時代に責任を持ち、
歴史に責任を持ち、
永遠の摂理に責任を持つ
天の真なる精兵にならなければなりません
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歴史に責任を持ち、
永遠の摂理に責任を持つ
天の真なる精兵にならなければなりません
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真のお父様の1956年4月8日のみ言
「勝利する神様の精兵になろう」を元に
本部の先生が語られた内容を、参考にお話します。
真のお父様のみ言です。
☆
「精兵」という言葉は本来からあった言葉ではありません。
人間が堕落したためにできた言葉であり、
出てこざるを得なかった言葉です。
すなわち戦いが残っているために神様の代わりに戦いを遂行できる
息子・娘が必要だったために生じた言葉です。
ところが神様のこの戦いの歴史に代わって責任を持ち、
最前線に出て実際戦闘をしなければならない
責任者たちはどのような存在だろうか。
神様が直接戦われることはなく、
イエス・キリストが直接戦われることでもなく、
聖霊が直接戦われることもありません。
イエス・キリストと聖霊と神様を背景として、
よく信じる聖徒たちがこの戦いの直接的な責任を担っていることは
皆さんのよく知っているところです。
この戦いは必ずや終結できなければならないのです。
ところがイエス・キリストが来られて行かれた後、
2千年が過ぎても今なおこの戦いは終結しておりません。
今この戦いの場を広げて
勝利の土台を作らなければならないのですが、
この責任を全うする存在は誰であるのか。
すなわちそれが何もない取るに足りない
私たちであるということです。
これを考えてみれば、神様の所望は
神様自体にあるのではないことがわかります。
そしてイエス・キリストの所望も
イエス・キリスト自体にあるのではなく、
聖霊の所望も聖霊自体にあるのではなく、
先知先賢者たちが願う所望も
彼等自体にあるのではないということがわかります。
他でもなく今日この地上に残っている
取るに足りない私たちにあるのです。
それでは地上にいる皆さんたちを
天が呼んでおられるというのですが、
どのような標準を持って皆さんを呼んでいらっしゃるのか。
神様は6千年摂理の全体を標準にして
皆さんを呼ばれていらっしゃるのです。
皆様は6千年、さらには億千万年もの間受け継いできた
人類歴史を勝利で終わらせる責任を
負っていることを良く知らなければなりません。
それだけでなく、時代に責任を持ち、歴史に責任を持ち、
永遠の摂理に責任を持つ
天の真なる精兵にならなければなりません。
皆様は総司令官である神様の命じられるみ言を
直接受けなければなりません。
皆様はイエス様を代身とし、神様の命令を
直接受ける位置まで進まなければなりません。
ヨハネ黙示録14章に
『なお、わたしが見ていると、
見よ、小羊がシオンの山に立っていた。
また、十四万四千人の人々が小羊と共におり
その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた』
と記録されているように、皆様はお父様の印を
受けなければならないということです。
まだ戦いは残っています。
なので、皆様は最後の攻撃を敢行し戦いの峠を越え
神様の印を受けて神様の前にサタンを屈服させ得る
精兵にならなければなりません。
そうしてこそサタンとの戦いが終結するというのです。
☆
お父様は草創期に「精兵」という言葉を用いて、
私たち祝福家庭を特別な存在に立ててくださっています。
戦うのは天の父母様でも、真の父母様でもなく、
真の父母様から祝福を受けた祝福家庭自らが精兵として、
神様と真の父母様に代わって直接責任を負い、
サタンの勢力と戦わなくてはならないということです。
誰かが戦ってくれるのではと傍観視し、
戦いの中で死んで敗北するのではなく、
自らが戦い生き残り、勝利しなければならないのです。
今、真のお母様が天の総司令官として
地上ですべてに責任を持たれており、
私たちは直接の願いを受けることが出来る恵み深い時代圏にいます。
ところがサタンはその直接の願いが
あたかも間違っているかのように混乱させています。
その願いを受けることができないように惑わし、
私たちが天の勝利する精兵になれないように
妨害していることをハッキリと知らなければなりません。
このみ言は、1956年に語られたということですから、
統一教会が創立した1954年から2年後のことです。
梨花女子大事件を経て、以南出監をした翌年のことです。
当時は、今以上に多くの迫害があったと思います。
数少ない食口たちを鼓舞する意味でも
み言を語られたと思いますが、
今の私たちにとっても、
とてもふさわしい内容であると感じます。
お父様は知っておられます。
だから語られています。
「何もない取るに足りない私たち」
だということを。
本当に幼い者でありますが、
これからが本当の戦いであることを自覚し、
真のお父様を後ろ盾としながら、
歩んでいきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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