2015年01月04日

お父様を初めて「再臨主」と呼んだ人は?! 《梶栗会長の証し》



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真の父母様の直下にいる人間に
ならなければならないのです。
それが今の時代に
生き残っていく道です



公式説教ブログを久しぶりに開いてみました。
梶栗会長の説教がありましたので、
一部、紹介します。



「真の父母様の軸に合った人間になろう」


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高校時代に空手をやっていたのですが、
柔道の三船久蔵十段にお会いしました。
空気投げの演武を見せてくれました。
「質問がないか」と言うので、私は手を挙げて
「武道とは、何ぞや」と聞きました。
偉い人に聞くのが一番早いのです。
「武道とは、真理を体得することである」ときっぱり答えました。

次に会ったのがビリー・グラハムで、
彼のクルセードに毎回参加しました。
何か惹かれていったのです。
「間もなく偉い人が地上に来る」と言うのです。
そのあとに原理を聞いたので、原理がスムーズに入りました。

私は最初、「終末論」から聞きました。
三本線を引いて、アブラハム、イエス、再臨主と黒板に書きますが、
私は「再臨主が来たんだ」とピンと来ました。
この方のことを説明するために、これからの理論があるのだなと思いました。

「復帰原理」は泣きながら聞きました。
神様に会えたのです。
講義が終わって下北沢の教会で西川勝先生(崔奉春宣教師)とお会いしました。
やせこけた人でした。
「再臨のキリストって、こんなにやせているのかな」
しかし、やせてはいるが、威厳があるのです。
「やっぱり違うな」。

もうその夜から教会に泊まったのですが、祈祷したときに、
火の玉がバーンと体に入ってきて、ぐるぐると回って、
腸がきれいに整理されて、下からさっと出て行きました。
何だろうと思いました。
これが火の聖霊ではないか。
「わたしのあとから来る人は、
聖霊と火とによってバプテスマをお授けになる」
と聖書にあります。
火の玉がバッと来て、きれいな体になり、清められた感じがしました。

明くる朝になったら、目が開けて、見るものすべてがきれいに見えました。
特に自然がきれいなのです。
不思議だなと思いました。

ところが、電車に乗って人間を見たら、霊眼が開けたのでしょう、
悪霊がうようよいるのです。
全部見えました。
人の霊人体が汚いのです。
この霊を救うことほど、大きな仕事はないと思いました。
私は建設の仕事をしていましたが、
それよりも霊を救う仕事のほうが意義が深い。
建物はだれでもできるが、これは気がついた者にしかできないから、
私はこっちの道を行こう。
そうして、建設会社を捨ててしまったのです。

初めて「メシヤ論」を聞いたときのことです。
弟子がみな裏切ります。
ペテロも裏切って、外に出て行って激しく泣いた、
と聞いて、私はわんわん泣きました。
男は泣くものではないという思いはありましたが、
人間の弱さに「この野郎!」と、悔しくて泣いたのです。
「自分がイエスのそばにいたら、絶対に裏切らない」
と心で叫んだのです。

そうしたら「今がその時だ」という声が聞こえたのです。
「時が来た」。
これは避けることができません。
私は従わざるを得なくなりました。


お父様が最初に来られた時、私は霊眼が開けた状態で、
お父様にお会いしました。
私は霊界と共にあったから、
再臨主に会ったということに確信を持っていました。

東京・渋谷の南平台の本部で、
たまたまお父様と二人きりで出会いました。
にこっと笑って私に近づいてこられ、握手してくださいました。

「君、先生をどう思うか」
「先生は再臨主です」
「おお、再臨主か」
遠くを見つめながら、何か思いにふけっておられました。

そのころはみんなが「大先生」とお呼びしていたのです。
一人も再臨主とかメシヤとか言っていないころです。
私は霊的に見たので、率直にそうお答えしました。




梶栗会長が、こんなにも霊的に長けておられる方だとは知りませんでした。

空手を通して、内的に啓発され、
ビリーグラハムが洗礼ヨハネのような立場で、
その土台で、み言を受け入れていかれました。

さらには、真のお父様を霊的に実感され、
最初にお父様にお会いした時にも
「先生は再臨主です」
そのように答えられた梶栗会長。

すでに聖和しておられる会長ですが、
その直前に悟られた内容がありました。


お父様のそばにいるから近いのではないのです。
完全に一つにならなければならないのです。
そうなる方法がわからないで、
自分はなっていると錯覚して生きてきたのです。

しかしもうこれからはだめです。
真の父母様の直下にいる人間にならなければならないのです。
それが今の時代に生き残っていく道です。
もう一度反省しなければなりません。

お父様の近くで接していたけれども、
単にそれだけでは意味がありません。
お父様の縦横の軸に合うように生きなければならないのです。



例えお父様に侍ったとしても、
「お父様の縦横の軸に合うように
生きなければならない」
そのように語られています。

そして、み言の実践が必要であると
言われています。
霊界からのメッセージだと思って、
この1年間を歩んでいきたいと思います。


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