2015年02月13日

(証し) 炎の伝道師、松本ママ導かれる! 成約のマナ、御聖婚式のお料理を頂いた人



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☆左端が松本ママ 右端が西川先生☆


「あなたは、神がいると思いますか?」
と尋ねました。
西川先生は下を向いて、
「神は生きています」
と答えるのです。



日本宣教50周年を振り返りながら、
西川先生がお父様の命を受けて、
生命をかけて日本宣教を出発した、
その功績の大きさに改めて感謝しました。
それと同時に、松本ママの存在も
大きなものであると感じます。

松本ママの名古屋開拓の様子は、
先日も紹介しましたが、
今回は、導かれたときの証しを紹介します。


1960年4月のある日でした。
私が教会に鍵を返しに行ったその時、
西川勝先生(崔奉春宣教師)が、牧師を伝道に来ていたのです。

私は牧師に、
「結核になりました。
入院しなければならないので、この鍵をお返しします。
誰が適当な人を選んで、その人にやってもらってください」
と言いました。
すると牧師は、
「松本さん、悲観しなくてもいい、大丈夫だ。
神様があなたのような人を見捨てるはずがありません」
と言って、私を慰め祈ってくれるのです。

それから牧師は、
「素晴らしい先生を紹介します。
この人は素晴らしい宣教師です」
というので見ると、ジャンパーによれよれのズボン、
奇妙な髪型をしていて乞食のような痩せこけた骨と皮の男がいました。
「骨川皮之介」、「骨川筋之介」です。
私は宣教師といえば、立派なダブルの背広を
着ている人を想像したので、なんだ貧弱な青年であると思いました。

でも、私はセールスを4年もやっていたので、
挨拶した後で西川先生に
「あなたは、神がいると思いますか?」
と尋ねました。
西川先生は下を向いて、
「神は生きています」
と答えるのです。

「私は長いことクリスチャンですが、神を見たことがありません。
神はどこにいますか?」
と尋ねると、牧師が
「まあ、それは松本さん後で聞けばいい。
実は西川先生が私をお昼に招待してくれたのです。
一緒に行きませんか?」
と言われました。

西川先生も
「あなたも一緒に来てください」
と言いました。
そのころ、西川先生は町工場の事務所を夜借りて講義し、
昼はそこで働いて、日曜日に矯風会館を借りていたころでした。
事務所に移ったばかりなので来てほしいと言うのです。

行く道々、私は西川先生にいろいろと質問しました。
すると西川先生は、
「私はあなたが目で見るごとくに説明することができます。
聖書原理というものがあるのですが、聞いてくれませんか?」
というのです。

終末について西川先生に尋ねると、
「聖書には『時の景色を見よ』と書いてあります。
今、世の中は道徳は廃れ、人々は戦争の準備をしています。
今や核戦争が行われようとする時代です。
メシヤが核戦争が済んだ後に来たとすれば、誰を救うのですか。
聖書には、そのように記しています。
本当に再臨主は来ます。
私はあなたの納得の行くように話すことができます」

私は、そのような話を聞いて心の中で、
「これは素晴らしい人を見つけた。
誰にも言わないで、私ひとりでこっそり聞こう」
と、宝物を見つけたような気がしたのです。
西川先生はその時、心の中で私を伝道しようと思ったはずです。


事務所に着くと、西川先生は一つの包みを持って来て、
「みなさん、この中に食事が入っています。
これは天から来たマナです」
というのです。

「ああ、牧師だから聖書の言葉を使うのだ」
と思っていると、最後にふたを開ける時に、もう一度
「皆さん、これは天から来たマナですから一つも落とさずに、
おいしく召しあがってください」
と言うのです。

「これは、どこかのクリスチャンがプレゼントでもしたのかな」
と、自分なりに解釈していたのです。
ふたを開けると、それは韓国の婚姻料理でした。
「アメリカヘ行く宣教師が、羽田で渡してくれたものです」
と、西川先生は言われました。

友達の結婚式と思ったのですが、
それはとても意味のある料理だったのです。
大先生(真の父母様)のご聖婚式(1960年陰暦3月16日)のお料理でした。
それを大先生は、西川先生にも一つ届けて下さったのです。

私は(新約)教会の鍵を牧師に返して、
すぐに成約の肉のマナを食べ、性相的なマナであるみ言を
そのすぐ後に食べたことになります。
翌日、聖書原理を聞かせてくれるというので、
私はその日はそのまま帰って明日を待ちました。


「あの青年は変わっている。神がいるなら本当に私は聞こう」
と、楽しみにして翌日、さっそく出掛けて行きました。

西川先生は私と和動して、私がイエス様の話ばかりするので、
救世原理から講義を始めたのです。
「メシヤ降臨と再臨の必要性」の講義です。
私はその講義を聞いて、本当に驚きました。

十字架は人間の罪を赦すための神の予定であると思っていたのですが、
全然違うことを言うのでした。
もっと驚いたのは、講義をする西川先生は
汗を流しながら全身全霊を尽くし、
目はらんらんとして輝かせ涙を浮かべながらも、
顔はピンク色に輝いていたことです。

聖書を叩きながら、
「アバ父よ。願わくは、この苦杯を取り除き給え。
四千年の歴史をかけてやって来た私が
使命を全うせずに行かなければならない」
というクライマックスは、すごい迫力で講義するのです。

聞いている私は、
「この青年の年齢は丁度33歳くらいである。
イエス様の生まれ変わりではなかろうか。
今、昔の恨みを私に言っているのではないか」
と思ってしまいました。


私は勇気を出して西川先生に、
「すみません。ちょっと質問します」
と言ったのです。
「あなたは一体誰ですか? 
あなたはどこから来たのですか?」
と質問しました。
この人は、サタンかイエス様かと思ったからです。

すると西川先生は、
「私が誰であるか。あなたは祈ってみなさい」
と言われました。
講義が終わり家に戻って一生懸命に祈ったのですが、何の答えも来ません。
それですぐ翌日、牧師の所へ行って今までのことを全部話すと、
「とんでもない。
天使のごとく装ってサタンが来ます。
そんな言葉を聞いてはいけない」
と言われました。

そのとき私は、
「サタンであるならやっつけてやる。
しかし、サタンがあれほど熱心に講義をするだろうか? 
とにかく最後まで聞いてみよう」
と思ったのです。
(「先駆者たちの証言」殉教精神で開拓伝道に 松本道子 より)



松本ママ(松本道子さん)は、韓国の方です。
本名は「゙正道」といいます。
もう子供はできないと思っていたのに、
十年ぶりで生まれたので、
お母さんは良い名前をつけようとしたのですが、
男のような名前だったので、松本ママは嫌いだったそうです。

日本に来て、日本名にしなければいけないので、
「道」に子をつけて「道子」、ご主人が松本なので
「松本道子」と名乗ったのだそうです。

その後、真のお父様はこの名前(゙正道)を見て、
「(あなたは)お腹の中から伝道しなければならない」
と語られたそうです。

セールスレディーとして、4年間訓練され、
トップセーラーになった土台で、この道に導かれ、
たくさんの方を伝道していかれました。
まさに、「正しい道」に導いていかれたのでした。

明日に続きます。


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