大きな試練のとき、暗闇の中にいて、
苦しく、つらくてどうしようもない時──
そういう時こそ、となりには神様がいるのです
苦しく、つらくてどうしようもない時──
そういう時こそ、となりには神様がいるのです
☆
第18回全国中和文化祭東日本大会
スピーチ部門において優勝した
中学3年生、T君のスピーチを紹介します。
題目は、『試練を越えた先に』です。
☆
1歳の時に母が原因不明の病気で倒れ、
8年間の闘病生活を送り、9歳の時に聖和しました。
中学生になり、教会の中高生部に所属しました。
そこでの、兄弟姉妹の関係がとても良くて、
背後に神様と父母様を感じることができました。
しかし、その反面、学校に行く意味があるんだろうか、
と思い悩み、不登校になってしまいました。
本当は学校に行きたいのですが、それでも行くことができないのです。
そんな思いを持ちながら、孤独との戦いでした。
本当に、押しつぶされそうな思いになっていました。
「なんで自分だけ、こんな思いをしないといけないんだろう・・・
こんなにつらい心情を味わうなんて・・・
神様なんているもんか」そう思いました。
しかし、このままではいけないと思い、
そのとき、教会でしていた、祈祷会に参加しました。
お父様が聖地として定めてくださった、札幌の円山聖地で
早朝3時からの精誠祈祷会がありました。
そこに、毎日参加しました。
苦しくても参加したのです。
祈祷会に参加して、半年たって、ある婦人に出会いました。
そのとき、自分のすべてを話したのです。
誰にも言えない不登校の話もしました。
その婦人は僕の話を受け入れてくれました。
そして、学校に行くようにアドバイスしてくださいました。
婦人の話を聞いて、学校に行く決意が湧いてきました。
でも、今まで行けなかった学校に行くのは勇気がいりました。
そのとき、婦人は聖歌40番を教えてくださいました。
孤独な御姿で先駆け主は行かれた
死の影の谷間をただ一人行かれた
孤独な試練の日私も一人行こう
誰も私のため身代わりになれない
死の影の谷間をただ一人行かれた
孤独な試練の日私も一人行こう
誰も私のため身代わりになれない
神様の思いが伝わってきました。
神様はずっと孤独だったんだ・・・
自分もつらい道を歩んでいる、
でも、神様もそうだったんだ・・・
そう思えるようになりました。
勇気を持って、学校に行きました。
そうすると、友達は、僕のことを
本当に温かく迎えてくれました。
「良く来たね。ずっと、待っていたよ」
中学3年になり、文化祭がありました。
みんなやる気がなさそうでした。
でも、僕は良いものにしていきたいと思い、
得意分野の映像を作って、みんなに見てもらいました。
みんな感動して、涙を流して、文化祭も前向きに取り組んで
無事に成功することが出来ました。
僕は、このクラスで本当によかったと思いました。
中学校生活最後の学級委員決めがありました。
僕は、このクラスに責任を持ちたいと思い、
決意して、立候補することにしました。
でも、不登校だったので、立候補者がほかに二人いて、
その友達のほうが当選する可能性が高い感じでした。
でも、立候補したい思いを止めることが出来ませんでした。
暗闇でどん底だった時、クラスのみんなのおかげで
自分は今、ここにいられるんだ。
本当に感謝の気持ちが湧いてきて、
その気持ちをみんなに伝えると涙を流して聞いてくれる人もいました。
そして、学級委員になることが出来ました。
大きな試練のとき、暗闇の中にいて、
苦しく、つらくてどうしようもない時があります。
でも、そういう時こそ、となりには神様がいるのです。
試練の先には光があるのです!
ありがとうございました。
(文責 ten1ko2)
☆
実際には、倍以上の内容でしたが、
短めにまとめさせていただきました。
熱く語るT君の映像を見ながら、
我知らず涙が止まりませんでした。
お母さんが聖和されたこともあり、
本当は苦しい思いを受け止める
お母さんの存在がいなかったので、
不登校になってしまったのかも知れません。
自分の思いを打ち明けた婦人は、
まさに「お母さん」のような存在だったのでしょう。。。
苦しいときに、「自分だけが辛いんだ」
そう思うと、神様を恨む気持ちになります。
しかし、となりには、神様もともにおられるのです。
神様も真の父母様も同じ道、同じ心情を辿ってきた。。
そう思えば試練を超えることも出来るし、
神様と父母様ともっと近づくことが出来ると思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)