真の父母様が今から50年前、
1965年1月28日に、来日されました。
要するに、50年前の明日ですが、
当時いた数百名の食口たちは、
今この時、お父様に会いたくて会いたくて、
内外の準備をしていたに違いありません。
そして、お父様ご自身も、
早稲田の学生時代以来、21年ぶりに訪れる日本。
この時は、西川先生、松本ママ、そして久保木会長を中心に、
多くのお父様を慕う兄弟姉妹たちがいました。
どれほど、待ち遠しい心情をもっておられたか・・・
お父様が来日されてすぐに、
東京教会で語られたみ言を毎朝訓読しています。
お父様は、最初にこのように語られました。
☆
今から二十一年前、二十一年前になりますね。
二十一年前に使った言葉ですからね、
なかなか出ないんですよ。
あるいはどうしても
聞きにくいところがあるかもしれませんが、
宜しくお願いします。
心から本当は皆さんをお待ちしていました。
しかし飛行機に乗って来れば
一時間半ぐらいで着くことができますが、
いろいろな事情に縛られておる関係上、
この期間というと、その距離というものは、
五年、五年が過ぎるような、そういう遠い所で
あるということを飛行機の中で考えて来ました。
日本に来られたら、何を申しましょうか。
これを思う時に、まず先生が来られるということを
皆さんは心一杯で、あるいは歓迎の面で迎えたと思います。
しかし緊張したその態度をこの時間皆解いて、
自由自在な平凡なその心の態勢をとりまして、
今後の時間を過ごしていただければ、
まあ、良いと思います。
☆
今から二十一年前、二十一年前になりますね。
二十一年前に使った言葉ですからね、
なかなか出ないんですよ。
あるいはどうしても
聞きにくいところがあるかもしれませんが、
宜しくお願いします。
心から本当は皆さんをお待ちしていました。
しかし飛行機に乗って来れば
一時間半ぐらいで着くことができますが、
いろいろな事情に縛られておる関係上、
この期間というと、その距離というものは、
五年、五年が過ぎるような、そういう遠い所で
あるということを飛行機の中で考えて来ました。
日本に来られたら、何を申しましょうか。
これを思う時に、まず先生が来られるということを
皆さんは心一杯で、あるいは歓迎の面で迎えたと思います。
しかし緊張したその態度をこの時間皆解いて、
自由自在な平凡なその心の態勢をとりまして、
今後の時間を過ごしていただければ、
まあ、良いと思います。
☆
訓読している皆様も感じると思いますが、
お父様の日本語は、とても難解です。。。
21年前に使っていた日本語を
久しぶりに使ってこともあるでしょう。
同じ言葉が何度も出ているし、
使いまわしも少し独特です。
それでも、日本語で食口たちに話すことが
どれほど嬉しいお父様であったでしょうか。
また、個人的に、このみ言の中で、
一番心に残る部分を紹介します。
☆
ある時、先生は神に祈りました。
「善なる神の目的、善なる神の人格、
その目的に適うその人格の人格を人格に適って、
神の心情、心情を中心として生活する場において、
神の事情を中心として、万物を抱きえる
真なる神の求める創造本然のその人は、
いずこにありますか?」
「おりません」
「過去におりましたか?」
「おりません」
「現在におりますか?」
「おりません」
「未来に、未来におるべきでしょうか?」
「わしは知らない」
☆
ある時、先生は神に祈りました。
「善なる神の目的、善なる神の人格、
その目的に適うその人格の人格を人格に適って、
神の心情、心情を中心として生活する場において、
神の事情を中心として、万物を抱きえる
真なる神の求める創造本然のその人は、
いずこにありますか?」
「おりません」
「過去におりましたか?」
「おりません」
「現在におりますか?」
「おりません」
「未来に、未来におるべきでしょうか?」
「わしは知らない」
☆
古いメンバーならみんな知っている
可知講師が編纂された「マルスム」
の中にある一節ですね。
最前線に出かけるとき、
あるいは、前線で苦しいとき、
この本のみ言を読んで、
もう一度、「頑張ろう」
と力を出して歩んだのは、
私だけではないと思います。
そんなみ言をお父様は、
日本に最初に来られたときに語っていたんだ・・・
毎日、毎日、嗚咽しながら訓読をしている
食口も私の知人の中におられます。
そんなお父様のみ言を訓読しながら、
明日は、私も羽田空港にお父様を迎えに行き、
東京教会でお父様のみ言を聞くんだ!
そういう心情を持たせていただきました。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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