本部の先生の説教と
教会長が語られたみ言を中心に
感じたことをまとめてみます。
まずお母様のみ言です。
☆
今年は「青羊の年」だと言います。
青い色はきれいで清く、透明で自然そのままです。
羊は、神様が天地創造をなさり、
人間まで創造された動物の中で、
最も温順で「100 パーセント、ために生きる生」
を生きる動物です。
聖物、祭物として多く捧げてきました。
羊は美しく温順でありながら、「自分」がありません。
主人のなすがままに「感謝します」と受けます。
それゆえ(供え物となるときも) 声を上げません。
これを見て私たちは学ばなければなりません。
自然の理致を通しても、父母様を通しても学び、
完全な「私」、私の家庭とならなければならないのです。
(天一国指導者総会閉会式 真のお母様のみ言 2015.3.6)
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青い色はきれいで清く、透明で自然そのままです。
羊は、神様が天地創造をなさり、
人間まで創造された動物の中で、
最も温順で「100 パーセント、ために生きる生」
を生きる動物です。
聖物、祭物として多く捧げてきました。
羊は美しく温順でありながら、「自分」がありません。
主人のなすがままに「感謝します」と受けます。
それゆえ(供え物となるときも) 声を上げません。
これを見て私たちは学ばなければなりません。
自然の理致を通しても、父母様を通しても学び、
完全な「私」、私の家庭とならなければならないのです。
(天一国指導者総会閉会式 真のお母様のみ言 2015.3.6)
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真のお母様は「青羊」の年だとして、
青は「清く、透明になる」
羊は「温順でために生きる」
「自分がない」「主人のなすがままに感謝する」など、
様々な観点で解説されています。
また、「善・義・美」など真を表現する漢字には、
すべて「羊」が入っています。
羊のようになるというのは、
本当に重要なのだと思います。
さて、統一教会の救済の核心は「重生」です。
重生の本質は真の父母様を通しての「血統転換」ではありますが、
心情的に生まれ変わることも大切です。
「聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントT12/3)」、
罪の悔い改めの業をされます(講論P265)。
実体的聖霊である真のお母様によって、
私たちが「羊」のように生まれ変わることが必要なのだと思います。
「私は感謝します!」「私が悔い改めます!」「私が為に生きます!」
という姿勢を持つことが大切だといいます。
相手に感謝させること、悔い改めさせること、
他に生きさせようとすれば分裂します。
相手に求めるのではなく、相手を変えようとするのではなく、
私が変わること、私が成長することです。
そうするならば、一つになることができますし、
一つにすることができるのだと思います。
「愛し」「許し」「一つになりましょう」といいますが、
一つになるには、「愛する力」が必要であり、
愛するためには、許すことが必要です。
実はこの許す(赦す)ことが難しいのではないでしょうか。
許し、愛するためには、まず「感謝する」ことです。
感謝することで、許し、また愛することができ、
そうすれば、自然に一つとなることが可能です。
善進世界会長も、「愛し」「許し」「一つとなりましょう」の前に
「感謝しましょう」を付け加えてお話されました。
真の父母様は全てを許してくださり、
愛してくださっています。
だからこそ、私たちも愛する心情、
許す心情を中心に、日々歩まないといけないと感じます。
蕩減時代を越え、天一国時代に入り、
今は、より主体的にみ旨を歩む時です。
ある意味、素晴らしいときですが、
ある意味、恐ろしいときでもあるといいます。
「祝福家庭」として「選ばれた」ことが素晴らしい
そのように思ってきた立場ですが、
選ばれただけではなく、本物になっていかなければなりません。
これからは、本心で問いかける時がくるといいます。
自分の本心にしっかりと向きあって
その如くに歩む時であると思うのです。
イエス様の時代、聖霊の役事があってこそ、
イエス様の価値が表されてきました。
ですから、イエス様が生きておられる時よりも
復活されたイエス様の時の方が、
本当のイエス様の姿、栄光を示すことが出来ました。
今、真のお父様もある意味、同じような立場ではないでしょうか。
聖霊の役事が起こる時であると感じるし、
そういう意味でも、さらに 聖霊の実体である
真のお母様と一つになることが重要だと感じます。
お父様が聖和されてから、5月末で千日を迎えます。
それまでの70日を、
足らなかった今までを悔い改めつつ
孝心と精誠を奉げていきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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