2015年01月25日

彼女が、退学を臆せず、反対される教会に行ったのはなぜか?! 《受難の源流より》



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今年は青羊の年であるとお母様が言われ、
青年や2世を意識してくださる中、そのような機運を感じます。

50年前お父様が統一教会の教祖として
初めて日本に来られた頃、
集まった食口の多くは、青年であったといいます。

韓国での草創期、受難が続くその中にあっても、
爆発的に伝道が進みましたが、いつもその中心は青年でした。

『受難の源流』(文鮮明師の西大門刑務所収監の真相)から
今日は、徐明鎭(ソミョンジン)さんの証しです。


(梨花女子大から)退学処分を受けた十四人のなかで、
統一教会に入信して一か月もたたずに退学させられた学生がいる。
徐明鎭(ソミョンジン)さんである。

初めて徐明鎭さんが「統一原理」を学んだのは、
1955年4月7日で、入信したのが4月17日であった。
その日はちょうど日曜日で、教会に行って文師の説教を聞いた。

徐明鎭さんは、その日のことを次のように述懐している。

「説教する文先生は、十字架で亡くなる前に
ゲッセマネで祈られたイエス・キリストのようでした。
文先生は額に玉のような汗をかき、涙を流しながら祈られました。
その姿を見て、この教会は神霊と真理で礼拝をする
命ある教会だと実感したのです」

徐明鎭さんが退学処分を受けたのが5月11日で、
入信してから退学までの期間は25日間しかない。
彼女は、薬学科4年生で卒業直前であった。
徐明鎭さんをここまで駆り立てたのは、一体何だったのだろうか?

彼女が統一教会に行くようになった経緯は、次のとおりである。

徐明鎭さんが梨花女子大学校に入って、
彼女に信仰的感化を与えた二人の教授がいた。
韓忠ファ助教授と金永雲副教授である。

特に徐明鎭さんは、金永雲副教授による
スウェーデンボルグの霊界に関する講義が一番好きだった。
霊界の講義を聞いた日の夜は一睡もできず、
スウェーデンボルグの名前をノートに真っ黒になるほど書き続けた。
徐明鎭さんは、スウェーデンボルグを恋人のように慕った。

1955年の春休み、クラスメートの金正恩さんから手紙が届いた。
そこには、以下のような内容が書かれていた。

「わたしは統一教会に行って『統一原理』を聞き、
いろいろと悩んでいた人生の問題が解決しました。
あなたもその講義を聞けば、今悩んでいる問題は解決するでしょう」

春休みが終わり、新学期が始まってから徐明鎭さんは統一教会を訪ねた。
このときは、5人の梨花女子大学校の教授たちが免職処分を受けて、
まだ2週間しかたっていなかった。

劉孝元氏より2日間にわたり講義を聴いた徐明鎭さんは、
間違っていると思えるところを一つも見いだせなかった。
それどころか、神の実在性、人生の目的、死後の世界、罪の根、
サタン(悪魔)の正体などが明確になったことを喜んだ。
この講義を通して、人生の明確な座標を立てることができたからである。

このときの喜びと感謝は、表現することができなかった。

「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
この言葉は、徐明鎭さんのそのときの心境である。

1955年2、3月の統一教会の礼拝参加者数は、
120人から140人であったが、
徐明鎭さんが来始めた4月には200人ほどに増えている。
同年4月27日に、統一教会は興仁洞から
同じソウル市内の中区の奨忠洞に移転した。

大学当局は、統一教会に通っている学生たちに
何回かにわたって自粛を求めたが、
彼女たちはそれらの勧告を無視した。
5月に入ると、統一教会に通う学生たちに大学側は、
十項目の質問を書いたアンケート用紙を配布した。

徐明鎭さんは十項目のうち、覚えている内容を次のように記している。

1、いつから統一教会に通っているか。
2、統一教会に通うことを学校で反対しているのを知っているか。
3、統一教会に通って、どの程度、感動を受けたか。
4、今後も続けて統一教会に通うつもりか。
5、統一教会に通うことによって、
学校からどんな処罰を受けても甘受できるか。
6、統一教会の原理が、メソジスト教会の伝統信仰と
違うということを知っているか。
(『受難の現場』成和出版社 63ページから)

徐明鎭さんは、このアンケートに以下のように書いて学校側に提出した。

「統一教会の原理は、全宇宙とも代えることのできない真理です。
メソジスト教会の信仰と違うことも知っています。
捜し求めていた真理が見つかったので、
将来どのように処罰されてもかまいません」

数日後、ある教授が徐明鎭さんに、

「統一教会に通うのを思い直すことはできないのですか?」と尋ねた。
その時の徐明鎭さんはこう答えている。

「メソジスト教会の信仰のみを信ずる、
といって署名して入学したのではありません。
キリスト教の学校で四年間学んでも捜し出すことができなかった真理を、
統一教会が教えてくれるのですから、これからも統一教会に通い続けます」


統一教会に導かれて、
わずか1ヶ月で退学処分を受けた徐明鎭さん。
しかも、あとわずかで卒業できたのに、
躊躇せずに処分を受け入れていきました。

「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」
という言葉に彼女の思いが表れています。

入教するまでに、キリスト教を学びつつ
何か、満たされない思いがあったのでしょう。
そういう全ての疑問をみ言を聞いて解決し、
求めてきた真理を得ることができたのです。
その抑えきれない思いをどうすることもできず、
退学を決意していきました。

「打てば響く」ような青年。
それは年齢もそうかも知れませんが、
心の中に、希望を持ち、前を向いている人ならば、
年齢はどうであれ、「青年」だと思います。

何よりも真のお父様が青年であったし、
今も真のお母様がそうだと言えるのではないでしょうか。

そんな「青年」に出会えるように
これからも頑張っていきます。

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2015年01月24日

(証し)路傍伝道が楽しい! 愛の投入の中で、更なる出会いが!!



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いつも笑顔でいなさい。
笑顔は心の花です。
いつでも花を咲かせて
香りを漂わせるのです。


天運を呼ぶ生活 より



今日はうちの教会で伝道を頑張っている婦人の証しです。


私は、毎週2回、伝道前線を歩んでいます。
昔は訪問伝道で歩んでいましたが、
あまり実りはありませんでした。

新しい教会長に代わってから、
路傍伝道をするようになりました。
私は地元の人間なので、
知っている人が駅前を通らないだろうかと
本当にびくびくしていました。
それで、実は演説をするときに、
帽子を目深に被って、
近所の方が通ってもわからないようにしていました。

それでも歩むようになって、
だんだんと復活するようになってきました。
堂々と神様のこと、真の父母様のことを
宣布できることが嬉しく、
演説できることに喜びを感じるようになり、
いつの間にか、顔を上げて演説している自分がいました。

そんな中、一人の女性に出会いました。
アンケートに答えてもらいましたが、
「この人、障害を持っているのかな?」と思うくらい
ほとんど口を利かない状態でした。

話を聞くと、お母さんにとてもひどい扱いを受けていました。
そんなことがあって、自分の感情を
人には見せないようになってしまったんだと思いました。

それで、原理のDVDを見ても
ほとんど感想は話さないのに、
原理講論の訓読だけは熱心にするのです。
すでに、今は2回目に入りました。


そして、今年に入って、ある女性から
電話をいただきました。
年末に、路傍伝道のときに出会った方で
教会長の新規講演会に「参加したい」ということでした。
出会った方から連絡が来るなんて
初めてのことなので、本当にびっくりしました。

それで、講演会に来られて
教会長のお話を聞きましたが
とても素直に受け入れてくださり、
教会で学ぶことになりました。

この前、教育センターに来られて、
阿部先生の「霊界セミナー」を見ていただきました。
霊界のことは信じてなかったそうですが、
DVDを見て、「霊界ってあるんだな」
そう話されたあと、
実は、すでに他界されたご主人が
ふとしたときに声をかけてくるということを
話してくださいました。

「今まで、こんなこと誰にも話せなかったけど、
今日話せて本当に良かったです。
霊界ってあるんですね」
そのように言っておられました。

本当にいい方に出会いましたが、
半年間、全く何も話さない女性に投入してきたので、
その土台で、こういう方に出会えたのだと思います。
これからも頑張っていきたいと思います。
ありがとうございました。



この婦人は、本当に素直に生き生きと
頑張って歩んでいます。

最初は、決して「生き生きと」とは
歩んでいませんでしたが、
伝道を通して、訓練されていきました。

昔は、目標に向かって、「必死なる形相で」
歩んでいたイメージがありますが、
今は、「楽しく喜んで」歩んでいる感じです。

最前線は「神様とサタンの一線上」
そのように教会長は表現されますが
「楽しく喜んで」歩むことのほうが
むしろ本質的であり、
神様も父母様も喜ばれるのではないでしょうか。

私自身もみんなとともに歩めるのが楽しいです。
そして、お母様が願われているのが、
「青年伝道」です。
また、外的な青年もそうですが、
気持ちにおいても「青年」の心を持つ人を
神様は待ち望んでおられると思います。
そんな「青年」に出会うべく、
これからも頑張っていきたいと思います。


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2015年01月23日

中3生の圧巻スピーチ! 『試練を越えた先に』あったものとは?!



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大きな試練のとき、暗闇の中にいて、
苦しく、つらくてどうしようもない時──
そういう時こそ、となりには神様がいるのです



第18回全国中和文化祭東日本大会
スピーチ部門において優勝した
中学3年生、T君のスピーチを紹介します。
題目は、『試練を越えた先に』です。


1歳の時に母が原因不明の病気で倒れ、
8年間の闘病生活を送り、9歳の時に聖和しました。

中学生になり、教会の中高生部に所属しました。
そこでの、兄弟姉妹の関係がとても良くて、
背後に神様と父母様を感じることができました。

しかし、その反面、学校に行く意味があるんだろうか、
と思い悩み、不登校になってしまいました。

本当は学校に行きたいのですが、それでも行くことができないのです。
そんな思いを持ちながら、孤独との戦いでした。
本当に、押しつぶされそうな思いになっていました。

「なんで自分だけ、こんな思いをしないといけないんだろう・・・
こんなにつらい心情を味わうなんて・・・
神様なんているもんか」そう思いました。

しかし、このままではいけないと思い、
そのとき、教会でしていた、祈祷会に参加しました。

お父様が聖地として定めてくださった、札幌の円山聖地で
早朝3時からの精誠祈祷会がありました。
そこに、毎日参加しました。
苦しくても参加したのです。

祈祷会に参加して、半年たって、ある婦人に出会いました。
そのとき、自分のすべてを話したのです。
誰にも言えない不登校の話もしました。

その婦人は僕の話を受け入れてくれました。
そして、学校に行くようにアドバイスしてくださいました。

婦人の話を聞いて、学校に行く決意が湧いてきました。
でも、今まで行けなかった学校に行くのは勇気がいりました。

そのとき、婦人は聖歌40番を教えてくださいました。

孤独な御姿で先駆け主は行かれた
死の影の谷間をただ一人行かれた
孤独な試練の日私も一人行こう
誰も私のため身代わりになれない



神様の思いが伝わってきました。
神様はずっと孤独だったんだ・・・
自分もつらい道を歩んでいる、
でも、神様もそうだったんだ・・・
そう思えるようになりました。

勇気を持って、学校に行きました。
そうすると、友達は、僕のことを
本当に温かく迎えてくれました。
「良く来たね。ずっと、待っていたよ」

中学3年になり、文化祭がありました。
みんなやる気がなさそうでした。
でも、僕は良いものにしていきたいと思い、
得意分野の映像を作って、みんなに見てもらいました。
みんな感動して、涙を流して、文化祭も前向きに取り組んで
無事に成功することが出来ました。
僕は、このクラスで本当によかったと思いました。

中学校生活最後の学級委員決めがありました。
僕は、このクラスに責任を持ちたいと思い、
決意して、立候補することにしました。
でも、不登校だったので、立候補者がほかに二人いて、
その友達のほうが当選する可能性が高い感じでした。
でも、立候補したい思いを止めることが出来ませんでした。
暗闇でどん底だった時、クラスのみんなのおかげで
自分は今、ここにいられるんだ。
本当に感謝の気持ちが湧いてきて、
その気持ちをみんなに伝えると涙を流して聞いてくれる人もいました。
そして、学級委員になることが出来ました。

大きな試練のとき、暗闇の中にいて、
苦しく、つらくてどうしようもない時があります。
でも、そういう時こそ、となりには神様がいるのです。
試練の先には光があるのです!
ありがとうございました。
(文責 ten1ko2)



実際には、倍以上の内容でしたが、
短めにまとめさせていただきました。

熱く語るT君の映像を見ながら、
我知らず涙が止まりませんでした。

お母さんが聖和されたこともあり、
本当は苦しい思いを受け止める
お母さんの存在がいなかったので、
不登校になってしまったのかも知れません。

自分の思いを打ち明けた婦人は、
まさに「お母さん」のような存在だったのでしょう。。。

苦しいときに、「自分だけが辛いんだ」
そう思うと、神様を恨む気持ちになります。
しかし、となりには、神様もともにおられるのです。
神様も真の父母様も同じ道、同じ心情を辿ってきた。。
そう思えば試練を超えることも出来るし、
神様と父母様ともっと近づくことが出来ると思います。


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