2015年01月30日

お父様は、この日を待っていた! 《50年前のご来日エピソード》



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「自分はこのために生まれてきた
と思って取り組みなさい」
と、お父様は言われますが、
お父様の生活は正にそのような生活でした。
いつも真剣、いつも命懸けのお父様です。



昨日掲載した、『先駆者たちの証言』石井夫人の証し。
皆様にもっと紹介したいと思わされたので、一部、掲載いたします。




「統一教会草創期の思い出」
石井トミ子


お父様が日本に初めて来られたのは、1965年1月28日です。
このとき、初めてお父様にお会いしたのですが、その少し前、
李貞玉先生を通してお父様からお手紙をいただきました。

その手紙には、「父母の心情、僕の体となって多くの人を育ててください」
と書かれてありました。

この言葉は、幼い私にはあまりにも高度な内容でした。
しかし、幼い者に期待してくださるお父様の心遣いを感じ、
とてもうれしく思ったのです。


お父様のご来日の主な目的は、聖地を決定するためでした。
世界120ヵ所の聖地を決める一番最初が日本だったのです。

名古屋には、開通して間もない新幹線で向かいました。
新幹線に乗られたのは、お父様、崔元福先生、
西川先生と久保木先生、それにわたしでした。

わたしは、お父様とは通路を隔てた反対側に座りました。
そして、食事を取るときのことです。
お父様は「トミちゃん、ちょっと食べる?」と言われ、
お弁当をわたしに下さるのです。

普通でしたらおそれ多くて、「結構です」となるはずですが、
「いただきます」と言って受け取りました。
そのときは、お父様とわたしたちは親子の関係であると思って、
素直にいただいたのです。

するとお父様は、「トミちゃんのもちょうだい」と言われました。
食べ始めたお弁当から、お父様に何か差し上げることなど
できることではなかったのですが、
わたしの弁当をお父様に差し出しました。
すると、お父様はそこから何か一つを取られたのです。

お父様は、なぜそのようなことをされたか、真意はよく分かりませんが、
緊張しているわたしの心を解きほぐす目的もあったのではないかと思います。


お父様に対する第一印象は、外的にはプロレスラーの力道山のように見えました。
また、自分では推し量ることのできないほどスケールの大きなかたであると感じたのです。

幼いころ、父に連れられて初めて海を見たとき、
故郷に流れる新潟の信濃川からは想像もできない広さだったことと同じでした。

当時、わたしたちは西川先生を「パパ」と呼んでいました。
ところが、お父様にお会いすると西川先生がとても小さく感じられ、
父親というよりも兄のように思えたのです。
霊的にそのように見えたのかもしれません。

お父様の額による三本のしわを見て、次のように思いました。
「普通であれば自分か自分の家庭のために苦労してできるしわなのに、
このかたは人類のために苦労されて深いしわをつくられたのだ」

わたしはお父様の接待をしていたので、近くでお父様を拝見する機会がありました。
お父様の唇も口元もとても荒れておられたのです。
日本に来られる前、韓国を巡回されながらみ言を語り続けて来られたことを後で知りました。

 
また、普段、拝見することのできないお父様の一面をかいま見ることがありました。

テーブルの上を片づけるためにお父様が休んでおられる部屋に入ったときのことです。

お父様のいびきが聞こえてきました。
テーブルとお父様が休まれているベッドの間には、ついたてがあったのですが、
ベッドの方を見るとお父様の寝ておられる姿が目に入ったのです。

そのときのお父様の姿を見て驚きました。
英語の本を手に持たれ、その持っておられる左の腕を上げたまま、
いびきをかいて寝ておられたのです。

普通であれば、本を持った腕が下に下がるはずであり、
またそうでなければ、本の重みで指の間から本は落ちるはずです。
お父様のみ旨に対する執念の一端を、かいま見た思いでした。

「先生はね、英語のセンスがそんなにいいわけじゃないんだよ。
若い人のようにはできない」

このように言われていたお父様が、英語を一所懸命に勉強しておられたのです。
お父様の近くには、英語の堪能な崔元福先生もおられるので、
英語の勉強など、それほどまでにしなくてもよいのではないかと思うのですが、
お父様はそうではないのです。

「自分はこのために生まれてきたと思って取り組みなさい」
と、お父様は言われますが、お父様の生活は正にそのような生活でした。
いつも真剣、いつも命懸けのお父様です。


お父様が帰国される1965年2月12日、羽田空港に見送りに行きました。
お父様が乗られた飛行機が見えなくなるまで手を振り、祈りをささげました。

するとそのとき、横で美植ママはさめざめと泣いていたのです。
美植ママは、わたしにこのように言われました。

「トミちゃん!  先生は、この日をどれほど待ったかしれないのよ」



英語の本を持つお父様の手に
お父様の凄まじいまでの執念を感じます。

「自分はこのために生まれてきたと思って取り組みなさい」
み言は語られる前にご自分で実践しておられる
真のお父様であり、その姿を
私たちも実践していきたいと思わされています。


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