許しなさい
愛しなさい
一つになりなさい
☆
愛しなさい
一つになりなさい
☆
お待たせしました。
森山先生の証し、続きです。
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今という時は、どういう時かを考えてみたいと思います。
昨年、聖和2周年記念の時、
真のお母様が、何度も語られたみ言がありますね。
許しなさい。
愛しなさい。
一つになりなさい。
このみ言の中で、
「一つになりなさい」ということを
考えてみたいと思います。
一つになる、ということは、
霊界も基台で、グループで私たちを協助する
そのような時代圏になっているんです。
だから、「群信仰」というか、「群れの信仰」
「基台ぐるみ」とか、「家族ぐるみ」とか
一つである、ということが鍵を握っているということを感じます。
さらには、一つであるというポイントは、
その人をただじっと見るというのではなくて、
お母様のみ言とか方向性に対して、
そっちに向かって、肩を組んでいくような
これが一つになる秘訣であると感じます。
どんなに霊界がウキウキしていても
私たちがウキウキしていないといけないと思います。
それは、み旨においてももちろんそうですけれど、
たとえば、食事を作るにおいても
ウキウキしながら、食事を作る。
なんで、一日に3回も食事を作らないといけないのかしら
そんな風に思うんじゃなくて(笑)
洗濯も子育ても、ウキウキしながらやることが大事です。
ウキウキの心でみ旨を歩むこと
それが、今の霊肉合同作戦の秘訣だと思います。
☆
「一つになる」
これは本当に重要だと感じます。
昔は、「中心性と一体化」
このようによく言われました。
中心の決意に相対して歩む、
そのことを昔から言われてきましたが、
今は、「心情的に一つになる」
ということなのかな、と感じます。
相手の悪いところを見て、
堕落性を中心に一つになる、
これはある意味、簡単です。
自分を棚に上げて、
課題を指摘すればいいことですし、
「そうだ、そうだ」という具合です。
ただ、善なることに向かって、
一つになって歩む、ということは、
簡単なことではないかもしれません。
各地で、最前線で歩んでいるメンバーたちから
感じることを最近よく聞くのですが、
「決意して歩む」のではなくて、
「楽しく歩む、一つになって歩む」ことが
重要だとみんな感じているのです。
また、私たちの教会の路傍伝道を体験しに来られた
メンバーからもこのような感想を聞きました。
「今までは、目標勝利に向かって、
決意して歩んでいましたが、
今日、一緒に歩んで感じたことは、
そういう雰囲気ではないなということです。
みんな、前線に出ることが
嬉しくて楽しくて歩んでいるな、と感じました。
そういう心情で歩むことが大事だと思います」
私たちの教会に取材に来られた
本部の伝道部長さまも
以前、教会に来て講義をされたことがありますが、
その時の印象とは変わったようで、今回来られて、
開口一番、「いやぁ、明るいね〜」でした。
だから、森山先生が語られる如く、
相手はずっと見続けるのではなく、
相手はたまにちょっと見て、
それ以上にみ言を中心に
一つになることが重要なのだと感じます。
つまり、仲良しこよしで、べったり一緒
というのではなく、
横のつながりも大切ですが、
それぞれが主体性をもって神様を中心として立っている
ということが、よいのではないでしょうか。
そして、一つになるということは、
みんなで一つになるということであり、
指示をするだけ、
指示を待つだけ、
ではなく、
指示する人も
指示を受ける人も、
みんなで一つになって歩むことにこそ、
天運が働くのだと確信します。
続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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