこそ、
「恩讐を愛する」道を行かれたのだと思います。
そんなお父様を「真のお父様」
そう呼べることに感謝をしつつ、
真の愛に貫く歩みをしていきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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