「西川先生は偽者ではありませんか?」
「松本さん、神様を信じられない人に神を教え、
真の清い人をたくさんつくったら、
神様が『地獄に行け!』
と言われるのであれば、
喜んで行こうではありませんか。
そこが天国です」
「松本さん、神様を信じられない人に神を教え、
真の清い人をたくさんつくったら、
神様が『地獄に行け!』
と言われるのであれば、
喜んで行こうではありませんか。
そこが天国です」
☆
西川先生と出会い、講義を聴き始めた
日本統一教会の母、松本道子さんでしたが──
松本ママの証し後半です。
☆
その後、「創造原理」と「堕落論」を聴いたのですが、
「堕落論」を聴く前に私は夢を見ました。
電信柱のように大きな蛇が二匹闘っていると、
蛇が蛇を産んでそこらじゅうが蛇だらけになってしまうのです。
もう足の踏み場もないほどですから、
私は恐ろしくなって「この蛇を焼いてしまえ」と叫んだのです。
するとだれかがやって来て、火で焼いてしまうのです。
蛇は焼かれて灰になりました。
韓国の白い服を着た男性が、その灰を掃いているのです。
私はその出来上がった道を歩きながら、
「ああ、あの人が焼いてくれたんだな」と、
感謝の思いで見ながら行くのです。
私はその夢を隣で寝ていた兄に話すと、
「縁起のいい夢を見た。宝くじを買え。きっと当たる」
と言って喜ぶのです。
私は兄が言うような夢ではないと思ったので、
急いで西川先生の所に行って夢の話をしました。
西川先生は、
「その夢は深い意味があります。
これから『堕落論』を講義するので、その夢の意味が分かります」
と言って、「堕落論」の講義を始めました。
「堕落論」を聴いて驚きました。
髪の毛がよだつほどでした。
私の中に、嫉妬心、猜疑心がある理由がよく分かったのです。
私の血統の中に、蛇の血が流れていることがよく理解できたのでした。
私は泣きながら、
「天のお父様と私は呼ぶことができませんが、
天のお父様、私はあなたの娘になりたいのです」
と祈ったのです。
☆
三日後に入院しなければならない私でしたが、
もうその時から最後まで毎日、
西川先生の所に出掛けて行って受講しました。
そのことに兄は怒って、
「何がプラス、マイナスだ。
お前は入院しなければならないのに、夜中遅くに帰って来る。
お前の顔には死相が表れているぞ!」
と言うのです。
娘も「お母ちゃん、あんな変わったシスター・ボーイみたいな男、
あの人は牧師?」と言って、西川先生を軽蔑しているのです。
兄があの人は密航した男だから警察に訴えるというのです。
私は「あの義人を警察に訴えるなら、もう兄さんとの縁も切ります。
私は兄さんを殺します」
と言ってしまいました。
すると兄が「何?今まで育てて、お嫁にも行かせてあげたのに、
それが兄に向かって言う言葉か!」と言って私を殴るのです。
私は兄さんを殴るわけにはいかないので、兄の箪笥を蹴飛ばしました。
そして、取っ組み合いの喧嘩をしたのです。
「この無礼者、出て行け!」と兄が言うので、
「出て行く!」と言って、
布団とちゃぶ台を頭の上に載せて家を出ました。
西川先生の所に着くと、西川先生は私の事情を聞いて
私を慰めてくださるのです。
その時、私は「私は一生、女中をしてでも西川先生の後に付いて伝道したい!
先生のように黒板をもって伝道したい」と言ったのです。
西川先生も心の中で、とてもうれしかったと思います。
そのとき西川先生は、「ああ、やりましょう」と言われました。
☆
私は「この汚い堕落性をもった私をひどい目に遭わせてください」と祈りました。
どうすればこの堕落性を脱げるかと西川先生に尋ねると、
伝道すれば脱げると言われたので、私はその言葉を信じて祈りました。
「天のお父様。
私はこれから伝道します。
堕落性を脱ぎます。
もし私が途中で伝道をやめ、手を鍬にかけて
後ろを振り向くようであれば、
私を地獄の十二丁目まで行かせてください。
もしあなたを裏切るようであれば、
地獄の最も深い所へ千年も万年も閉じ込めてください」。
このように祈って、伝道を始めたのです。
このとき西川先生は、黒板を作ってくださいました。
私は西川先生に、「先生、本当のことを言ってください。
先生は偽者ではありませんか?」と尋ねたのです。
すると西川先生は、「松本さん、よく考えてごらんなさい。
神様を信じられない人に神を科学的に教え、
『堕落論』を通じて真の清い人をたくさんつくったら、
神様が『お前、地獄に行け!』と言われるのであれば、
喜んで地獄に行こうではありませんか。そこが天国です」
と言われました。
私はその話を聞いて納得したのです。
牧師は、西川先生のことをサタン呼ばわりしたのですが、
西川先生のその一言で私の心は定まりました。
「私は行きます、天のお父様。私を殉教させてください」
と、決意を固めたのです。
そのとき、西川先生は私の手を握って祈ってくださいました。
私は死んでもこの道を行くと誓って、
開拓伝道に出発する前に三日間断食をしながら、
殉教精神で1960年8月16日、
黒板を肩に掛けて増田勝さんと初めて伝道に出発したのです。
☆
このあと、松本ママは神宮外苑で
40日の開拓伝道に出発されます。
その時には、実りはありませんでしたが、
先日、紹介したように名古屋で基盤を築かれ
また、各地で多くの人を導いていかれました。
櫻井(小河原)節子さん 小室宏之先生
長谷川(竹内)みつ江さん 周藤健先生
神山(岩井)裕子さん・・・・・
特に、小室先生のあとに、澤浦さん、小宮山さん
そして、久保木会長が導かれました。
久保木会長を通して、さらに教会の基盤が確立し、
宗教法人世界基督教統一神霊協会が出発したのです。
松本ママは、伝道に出かけるとき、
黒板や聖書はもちろんのこと、
あのノボリを持ったまま、バスに乗り、
名古屋の駅頭に出かけていかれたそうです。
まさに、「命がけの伝道」です。
そういう精神を相続することを
松本ママは、お父様と共に
霊界から訴えかけられていると感じます。
松本道子 : 1916年旧暦1月7日、韓国慶尚南道の片田舎に3人兄弟の末子として生まれる。
韓国名は曹正道。10歳の時、留学中の兄を頼って日本に渡り、以後永住。17歳で結婚、
3人の子の母となり、27歳で死別。化粧品のセールスをしながら子どもを育て、1960年
西川勝氏により、統一教会に導かれる。日本統一教会の初穂である。
2003年10月25日、聖和。真のお父様より「忠心教母」の贈り名を下賜された。
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