2015年03月31日

霊界を動かす鍵とは何か?! ──お父様のみ言は?! 〈信仰の姿勢1〉 



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熱心にやることも大事だが、
100度にはならない。
変化が起こらない。
100度に沸騰させるには、何が重要か。




信仰生活において何が一番重要か、
そして霊界を動かす鍵とは何なのか、
今日は、貴重なお父様のみ言を紹介します。

今月の全国人事で地区長が変わりました。
新しい地区長をお迎えし、集会がもたらされました。
印象に残ったところを、一部編集しました。


私は、地区長という立場を与えられて、
皆さんより多く、お父様にお会いさせていただきました。

お父様はいろいろなみ言を語られました。
ときたま、理解できないみ言もありました。
韓国語で語られているというのは、わかるんですが、
何を話されているかわからないのです(笑)。

ある先輩は、こんな風に言っていました。
「お父様は、4次元、いや5次元の世界におられて
み言を語られているんだ。
これは霊界のみ言だ」(笑)

お父様が語られた中で、
一番印象に残ったみ言がありました。

「信仰において、一番何が重要かわかるか」


お父様はそのように私たちに質問されましたが、
誰も答える者がいませんでした。
そして、お父様は、次のように語られたのです。


「熱心にやることも大事だ。
でもそれだと100度にはならないんだ。
変化が起こらない。
100度に沸騰させるには、何が重要か。
姿勢が問題だというんだね」



お父様は、姿勢が重要だと語られました。
「姿勢」は霊界を動かす鍵 なんだというのです。

それは、み旨に対しての姿勢のあり方です。
真の愛は全てを乗り越えることができるんです。
言われてやるという次元は堕落人間なんですね。
真の愛というのは、神様を真に愛するということなんです。
お父様は、愛というのは、生命に勝ると語られますね。
心情が湧いて生活をすれば、指導する必要がないんです。

愛は全てを超越します。
子供を育てるとき、どうでしょうか。
父母は無限の投入をします。
子供を愛する心、それは神様から頂いたものです。
どんな状況にあっても子供を育てるのに父母はあきらめません。
そこに愛があるからなんです。
これが姿勢というものなんです。



心情の世界を中心として、
人間的な限界を超えて、
神様・父母様を慕うとき、
神様・父母様はどれほど喜ばれることでしょうか。

親が真の愛で子供を愛するとき、
その真の愛の世界を感じた子供は、
親に対して、命がけで孝を尽くします。

私たちもすでに、真の父母様から
愛を受けた立場なのです。
貴いみ言を与えてくださり、
さらには、祝福という計り知れない
恩恵を一方的に与えられている「私」は、
どれだけ、神様・父母様から愛されているでしょうか。

そのことを思った時、
感謝以外に何もないし、
その心情を表すために
父母様に孝行をささげるものになっていきたい、
そう思うのです。

お父様はそういう観点で、
「姿勢が重要だ」
と語られたのだと思います。

明日に続きます。


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2015年03月30日

霊人体の成長は目で見えますか? ──お父様の答えは?! 《史吉子先生》



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そうだ。
霊人体の完成は
愛の完成だよ!




昨日、霊的成長のために訓読生活が
必要であると書きました。

実際に訓読生活、祈祷生活を通して、
私たちの霊人体が成長し、
清まっていくに違いないのですが、
どのように変化しているのか、
視覚ではわからないものです。

私たちが復活すれば、蘇生復活摂理時代には、
霊形体級の霊界に行って生きるようになり、
長成復活摂理時代には、生命体級の霊界、
そして、完成復活摂理時代においては、
生霊体級の霊界である天上天国に行って
生きるようになると原理講論にはあります。

しかし、その霊界の度合い、状態は
目に見て計ることができません。

そのことを率直にお父様に質問された方がいました。
史吉子先生です。

「原理に関するみ言の証」に
そのときの状況が掲載されていました。

史吉子先生は以下のように質問しました。


お父様、私もお父様がおっしゃるように、
私の体の中で、霊人体が成長していると思いますが、
霊人体がどれくらい成長したか、
霊形体が成長して生命体になったのか、
そのようなことが計れる、丁度、体温計のような機械を見て、
成長の度合いをわかることが出来ませんか?



そのように質問された時の
お父様の回答は以下の一言でした。



そうだ。
霊人体の完成は
愛の完成だよ!




一見、かみ合っていないような回答に見えますが、
いずれにしても、愛の完成が重要なのだ、
そのことを強調されたのです。

その後、お父様は、霊人体の復活について
説明してくださったそうです。


お父様は絵を描くように、
霊人体の復活について説明してくださいました。
神の性相は、12種類であるとおっしゃいました。
そして

「人はそれぞれ神様の12種類の性相の中から
一つの性相を持って生まれる。
それゆえに自分と同じタイプの人とはすぐ親しくなり、
愛することができるが、
自分と異なる他の11種類のタイプの人とは型が異なるため、
すぐに愛することができない。

そのため自分がその人に合わせ、奉仕しなければならず、
愛さなければならない。
結局自分と異なる11種類のタイプの人を
すべて愛するようになって、
またその11種類の型の人が全て
あなたを愛するようになれば、
霊人体が完成したのであり、
個性完成、愛の完成が成就されるようになるのだ」


とおっしゃいました。



春夏秋冬の4つのタイプを3つに分けた
12タイプの人間が存在するといいます。
天国には12の門があって、
そのどこの門からも入れなければ、天国には入れないのだ、
とも言われています。
それは、神様の12の性相を表わすものだということは、
12タイプの人間を愛することは、
神様を理解し、愛することになるのではないでしょうか。

霊人体の完成とは、つまり
神様に似た者となっていくこと、ともいえるかもしれません。

霊人体の成長と、愛の完成は直結していて、
愛の完成には12タイプの人を愛すること。
愛の実践、すなわち伝道することが
愛の完成の最も近道であるということを
改めて感じさせていただきました。



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2015年03月29日

訓読して、父母様に会おう! サタン分立のために




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み言の中に生きている
神様に出会いなさい。

本の中で先生に会いなさい。




み言の訓読はどれほど重要でしょうか。
私自身の霊的成長にもなりますし、
同時に、ともにある絶対善霊が復活し喜んでいるのです。

一日3食ご飯を食べることには、意識が強くいきますが、
み言を訓読するということに対しては、
それだけの欲望を持っているかと自分に問い尋ねると
そこまでの思いがあるだろうか、と感じざるを得ません。

本当に霊的に鈍い自分の姿を告白せざるを得ないのです。
ある意味、み言を訓読せずに「断食」しても、
平気で生活している幼い自分の姿があるのです。

自分自身の霊人体は見ることが出来ませんけれど、
もし、み言をおろそかにする自分の姿が見えるとしたら、
愕然としてしまうのではないでしょうか。。。



ある兄弟が、「伝道部長さん(私)のこの記事に感動した」と
教えてくれた過去の記事を、取り上げてみたいと思います。


この記事の中に掲載されている
真のお父様のみ言を紹介します。



訓読の伝統を立てて、
み言の中に生きている
神様に出会いなさい。
み言の中で、
真の父母に会いなさい。
そうすれば、サタンが
血統に乗じて蠢動(しゅんどう)するとしても
訓読の伝統の場では、
立つ場がないのです。




私はこの本に侍りながら、
涙を搾り出して読んでいるんです。
何度読んだか。
み言葉は私の代身である
一生を通して成し遂げた
歩みの記録である。
本の中で先生に会いなさい。
もし私が訓読生活を一回でも休んだなら、
君たち、子供も、孫まで
吹っ飛んでいたんだよ。




ちょうど今、季節は春です。
桜の花も各地で咲き始めています。
あらゆる生命が一斉に動くので、
宇宙の気が大きく動き、
精神的に大変な人も出てきやすい季節だと言います。
いいものも悪いものも働きやすいのでしょう。

前の記事で、先輩家庭が語られていたように、
暖かくなると昆虫たちも動き出しますね。
春になり、虫がニョロニョロと出てくる。
このことを「蠢動(しゅんどう)」というそうです。
「蠢」とは、「うごめく」とも読みます。

虫がうごめくのを嫌う女性が多いようですが、
虫どころか、血統を慕ってやってくるサタンが
私の体にうごめいているのです。
これはどれほど恐ろしいことでしょうか。。。

ですから、訓読を通して、私たちは
自分の堕落性を分立し、
霊的に清くしていくというのです。

私たちのために命がけで
訓読の伝統を立ててくださったお父様に心から感謝し、
私たちも訓読の伝統を相続していかないといけないと感じます。



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