愛という言葉の持つ、
限りない意味を尽くして、
皆様を愛します。
真のお母様
日本食口へのメッセージ
☆
限りない意味を尽くして、
皆様を愛します。
真のお母様
日本食口へのメッセージ
☆
真のお父様は、全国8箇所に聖地を定められました。
ちょうど50年前の今日2月8日は、
北海道に聖地を決定された日です。
雪の積もる札幌円山公園を雪掻き分けながら
聖地を決定されたお父様のお写真のお姿がとても印象的です。
夕方4時頃、北海道神宮に行き
大先生が腰までもある雪の中を
先頭に立ってラッセルされ、
純白の雪の中で聖地を決定された。
「文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み」
歴史編纂委員会編 より
少し戻りますが、1月28日お父様が来日された際の、
先生方の挨拶と、参加された方の証しがありますので、紹介します。
☆
崔奉春宣教師(西川先生)の挨拶
「私も、この一日のために生きてきたような心情です。
…今日、この日を迎えてみますと、私として
ひと区切りをつけたような嬉しさでいっぱいであります。
『これは、言葉に言い表せない』、
その言葉が適当であると思います。
先生の強い、また深い心情でもって接して下さるこの瞬間、
兄弟姉妹が深い心情で、熱い涙で応えるこの瞬間、
美しいものがこの地上にあるならば、
これをおいて他にあるでしょうか。
尊いものがこの地上にあるならば、
これをおいて他にあるでしょうか。
本当に、今この世に生まれて来て良かったという気持ちで、
私自身いっぱいであります。
今日この日を、歴史的な一瞬として、
私たちは強く正しく愛と真で生き抜いて
…必ず勝利を得て、日本民族の面目を立て、
私たちの責任分担の最善を尽くさなければならない覚悟を、
今、更にするものであります。」
(『成約新聞』より)
☆
崔元福先生の挨拶
「泣けて、泣けてしようがありません。
今夜は限りなく泣かせて頂きたい気持ちです。
皆様の前に立ちまして、本国にいらっしゃる
御母様の愛と真と情けをお伝え致します。
『愛という言葉の持つ、限りない意味を尽くして、皆様を愛します。
お供ができなくて遺憾に思います』。
…今日の温かい出迎えを心より感謝致します。」
(同上)
☆
金永雲先生の挨拶
「大先生が、お話の中でおっしゃったように、
地理的には1時間半しかかからないのに、
大先生は玄界灘を越えるのに、
5年間かかったとおっしゃいました。
…皆様は、言葉の限界を越えて、
先生の心情に触れるときに、
泣かずにはいられないでしょう。
…どうぞ皆様は霊のまなこを開いて、
先生を見、霊の耳を開いて、
先生の言葉を聞き、皆様の心情から、
先生を理解なさるように、
そして先生の偉大なところを引き継ぐよう…」
(同上)
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藤井真由美さんの証し
「1月28日、御父様は
『今日皆さんに会いまして、
先生として皆さんの御苦労を誉め讃え、
涙ながら、これで良いと誉めたいけれども、
一言、戦って疲れている君たちを前にして言いたいことは
…十字架を負え! 死のところへ行け!』
とおっしゃって、突然、嗚咽とも号泣とも
表現できないお姿を拝見したのです。
私の人生においてそれ以前にも、それ以後にも、
そのような姿に遭遇したことはありませんでした。
御父様が神様を思う御心情、そして日本食口を思う御心情に触れ、
自分の心臓が、その瞬間、止まるほどのショックを覚えました。
それまでの私は、入教して1年半の月日が経過しておりましたが、
神様を思い、真の御父母様を思い、
まだ救われない多くの魂を思う情が足りなく、
当時、早稲田大学の学生としてキャンパス伝道をしておりましたが、
毎日、鉛を引きずるような思いで伝道活動をしていました。
(しかし)真の御父様の初めての御来日を通して、
新生復活の御恵みに与かることができたのです。」
(『ファミリー』1992年11月号より)
☆
『真のお父様は今から50年前の同じ時間
日本に滞在しておられていたのだ・・・』と思いながら、
皆様もこの期間過ごしておられると思います。
お父様が私たちに言いたい事は何でしょうか。
戦って疲れていると分かっていてあえて、
泣きながら搾り出すように叫ばれた言葉に表れていると思います。
「…十字架を負え! 死のところへ行け!」
時代は変わったとしても、今も、命懸けの犠牲をいとわない
私たちの精誠を願われていることでしょう。
またそうするしか、私たちが共に天一国に入ることはできないのです。
霊界からの、そんなお父様の声にならない声を感じつつ、
今、このときを過ごしていかないといけないと思わされています。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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