2015年02月25日

み言を訓読しつつ歩もう! 神氏族的メシヤ勝利のために



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訓読の最高の王様は
どなたでしょうか?
真の父母様です



今日は、宋龍天総会長が昨年大阪で語られたメッセージの中に、
私たちが、神氏族的メシヤを勝利していくために
とても貴重なヒントがあると思い、紹介します。




神氏族的メシヤ勝利のために
最も重要なものは精誠


私は2011年、真の父母様にヨーロッパで侍りました。
真のお父様の最後の海外巡回でした。
真の父母様はほぼ1ヵ月間、
重要な摂理的国家でみ言の宣布をされました。

真の父母様は、「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」のみ言を、
約3年間にわたって、いかなる大会でも宣布されました。
ジュネーブ(スイス)の国連欧州本部でもなさり、
ベルリンでも三千人のドイツの指導者を集めて宣布されました。
 
真のお父様が、どれほど深刻であられたか分かりません。
お父様は毎回、まるでこの時だけのために
生きてこられたかのような心情で壇上に立たれ、
ヨーロッパの指導者にみ言を語られたのです。
 
真のお父様は、特に大会の前日は床に就かれませんでした。
(真の父母様の)お部屋に入ると、
お父様がみ言を訓読しておられるのです。

皆様に、以前もお話ししたことがあるでしょう。
特にイギリス大会において、
翌朝、真のお母様がイギリスの心臓部である
国会議事堂に入っていかなければならないというときです。
国会議員を集めてみ言を語るのは、
どれほど重要な摂理でしょうか。
特に、このみ言の内容を宣布するのは、簡単ではないのです。
 
その大会の前日、(午後)11時を過ぎたのですが、
私の部屋のベルが鳴ったのです。
真のお父様でした。
それで、急いではせ参じたところ、
お父様は「何をしていたのか?」と尋ねられ、
「私はきょう、(このみ言を)二回読んだ。
私と一緒に読もう。
おまえと一緒に読まなければならない」
とおっしゃいました。
そこで、私が「はい、分かりました。
お父様、私がお読みいたします」と申し上げると、
お父様は「いや、私が読まなければならない」
と言われるのです。
それで、お父様が読まれ、私はお父様の横に立って、
お父様が訓読されるのをお手伝いさせていただきました。
 
そのみ言の訓読が全て終わるまで、三時間ほどかかりました。
(真のお父様は)何度も説明を加えながら訓読されました。
一ページ訓読するのに、一時間かかったところもあります。
お父様はこのみ言をどれほど訓読されたことでしょうか。
「私は全て覚えている」とも言われました。

  
スペインでピースカップが開催されたとき、
真のお父様は「スペインにいる市長、州知事、サッカー関係者に、
急遽、私がみ言を宣布しなければならなくなった」と言われ、
予定になかったみ言宣布のために
一晩で大会を準備したことがありました。
 
約300人が参加したのですが、
食口は朱東文会長など数人だけで、
そのほかは皆、新規の人々であり、サッカー関係者でした。
 
み言の後に慶祝行事が予定されていたので、
真のお父様が読まれる原稿を非常に短くして準備しました。
また、美術展示会のテープカットもしなければなりませんでした。
既に時刻は午後8時半を過ぎ、九時に近づいていました。
そのため、お父様は5分か10分間だけお話しされるように、
短い原稿を準備したのです。
 
ところが、真のお父様はその日、二時間半、み言を語られました。
その原稿を読まれるだけではなく、
(さまざまな)み言を語られたのです。
 
ホテルに戻った後、翌日の午前三時に、
真のお父様から「指導者たちはどこに行った!皆、集まりなさい」
という厳しい号令が掛かりました。
「私が宣布しなければならないみ言なのに、
誰が私の原稿を短くしたのか!」と言われるのです。
金孝律先生が、「彼らは統一教会について知らず、
お父様が語られるということを考えもせずに来た人々です。
サッカーのピースカップ大会のために来た人々です。
ですから、み言を短くしなければならなかったので、
短縮しました」とお答えしました。
 
そこで、真のお父様の雷が落ちたのです。
お父様はこの貴いみ言を
ご自分が宣布しなければならないと言われながら、
そのとき敬拝もお受けになりませんでした。
私たちは立ったままお父様の激しい叱責を受けましたが、
三時間後、お父様は「もういいから座りなさい」
と言われました。
それから、敬拝を受けてくださり、訓読会が始まったのです。

 
私がお話ししたいことは何かと言えば、訓読です。
訓読の最高の王様はどなたでしょうか?
真の父母様です。
 
ある本によれば、人間の記憶力は、読んだことの
10パーセントしか記憶できないといいます。
ところが、他の人から聞いたことは
20パーセント記憶するというのです。
その次に、見たことは30パーセント記憶し、
見ながら聞いたことは50パーセント記憶するといいます。
さらに、自分が語ったことは70パーセントまで記憶します。
皆様、友人に話したことは覚えているでしょう? 
それから、語りながら行動したことは、
90パーセントまで記憶するというのです。
 
皆様、よくご存じでしょう。
真のお父様はみ言を語られるだけでなく、
語られたことをそのごとく生活の中で実践されたおかたです。
ですから、真のお父様は私たち全員に、
「訓読会だけするのではなく、
それを生活の中で実践しなければならない。
(そのとおり)生きていかなければならない」
と語られながら、聖和の直前まで、
氏族的メシヤについてどれほど多くのみ言を
語ってくださったでしょうか。
そして、最後の瞬間における真のお父様の祈祷においても、
神氏族的メシヤの使命を強調されたのです。
 
真のお父様が暗唱するほど読まれた講演文
「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」を見ると、
訓読会の重要性が出てきます。
それはお父様の遺言書でしょう。
遺言のみ言の中の一つが、
訓読会の精誠を守りなさいということです。
訓読会の精誠を私たちが心と体を尽くして行うとき、
天の父母様が共にあり、霊界が共にあるのです。
そして、伝道の勝利、神氏族的メシヤの使命勝利が成されるのです。




お父様の証しを通して、
訓読の重要性、
さらには、実践の重要性を
改めて教えていただきました。

私たちは、宝物であるみ言をふんだんに
与えて頂いていますから、
そのみ言から力を得て、
更にお父様のように、そのみ言を
実践し、生活化していきたいと思うのです。

基元節2周年まで、
もう1週間を切りました。
お母様がその日を迎えるまでに
どれだけの心情を備えておられるでしょうか。

み言を訓読しながら、
お父様の深刻さ、切実さ、
また、お母様の心情の世界を
相続できる者に
なっていきたいと思います。


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2015年02月24日

夢の中でお父様から「復活論」の講義指導を受ける! 《開拓伝道の証し、長谷川ママの場合(後篇)》



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☆1965.2.7御聖誕日in Tokyo☆


真の御父母様御聖誕日おめでとうございます



“相手を生かさなければならない”
という切ない神様の心情があれば、
神様は、私たちのいかなる問題をも
克服させてくださるのです



長谷川みつえさんの証しの続きです。


別の家にも、私は招待されました。
その家を訪問すると、
「先生が、お独りでご苦労していらっしゃるので、
献金しようと思って待っていました。
それに、お祝いのお食事をしたかったのです。」
と言うのです。

私たちが、神様にすべてをゆだねて信じていけば、
神様は私たちを困らせないのです。
私は、その家から多くの献金を頂き、
おいしい食事もごちそうになりました。
それで、大きな黒板をもう一つ買うことができたのです。

そして、そのかたを中心に、
福岡では大勢のかたがみ言を聞くようになりました。
時には、神学科を卒業した副牧師をしている女性から、
祈祷会に誘われたこともあります。

その女性の家を訪ねると、
おふろまでわかして待っていてくださいました。
おふろに入った後、ごちそうが用意してあり、
「先生、まず召し上がってください。
元気になられてから、お話を伺います」
と、言われるのです。

そのとき私は、広島を独りで開拓している
桜井節子さんのことを思い出し、
胸がいっぱいになりました。
“桜井さんは、果たして食べるものがあるのだろうか?”
と思うと、涙があふれてきました。

そのころ、大阪では松本道子さん、
名古屋では神山裕子さんが、
開拓の道を歩んでいたのです。

私があまりにも涙を流すので、その女性は不思議に思ったのか、
私が泣いている理由を尋ねるのです。

私は、「私はこのように恵まれていますが、
ほかの兄弟姉妹たちは、食事をしているかどうかも分からないのです」
と、お話しすると、とても驚いていました。

その女性から最後に、
「私は、イエス様をお迎えするような思いで、
あなたを迎えました。」
と、言われたのを聞いて、本当に責任を感じました。

もし、イエス様であれば、
この家をどのように訪問されたでしょうか? 
そして、どのように生命に責任を持たれ、
どのような恵みを与えたでしょうか?

そのようなことを思うと、自らの足らなさが申し訳なくて、
泣きながらその家のために祈りました。


私がみ言を語れるようになったのは、
ある一つの体験があったからです。
そのころは、「ノートを見て語ると、神様の権威が落ちる。
ノートを見ずに『原理解説』だけで語ったほうがいい」
と、教えられていました。

そのため、講義をするためには、
講義内容を暗記しなければならなかったのです。
み言を伝えるために伝道するのですが、
伝道すれば、講義をするのは私以外にはいません。

今のように講義のビデオがあったり、
だれかが講義をしてくれるのでもなく、
自分が全部、講義しなければなりませんでした。

ある人に、講義をしていたときのことです。
その人に私は、二日目に「堕落論」、
三日目に「メシヤ論」を講義しました。
四日目は、「復活論」を講義しなければならなかったのです。

そのためには、徹夜で勉強しなければなりません。
ところが、毎日のように徹夜する日が続いていたので、
そのときは、疲れ果てていました。

それで私は、「天のお父様、十分間だけ寝かせてください。
それからまた勉強します。」
と、天にお願いして休んだのです。

ところが、私は机に座ったまま眠り続けてしまいました。
すると、どうでしょうか? 
夢の中に真のお父様が現れて、
「復活論」を私に教えてくださるのです。

私が、「はい!」と言うと、天から黒板が飛んで来ます。
そして、真のお父様が、
「復活とは、再び生きることである。
再び生きるということは、
その前提にまず死がなければならない。
同時に“生”という問題がなければならない。」
と、おっしゃるのです。

そして、生の定義、死の定義、それから復活について、
さらに地上人の復活と霊人の復活をすべて、
夢で真のお父様が私に教えてくださったのです。
それで、勉強をしなくても、すべて理解することができました。

私は、十分間のつもりでいたのですが、
なんと朝方まで眠っていたのでした。


“相手を生かさなければならない”
という切ない神様の心情があれば、
神様は、私たちのいかなる問題をも克服させてくださるのです。
開拓伝道をする中で、たくさんのことを学びました。

その当時は、真のお父様から直接、
み言を受ける時代ではありませんでした。
ですから、『原理解説』と『聖書』が私たちの糧であり、
開拓伝道の支えだったのです。

福岡に教会を立てることができ、
十二人ほどの食口を伝道しました。
その後、私は再び名古屋教会に異動することとなったのです。



本当に素晴らしい証しです。
証しを読みながら感じました。

この時は、お父様が夢に出てこられたけれど、
今はもう、お父様は夢に現れて、
指導してくださらないだろうか・・・
いや、そんなはずはない。
長谷川婦人のような歩みを、
今こそすべきではないだろうか、
そうすれば、神様が、お父様が、教えてくださるに違いない。

「“相手を生かさなければならない”
という切ない神様の心情があれば、
神様は、私たちのいかなる問題をも克服させてくださるのです」

今日は、御父母様の御聖誕日です。
そんな記念すべきこの日を出発点としながら、
上記の言葉を肝に銘じていきたいと思います。


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2015年02月23日

ここに初めて神の子が来た! 《開拓伝道の証し、長谷川ママの場合(前篇)》



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☆今月福岡市内で行われた230組が参加した祝福式☆


“ここに神の子が来たんだ”
“この人たちをいかにして
天に帰すかが、私の責任だ”
という思いが込み上げてきました。

福岡に着いて一日目から
涙を流しながら訴えたのです



今日は教会初期に導かれ
開拓伝道などで、ご活躍された
長谷川みつえさんの証しを紹介します。

1962年8月7日から88日間、
福岡で開拓伝道をした時の内容です。
キリスト教会も訪問されながら、
初日から路傍伝道もされました。
「天はキリスト教会だけでなく、
大衆にも救いのみ手を
伸べていらっしゃる」そんな動機でした。


路傍伝道するとき、最初にそこにいた靴磨きのおばさんや、
バナナのたたき売りのおじさんに、
「すみません。私は人々の救いのために、
神様のみ言を伝えなければなりませんので、
この場所を少し貸してください。」
と、お願いしました。

すると、「いいよ。私たちも聞いているから、一所懸命に話しなさい。」
と言って、快く受け入れてくれたのです。

私は、そのときはメガホンで、
「親愛なる皆様!」と言って、
向かい側の通行人にも聞こえるような大きな声で叫びました。

“汝らの聖なる声の届くところ、サタンが退く。”とか、
“大きな声ほどいい。”と教えられていたので、
できる限り大きな声で訴えたのです。

そのとき初めて、“ここに神の子が来たんだ。”という自覚とともに、
“この人たちをいかにして天に帰すかが、私の責任だ。”
という思いが込み上げてきて、涙がぽろぽろ流れてきました。

このように、福岡に着いて一日目から涙を流しながら訴えたのです。


その夜は、ある教会の礼拝堂を借りて休みました。

伝道するためには、早く、安くて落ち着ける場所を
探さなければなりませんでした。
そうしなければ、いい人と出会っても、
み言を語って教育することができないからです。
そこで、ある不動産屋に飛び込みました。

不動産屋の人は、私に“人助けの神様”と呼ばれている
おばあさんを紹介してくれました。
それで、その人を訪ねて行くと、
そのおばあさんは目を丸くして、
私を上から下までじろじろと見詰めるのです。

私は、「おばあさん、最低の部屋でいいんだけれど、
空いている部屋はありませんか?」と、尋ねました。
「あるよ。」と言われたのですが、
そこは一畳の部屋で、周囲がすべてベニヤ板で囲まれていました。

その部屋の賃貸料は、百円で安かったのですが、
万年床で、しらみがいるような所でした。
乞食のような日雇い労働者が、
生活に困って訪ねて来るような所だったのです。

私は、どうしてもそこに泊まる気がしなかったので、
どうしようかと思い、ちゅうちょしていると、
おばあさんは、「では、私の部屋に来て寝なさい。」と言うのです。

その夜は、そのおばあさんのベッドに私が寝て、
おばあさんがベッドの下で休みました。
このように、そのおばあさんは、とても私によくしてくれたのです。

ある日、おばあさんは、「あなたはいつも帰りが遅いから、
あなたを待っていたら私が眠れないので、
あなたの部屋を作ってあげましょう。」と言うのです。

そうして、おばあさんは、庭の一角に三畳ほどの
私の部屋を作ってくれたのです。
日雇いの人が、おばあさんの管理する部屋に泊まっているので、
私の部屋は、あっという間にでき上がりました。

室内には、本を並べる棚や、机の代わりになる
木の箱を準備してくれました。
そして、布団も一組、用意してくれたのです。


そこで私は、あるだけのお金をはたいて、大きな黒板を購入し、
毎日、歩き回りながら伝道しました。

最初の十日間は、全く結果が出ませんでした。
それで泣きながら、毎日、教会を訪問し、路傍で叫んだのです。

そのときの私の慰めは、自分の食べる一つのパンを半分、
ホームレスの人たちに分けてあげ、一緒に
パンを食べながら話し合うことでした。
私が一所懸命に路傍伝道していると、
その人たちが手をたたいてくれるのです。

また、通行人が路傍で私の話を聞いて、
「おばさんは、りっぱな話をするな。おれは感心したよ。
これをあなたに献金するよ。」
と言って、献金してくれた人もいました。


十数日間、毎日、教会を訪問しても、
み言を聞いてくれる人がいません。
そのようなとき、ある人からクリスチャンが経営している喫茶店で、
朝食祈祷会があると聞き、そこを訪ねてみることにしました。

そのとき、私はなぜか、その朝食祈祷会で
祈祷することになったのです。
そのとき、霊界から押し出されたように、
泣きながらお祈りをしました。

祈りが終わると、数人が私の所にやってきて、
「あなたの祈りに聖霊を感じました。
どうか私の教会の祈祷会に来てください。」
と、誘われたのです。

熱心なクリスチャンは、家庭集会に私を呼んでくれました。
そこで、私は家庭集会に行き、
「実は、お願いがあります。
私がここに来たのは、クリスチャンの皆様に、
神様が聞いてほしいと願っていらっしゃることを
聞いていただきたいからです。」と、お話ししたのです。

そこでみ言を聞いたある親子は、
すべての物を持って来て献身的に協力してくれました。
そのかたは、今は、昇天されましたが、
私はこのかたのことを今でも忘れることができません。



開拓伝道をされた先輩たちは、
本当に切実な思いで過ごされたに違いありません。
その切実な心情に神様が導いてくださり、
新しい生命が復帰されていきました。

その土台の上に、今の「私」がここにいるということに
改めて感謝したいと思います。

明日に続きます。



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