2014年12月24日

個性を輝かせるための5つの「実感」?! 《多田講師の家庭力UP↑講座》



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久しぶりに「家庭力アップ講座」を紹介します。

愛が子供に届く三段階。
今回は、「愛することで『個性真理体』を確立する」です。


「個性真理体」は、自分の存在を肯定する感覚を育てます。
子どもの心が、安定して、何事にも前向きになるのです。

個性真理体とは、「個性」と「真理体」の二つの言葉からできています。

まず「個性」というのは、神様と私たちは、親子ですから、
親なる神様は、子供に、世界にたった一つの特別な個性を与えてくださり、
その個性を愛してくださっているわけです。
ですから、「個性」というのは、
私たちの他のどこにもない「独特性」のことです。

また、「真理体」というのは、神様が私たちに与えてくださった、
誰でもが持つ、普遍的に共通するものです。
人間には、目があり、口があり、鼻が、誰にでも同じように顔についています。
すなわち、「真理体」というわけです。

しかし、目や口や鼻の大きさや形や太さなど、同じ人はいません。
これが「個性」ということになります。

私たちは、一人ひとりが、「個性真理体」として神様が愛で育み、
認めていただいている尊い大切な神様の子女です。
また、神様は家族というものも同じように
愛と真理で育んでくださっているわけです。


子供が、「個性真理体」として認められるためには、
家庭の中で、以下の5つの内容についての、感覚をもち、
いかに実感するかが大切になります。

第一に、自分はここにいるべき存在だ。
第二に、周りの家族は、自分の存在を喜んでいてくれる。
第三に、自分の存在が家族に幸福をもたらしている。
第四に、私は自分が好きだ。
第五に、自分を愛してくれる人がいる。


子供がこのような内容を実感してこそ、「個性真理体」として
家庭の中に存在できるようになるのです。


しかし、現実は様々な環境の中で、また最も大切な親子の絆が薄くなることによって、
多くに子女たちは、心が正常に、つまり素直に働かなくなってしまい、
素直さが乏しくなっているのです。

それによって、子供の口から、「めんどくさい」とか、「疲れる」とか、
「自分が好きになれない」とか、「忘れた」とか、
「苦労したくない」という言葉が多く出てくることが見受けられます。

これは、愛の減少感を感じている結果としての表現なのです。
つまり、「個性真理体」として認められていないのです。
このような言葉を発することで
子供としてのメッセージを親たちに送っているのです。


26歳の独身の女性に一対一で4日間、原理講義をしたことがあります。
講義をしながらいろいろと話をしましたが、その女性の話が
「めんどくさい」とか「忘れた」とか「疲れる」との話が多いのです。
なかなか気持ちが前向きにならないのです。

三日目は、山にでも登ったらいいのではと提案してみましたが、
「疲れるから」とか、「めんどくさい」と言って受け付けてくれませんでした。

しかし本人は、仕事では、残業しても気にならないとのことでした。
どうしてなのかを聞いてみましたら、お金になるからとのことでした。
価値観が、心を中心にしたものから、
お金を中心にした考え方に変化しているのではないかと心配になりました。

それで、4日目にもう少し家庭のことを聞いてみると、
最初は、「忘れた」と言っていましたが、粘り強く聞いていくと、
実は母親がいつも妹と比較して、「どうしてそんなに暗いのか」とか
「することが遅い」と本人に言っていたというのです。

少女の時代に、「個性真理体」として受け止めてくれる環境がなかったのです。
そして愛の減少感に敗北してしまっていたのです。
それゆえに、「めんどくさい」とか「疲れた」とか
「忘れた」ということを言っていたのです。



子供の個性に私たちは敏感にならないといけないと思います。
学力ができているとか、運動神経がいいとか、
もちろんそれだけで、人の優劣が決まるわけではありません。

しかし、本当に一人ひとりの個性を発揮させるには、
一番、身近にいる親の認識が重要なのだと思います。

子供が「個性真理体」としての自覚ができるように、
親である私自身が環境を整えていかないといけないと思います。


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