2015年02月22日

今年は多く活動した方がよい年?! 天一国3年、真のお母様の新年のみ言



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乙未年、青陽の年ですね?
青いというのは清く澄んでいるという事
そしてこの羊の年は
たくさん動かなければなりません




新しい天暦の2015年がスタートしました。
週刊ブリーフィングに
真のお母様を中心とする
天一国3年元旦記念午餐の様子が
紹介されています。



天一国3年元旦を迎え、真のお母様をお迎えする中、
中心指導者たちと食口たちが集まり、
新年のあいさつを捧げました。

去る天暦1月1日、天正宮博物館で
約200名の食口たちが参加する中、
真のお母様のご健康と天一国3年勝利を
祈願する時間を持ちました。

真のお母様は、食口たちの健康と幸せを祈りながら、
新年のみ言を語られました。
以下、お母様のみ言です。



乙未年、青陽の年ですね?
青いというのは清く澄んでいるという事を言います。
そしてこの羊の年はたくさん動かなければなりません。

一つの場所に座っていたり定着しているよりは、
活動を活発にしなければならない青陽の年です。

皆さんの使命完遂のために総力を傾けますね?
(はい)

そして家庭の平和と皆さん自身が清い水となって
周りを清くきれいに浄化する、
統一家全世界祝福家庭の皆さんと
なられることを懇切に祝願致します。



その後、食口たちと共に歌を歌われるなど、
和動の時間を持たれました。
参加者たちは真のお母様のみ言を胸に、
ビジョン2020勝利のために、
より高く飛躍する一年とすることを決意しました。
そして真のお母様をお迎えし、
ユンノリをしながら和合の時間を持ちました。

週刊ブリーフィング2月21日号より
↑ こちらから動画をご覧ください



私たちの教会も
昨年1年間は、たくさん動いた1年でした。
そして、教会長・韓国婦人会長が
全国の研修会でも証しをされて、
多くの方が刺激を受けました。

お母様のみ言の如く、
全国でも動けば、日本の霊界は、
もっともっと変わっていくに違いありません。

ある教会の教会長さん(韓国牧会者)は、
駅前で韓国語の原理講論をずっと訓読されています。
その写真を送ってくださいましたが、
聞いている方たちは、地元の市民の方かと思っていたら、
何と食口でした。。。

食口に向かって、み言を訓読されていたのです。
実際に、駅には人通りが少なく、
乗降客も少ないそうです。
それでも、そういう姿勢、
そういう心情に神様が働くと思います。

私も駅前で演説をしても
聞いている人はほとんどいません。
でも、宣布することが重要なのです。

「たくさん動かなければなりません。
一つの場所に座っていたり定着しているよりは、
活動を活発にしなければならない」
とお母様が語られているように
もっともっと動いていく1年にしていかないと
いけないと肝に銘じたいと思います。


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2015年02月21日

(証し)「文先生が無事、帰ってきました!」 興南解放直後、平壌で 《金元弼先生》



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お父様の愛の基準は、
自分を愛してくれる人を
愛するという愛の基準ではなく、
自分から離れていった人への愛です



教会創立43周年のときに
金元弼先生にインタビューした内容がありますので、
紹介します。
統一教会創立以前、お父様が興南から
解放された時の証しです。


1948年2月22日に、お父様は再逮捕され、
5月20日には興南の収容所に移され、
そこで2年5ヵ月間、強制労働をされました。

この期間、多くの食口たちは、お父様から心が離れてしまいました。
そのことについて、お父様は私たちの報告を通してもご存じでしたが、
霊的にも感じ取っていらっしゃいました。

それでも、お父様は平壌におられたとき、
毎日食口たちのために三回お祈りをしておられたのと同様に、
多くの食口が離れていることを知りながらも、
収容所のなかで一日三度、祈祷されたのです。

1950年10月14日、お父様は興南収容所から解放されて、
平壌に来られました。
そのとき、お父様はすぐに食口たちを訪ねられたのです。
どうしてもお父様が会えないときは、私が代わりに会いに行きました。

そのとき、お父様が伝えるようにと言われた内容は、
「文先生が無事、帰ってきました」という一言でした。
皆さんは、その言葉がどのような意味を持つのか、
よく分からないかもしれません。

お父様が、そのように言われたのは、お父様から食口の心が離れたのは、
「先生が食口たちとともにいてあげることができなかったからだ」
と思っていらっしゃるからです。
すなわち、食口が離れてしまったことを、
自分の責任であると考えておられたということです。
ですから、収容所でも祈られ、平壌に戻ってからも直接、
食口たちを訪問されました。

また、もう一つ重要なことは、短期間であったとしても、
彼らはお父様に侍り尽くしたという功績はあるということです。
その功績だけでなく、先祖の功績があったがために、
お父様と因縁を持ったのです。

これらの功績が残っています。
そのような場合、お父様は離れていった食口であっても、
完全に切ってしまうことはできないのです。
善なる神様、善なる親は、
善を保護しなければならない責任があるのです。

仮に、離れた食口が、お父様に反対するようになったとしましょう。
そして、その食口が悪の実績を積むことによって、
先祖や自分の善の実績をすべて食いつぶしたとします。
そのときお父様は、その人との関係を切ることができるのです。
神様は、悪に対して守る責任がないからです。

お父様は自分から離れていった食口に対して、
愛し尽くされた実績があります。
ですから、その食口が離れていっても、
お父様の実績が残っているのです。
お父様の愛の基準は、自分を愛してくれる人を
愛するという愛の基準ではなく、
自分から離れていった人への愛ですから、高い愛の基準です。

お父様にその愛の基準があるので、たとえ食口が離れても、
それに相対する人が現れるのです。
それが原理です。
前に愛し尽くした人よりも、
さらに素晴らしい人が現れてくるのです。

それで、お父様は平壌を離れて、
釜山やソウルにいらっしゃったときには、
平壌でお父様に従ってきた人よりも、
もっと良い人がお父様につながってきたのでした。
ですから、尽くした善は、失うことはないのです。
十尽くせば、十の相対が現れ、
千尽くせば、千に相対する人が入ってくるのです。

ですから、お父様の業績や過去にあったことを見るときに、
平面的に物事をとらえると、お父様を理解することが
できないということが分かるのです。

お父様が私たちに、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を
主張される理由は、どこにあるのでしょうか? 
お父様が私たちに絶対信仰、絶対愛、絶対服従しておられるから、
そのように言われるのです。

お父様がそのようにされずに、
私たちだけに絶対信仰などを要求されるとするならば、
お父様は真のお父様とはいえません。

私たちが、たとえお父様を裏切ったとしても、
お父様は私たちを絶対信仰、絶対愛、絶対服従
していかれるということです。
人間始祖は神様に対し、
絶対信仰、絶対愛、絶対服従することができませんでした。

しかし、神様は唯一、永遠、不変の絶対者ですから、
人間に対して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従してこられたのです。
ですから、人間の救いが可能なのです。
そのような基準を神様が立ててこられたことを、
お父様はご存じでいらっしゃるのです。

それで、お父様は神様に対して、
絶対信仰、絶対愛、絶対服従されたように、
私たちにも絶対信仰、絶対愛、絶対服従しておられるのです。



金元弼先生は、1928年平壌でお生まれになりました。
1946年、18歳のときに統一教会に入教されました。
お父様が北朝鮮におられるときに導かれた
数少ない中のお一人です。

真のお父様が食口一人ひとりに対して、
絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準で接してくださった
ということが、この証しによく表れていますが、
それは、神様が人間に対して、
絶対信仰、絶対愛、絶対服従してこられた、
それをお父様が実感しておられたからだと思うのです。

興南解放のとき、実家に戻ることなく
平壌の食口を訪ねていかれたのも、
すべてが自分の責任として、神様が人間にされるごとく
絶対愛で接してくださったのでしょう。

興南に入られたこと自体も
ご自身の責任でないにも関わらず、
「自らの責任」として、受け止めていかれた
真のお父様でした。

私たちも神様が、そしてお父様ご自身が
私自身に対して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で接し、
見つめておられることをもっと意識して
相続できる者になっていきたいと思います。



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2015年02月20日

一人の義人が立てられるまで?! 既成教会との霊的綱引きに勝利!! 《伝道の証し:櫻井先生の場合》


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あわれみぶかい人は幸い
その人は
あわれみを受ける
マタイ5・7


今、日本に、世界に、かつてのパウロのような
義人が現れることが願われていると思います。
パウロは、イエス様の十字架以後
ステパノの殉教を条件として導かれたと言われます。

統一教会には、特に草創期から活躍された方の中には
「義人」ともいうべき傑出した先輩たちがおられます。

たまたま、櫻井会長が聖和されたとき、
霊の親の方が証しされている文章を見つけました。
少し編集して紹介します。



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櫻井先生はクリスチャンでした、
当時、会社を辞めて
「既成教会の牧師になろう」
そう決めているときに伝道されました。

櫻井先生はとても素直な人で
友人を通して教会の紹介をされた時、
「統一教会から霊の親を救ってあげないといけない」
そう思ったそうです。

まだ1960年代のことでしたが、
当時も統一教会の反対情報がありました。
森山諭牧師などが統一教会を異端視していたのです。

それで、「会いましょう」ということになり、
統一教会の人に会うことになりました。
霊の親もまだ献身前で
いろんなこと分かっているのではありませんでした。
でも一度聞いてくださいと言われ、
「ハイ分かりました」と教会に行く約束をしたのです。

実は、最初に教会に来たときに
講義を受けたのが、小河原節子さん(後の櫻井夫人)でした。
いろいろありましたが、40修に行く決意をしました。

ところが、その40修に来るべき時に来なかったのです。
電話をしたら、大きな飛行機事故があり、
櫻井先生の会社の人も乗っていたということで、
急きょ最後の仕事をやってくれないかと言われて、
そちらをやったのでした。

またその頃、櫻井先生が通っていた教会の人も
統一教会に行かないように祈祷していました。
彼らはこのことで、「私たちの祈りは神に聞かれた」と思ったといいます。

霊の親の方も献身前だったのですが、
「これはいったいどういうことか」
と神様とイエス様に尋ねて行かないといけないと思い、
祈祷条件を立てました。
しかし、神様からは何の返答もありません。
こうなったらと無期限断食を始めて、祈祷始めました。

そうしたら、ついに神様とイエス様が現れたのです。
「彼(櫻井先生)が再臨主の道を行くようにするんだ」
という夢だったそうです。
さらには、霊の親も知らない旧本部教会に
作業服を着たお父様がいらっしゃって、
そこに櫻井先生も入って行くのをイエス様が見せてくださいました。

そのあと櫻井先生に電話をしました。
「イエス様に教えられませんでしたか」と聞きました。
櫻井先生は、「この原理が、本当に神様あなたから出たものか教えてください」
と祈っていたといいます。
さらには、「(イエス様に)教えられた」
と答えて、40修に出られました。

そのあとは、ご存知の通り、統一教会に入教し、
献身されて、すぐに仙台に開拓伝道に行かれました。
その3年後に最初に講義を受けた小河原節子さんと
祝福を受けられたのです。



霊の親は、あきらめずに無期限断食条件を立てて
継続して祈っていかれましたが、
櫻井先生が40修に出るとき、
向こうの教会の人たちは
「神様が祈祷を聞いてくれなかった」
として、祈祷をするのを止めたそうです。

櫻井先生は、高校の時、特待生で
主席で卒業されたといいます。
優秀な成績で上場企業に就職されました。

祝福を受けられたあと、
地区長や本部の伝道局長などを歴任され、
第5代の会長になられたことは
ご存知の方も多いと思います。

このような人を導くために、
霊の親が真剣な条件をたてていきました。
さらっと語られていますが、無期限断食など
そう簡単に立てられるものではありません。

私たちも一人の生命を天に導くために
そのような真剣な歩みを相続することを
願われていると思うのです。


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櫻井 設雄:1939 年10 月25 日 〜 2011 年11 月20 日午後10 時48 分(享年72 歳)
 1969 年に43 家庭の祝福を受けられ、日本統一教会の第5 代会長(1995 年6 月7 日〜1996 年6 月26 日)として務められました。
 聖和された日は、天暦の10 月25日(誕生日が陽暦の10 月25日)、聖和に際し真の御父母様は、「祝 親君王拝 櫻井設雄入国」と揮毫してくださいました。


櫻井先生関連の記事
 聖和された櫻井元会長が語られた文先生の証し1
 聖和された櫻井元会長が語られた文先生の証し2「背中が熱いなぁ」




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