新年は、青羊の年といいます。
お母様は羊(年)です。
1.4のみ言
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お母様は羊(年)です。
1.4のみ言
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今朝の訓読会で、平和経を訓読していたら、
ある箇所に目が留まりました。
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人類歴史上、イエス様の見方に立った
最後の人は誰だったでしょうか。
それは、ペテロでもなく、イエス様の父母でもなく、
ユダヤ教でもありませんでした。
ただ一人、右側の強盗だったのです。
なぜならば、右の強盗は、内容は知りませんでしたが、
死の場において、その生命が尽きるときまで、
イエス様に侍る方向性を備えたからです。
しかし、ペテロやヤコブのような十二使徒たちは、
内容を知っていながらも、そして一つの方向性を
備えるという誓いまでした人たちでありながらも、
最後まで、その方向性を備えることができませんでした。
ですから、右の強盗が、人類の歴史上において、
地を身代わりして、未来を再起させることのできる
中心的な存在になったという事実を知らなければなりません。
(「神様のみ旨から見たイエス様の生涯と
終末である現代に対する神様の警告」より一部抜粋)
終末である現代に対する神様の警告」より一部抜粋)
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聖書にはクレネ人シモンの記述もあります。
そこへ、アレキサンデルとルポスとの父
シモンというクレネ人が、
郊外からきて通りかかったので、
人々はイエスの十字架を無理に負わせた。
(マタイによる福音書第15章21節)
シモンというクレネ人が、
郊外からきて通りかかったので、
人々はイエスの十字架を無理に負わせた。
(マタイによる福音書第15章21節)
彼は、たまたまイエス様がゴルゴダに向かい、
十字架を背負われている場面に出くわしました。
「無理に」と書いてはありますが、
兵士の要求を受け入れて、背負ったのだと思います。
右の強盗も、クレネ人シモンも
ともに、ほんの一瞬イエス様に出会ったに過ぎません。
しかし、その出会いを受け入れたからこそ、
聖書に永遠に記録されているのです。
ペテロやヤコブのような弟子たちは、
イエス様に侍ってはいきましたが、
一番大切な時、イエス様が十字架を背負い
架けられた時、離れていってしまったのです。
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昨日は、2015年最初の還元祈願礼式を行いました。
本来は教会長がされるのですが、
突然、会議になったので、私が主礼を担当することになりました。
半日準備する中で、2015年の「時」の重要性を感じ、
それを話させていただきました。
かつて、このみ旨において、
「真の父母様のため」と思って、
全身全霊をかけて歩んだことも確かに貴重なことです。
しかし、今この時、重要なこの時を
神様と真の父母様と、
ともに歩むということがどれほど貴重なことでしょうか。
右側の強盗もシモンも何の信仰を持っていないのに、
イエス様が十字架につく直前にイエスさまに侍った
そのことゆえに、聖書にも覚えられているとすれば、
この2020年までの期間、
真のお母様が最後の十字架の道を歩まれている
といっても過言ではないこの時に、
真の父母様に侍ることが出来ることを感謝しつつ、
天の願われる歩みをしていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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