何千何万何億の人に自分が責任をもち、
天下を踏みしめる以上の心情をもって
日本を愛するという男が現れるなら、
愛するその心は歴史的であり、世界的であり、
天宙的であるという自信をもってください。
そのような人は神様を占領します
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天下を踏みしめる以上の心情をもって
日本を愛するという男が現れるなら、
愛するその心は歴史的であり、世界的であり、
天宙的であるという自信をもってください。
そのような人は神様を占領します
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真のお父様が、日本訪問されてから
50周年を迎えたということですが、
1月28日から2月12日までのその期間、
どのような歩みをされたのでしょうか。
Peace TVにその一部がまとめられています。
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真の父母様、日本訪問50周年
真の父母様、日本訪問50周年
1965年1月28日、第1次世界巡回路程の
最初の訪問国として日本を訪問された。
1958年、崔奉春先生の日本宣教出発から7年後である。
真の父母様は、東京、名古屋、大阪、高松、
広島、福岡、札幌、仙台の8カ所に聖地を決定された。
日本巡回最終日の歓送会で、
「何千何万何億の人に自分が責任をもち、
天下を踏みしめる以上の心情をもって
日本を愛するという男が現れるなら、
愛するその心は歴史的であり、世界的であり、
天宙的であるという自信をもってください。
そのような人は神様を占領します」
と語られ激励された。
今年は、真の父母様の日本訪問50周年を迎える年である。
☆
お父様が日本を巡回されたのは、
日本の食口たちと会いたい心情を持っておられたのと同時に、
聖地を決定されるためでもありました。
世界120箇所、最初の聖地を日本8箇所に
定めてくださったのは、本当に感謝です。
最初に日本で聖地を決められたのは、
明治神宮の地であり、そこは普段入ることができないので、
代々木公園の一角に聖地を変更したのは、
皆様もご存知かと思います。
お父様がなぜ、明治神宮にされたのか、
詳しいみ言は調べることができませんでしたが、
かつて、松本ママが最初の40日開拓伝道をしたのが、
まさに明治神宮外苑でした。
証しを紹介します。
☆
明治神宮外苑での四十日間伝道
明治神宮外苑での四十日間伝道
その当時(1960年)、韓国のソウルでは、
パゴダ(現、タプコル)公園で黒板講義をしていました。
その話を聞いて、「私も黒板講義をします。」と言うと、
それを正に待ち望んでいたかのように、崔宣教師(西川先生)は喜ばれました。
それで、崔宣教師が、小さな黒板を買ってくださり、
講義する場所を選んでくれました。
そこが、日本の中心聖地として、真のお父様が
最初に定めてくださった明治神宮の外苑でした。
そこには、とても大きな庭があるのですが、
夏には、多くの若い男女のアベックが集まりました。
そのときまで私は、伝道師になるということは、
本当に考えることもできず、また、路傍伝道をするなどとは
思いも寄りませんでした。
しかし、原理のみ言を聞くと、もうこれ以上、
じっとしていることができなくなりました。
私がうれしかったことは、韓国に主が来られたということでした。
電車に乗って、どこかに行くときも、
電車が速く進んでいるにもかかわらず、
心が急ぐので、電車が進んでいないような感じがしたのでした。
そのとき、私は、子供たちと兄、そして既成教会から反対されました。
また、そのころ、病院からは「六か月間、安静にしていなければならない。」
と言われましたが、“六か月後に死んでもよい。”という覚悟で伝道したのです。
私は、肺病にかかって、熱が上がったり下がったりするような中でも伝道したので、
特に兄とは、いすを持って争うこともあり、
薬をすべて投げ捨てたこともありました。
そのようにしても、本当に伝道することができなければ、
「神様。私を深い地獄に再び送ってください。」と祈りながら、家を出ました。
迫害が加えられれば加えられるほど、より一層、
崔宣教師が、私の心を奮い立たせてくれました。
後で知ったことですが、崔宣教師は、私がみ旨の道から離れないように、
背後で必死の努力をしたということです。
私は、崔宣教師が決めてくれた明治神宮外苑で、
1960年8月16日から開拓伝道を始めました。
その期間は、ちょうど四十日間でした。
崔宣教師は、朝、仕事をしてから、午後にはいつも来て、
木の陰に隠れて祈祷し、私がするのを見守ったりもしました。
それも、後で聞いて知ったことです。
それで、四十日間で多くの人を紹介して、崔宣教師に会わせたのですが、
実を結ぶことはありませんでした。
崔宣教師は、「この四十日伝道は、モーセがシナイ山に行って、
四十日断食をするのと同じなので、絶対に変わってはいけない。」
と言いました。
それで私は、「変われば殺してほしい。」と祈祷しながら、
その伝道期間を終えたのです。
(証言:成和出版社より)
☆
崔宣教師(西川先生)が最初に礼拝を捧げたのが、
お父様が早稲田の学生時代に下宿されていた
早稲田・高田馬場の地でありました。
そして、お父様の日本訪問の5年前、
松本ママが最初に40日開拓伝道をしたのが、
お父様が聖地を最初に定められた
明治神宮の地でありました。
偶然とはいえないような、奥妙なる
天の摂理を感じます。
松本ママは、この時には、
伝道の実りはなかったそうですが、
このあとにお茶の水の学生会館で
桜井婦人(旧姓:小河原さん)を伝道され、
そのあと、中央大学で、小室先生、
澤浦先生を伝道していかれました。
そして、日本の祖とも言ってもいいくらい
多くの人を伝道されました。
それにしても、伝道師の中の伝道師というべき松本ママが
「伝道師になるということは、
本当に考えることもできず、また、路傍伝道をするなどとは
思いも寄りませんでした」
と、言われているのは、思いもかけない言葉であり、
今の私たちにも励ましの言葉であると感じます。
天の事情、心情を知り、
真の父母様を知った立場の私であり、
父母様と親子の因縁を結ばせていただいた者なので、
本心においては、「伝道したい」
そのような思いを祝福家庭であれば、みなが持っていると思います。
そんな思いを先立てながら、歩んでいきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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