2015年03月25日

(証し)「メシヤは兄さんのような人だよ」〜初めての父との出会い 《中村惣一郎先生1》



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お父様はたった二間の小さな家で、
二十人ほどのメンバーを前にされながら、
しかし何百人の人たちに対して語られるように、
激しくお話しされました




今回は、千葉中央修練所で所長をされている
中村惣一郎先生(777双)の証しを紹介します。
真のお父様と初めて出会われた時のことです。


真のお父様との初めての出会いは、
お父様が第一回世界巡回路程で来日され、
一九六五年二月五日に福岡に聖地を決定されたときでした。
そのとき私は、前年の十一月から二月末まで、一時的に、
北九州の小倉から福岡に移動していたのです。

真のお父様が福岡に来られる直前、
東京に行っていた竹内ママ(長谷川みつゑさん)から電報が届きました。
急いで打電したせいか、句読点が間違っていました。
「暗号みたいだなあ」と言いながら、その電文を読みました。
真のお父様が福岡に来られるというのです。
そのころは、まだ教会には電話もありませんでした。

当時の福岡教会は、吉塚新町という所にあった古びた一軒家で、
韓国の既成教会の牧師さんから献堂していただいたものでした。
しかし、部屋は四畳半と、六畳か八畳ほどの大きさの部屋と
二畳の玄関間の三部屋しかなく、縁側は腐っており、
ふすまもぼろぼろでした。
さらに、しっくいははがれて、粗壁が見えている
という有り様だったのです。

そこで、福岡教会にいた私たちで、大急ぎで修理することになりました。
といっても、お金がありませんから、自分たちで壁に塗料を塗り、
傷と穴だらけの柱はニスと墨汁を混ぜたもので補修しました。
床の間だけは、友人の左官屋に依頼して直しました。

真のお父様が福岡に到着される前、竹内ママは水ごりをしていました。
“ママが水をかぶっている。僕らもやろうか”という軽い気持ちで、
私たちも水行の条件を立ててお父様をお迎えしました。
そのとき、本当にお父様の価値を知ってお迎えしたのは、
竹内ママだけではなかったでしょうか。

当時、九州には福岡、熊本、鹿児島に教会があり、
献身的に活動している人、礼拝に参席する人全員が集まりましたが、
二十人ほどにしかなりませんでした。
そのメンバーが全員集まって、真のお父様を福岡の教会にお迎えしました。

“力道山みたいだなあ”。それが私の第一印象でした。
お父様のお体は大きく、力強く見えました。

お父様は「行きたい所、会いたい人、住みたい所」
というみ言を語ってくださいました。

そのとき、お父様はたった二間の小さな家で、
二十人ほどのメンバーを前にされながら、
しかし何百人の人たちに対して語られるように、
「行けーっ! 行かなければっ、ならない!」とか、
「宇宙に出るとき、大気圏を脱出するだろう? 
ロケットが地球の引力圏を突破して宇宙に飛び出すように、
堕落圏を突破して突き抜けて行かなければならないんだ!」
と激しくお話しされました。

また、「メシヤは兄さんのような人だよ。
どのように生き、どのように生活すべきかを
一つ一つ教えてくれる兄さんのような人が必要だ。
それがクリスチャンの中にいないから、
再臨主が兄さんのようになって来るんだよ、
兄さんの立場を執りながら、同時にお父さんなんだよ。
そのような人が会いたい人であり、メシヤなんだよ。
行きたい所は、本来の故郷という意味で“本郷”である。
住みたい所もそこなんだ。
そして、幸せな人は、自分の父母とともに、
自分の家門とともに、自分の生まれた
もともとの故郷において暮らす人が幸福な人である。
だから、ここに帰らなければいけない」
と、じゅんじゅんと説いてくださいました。

さらに、「いろいろな人が真理を求め、行く道を探している。
そしてみ言に出会ったとき、『そうか、この道だ』とうなずきながらも、
いざ行くというとき、その道を行こうとしない。
これが、神の絶えざる悲哀と、天的怒りの頂点なのかもしれない」
と語られたことが、とても心に残っています。

そして最後にお父様は、当時の地区長であった竹内ママに、
「日本に来て、一番大切な話をしたかもしれない」
「先生は、福岡が日本の本部になることを願っているかもしれないよ」
と語られました。
竹内ママの、声を上げて喜んだ顔が今でも思い出されます。

この日、私たちは真のお父様の宿泊のためにホテルを用意していました。
ところがお父様は、その夜は「教会に泊まる」と言われたのです。
そこで、大急ぎで貸し布団を借りてきました。

真のお父様のほかに西川先生、崔元福先生、久保木先生、石井夫人が
広いほうの部屋に休まれ、隣の四畳半の部屋と押し入れには、
その日福岡にやってきた九州のメンバーたちが休みました。
そして私と都敬志さん(七七七双)は、玄関の二畳に、
上に布団をかけて服を着たまま休みました。

部屋の方を見ると、すき間からはお父様のお姿が目に入りました。
そのとき、お父様がさっとお休みになられたような気がしました。

私は“メシヤは、二十四時間神様と一緒だから、お祈りしなくてもいいのか”
などと思ったのですが、その晩、私は初めてお父様の夢を見ました。
その夢の中でお父様は、一晩じゅう
ずっと座ったままお祈りをしておられました。
それで私は、お父様というおかたは、休まれたとしても、
決して私たちのようには休んではおられないのだ、ということが分かったのです。

このときの実体の真のお父様との最初の出会いは、
お父様の力強さが印象に残っています。
あのころ真のお父様は、神様のみ旨のために立ち上がった
一人一人の勇士たちに直接、激しい波動でみ言を語ってくださいました。
そして直接に指導してくださったのです。



中村先生の証しを読みながら、
「このころの若いお父様にお会いしたいな・・・」
そんな思いが湧いてきます。

福岡で精誠を込めて語られたお父様は、
「日本に来て、一番大切な話をしたかもしれない」
そのような感想を述べておられます。

個人的には、竹内ママのお父様をお迎えするための
精誠条件がお父様をそのようにさせたのかも知れないな、
そのように感じました。

みすぼらしい環境の中であっても
ひたすらに食口を愛し、み言を語られるお父様。
今は、私たちがお父様の如くになる時です。
お父様の若きころの姿を思いながら、
歩んでいきたいと思います。

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