み言の中に生きている
神様に出会いなさい。
本の中で先生に会いなさい。
☆
神様に出会いなさい。
本の中で先生に会いなさい。
☆
み言の訓読はどれほど重要でしょうか。
私自身の霊的成長にもなりますし、
同時に、ともにある絶対善霊が復活し喜んでいるのです。
一日3食ご飯を食べることには、意識が強くいきますが、
み言を訓読するということに対しては、
それだけの欲望を持っているかと自分に問い尋ねると
そこまでの思いがあるだろうか、と感じざるを得ません。
本当に霊的に鈍い自分の姿を告白せざるを得ないのです。
ある意味、み言を訓読せずに「断食」しても、
平気で生活している幼い自分の姿があるのです。
自分自身の霊人体は見ることが出来ませんけれど、
もし、み言をおろそかにする自分の姿が見えるとしたら、
愕然としてしまうのではないでしょうか。。。
☆
ある兄弟が、「伝道部長さん(私)のこの記事に感動した」と
教えてくれた過去の記事を、取り上げてみたいと思います。
この記事の中に掲載されている
真のお父様のみ言を紹介します。
☆
訓読の伝統を立てて、
み言の中に生きている
神様に出会いなさい。
み言の中で、
真の父母に会いなさい。
そうすれば、サタンが
血統に乗じて蠢動(しゅんどう)するとしても
訓読の伝統の場では、
立つ場がないのです。
☆
私はこの本に侍りながら、
涙を搾り出して読んでいるんです。
何度読んだか。
み言葉は私の代身である
一生を通して成し遂げた
歩みの記録である。
本の中で先生に会いなさい。
もし私が訓読生活を一回でも休んだなら、
君たち、子供も、孫まで
吹っ飛んでいたんだよ。
☆
訓読の伝統を立てて、
み言の中に生きている
神様に出会いなさい。
み言の中で、
真の父母に会いなさい。
そうすれば、サタンが
血統に乗じて蠢動(しゅんどう)するとしても
訓読の伝統の場では、
立つ場がないのです。
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私はこの本に侍りながら、
涙を搾り出して読んでいるんです。
何度読んだか。
み言葉は私の代身である
一生を通して成し遂げた
歩みの記録である。
本の中で先生に会いなさい。
もし私が訓読生活を一回でも休んだなら、
君たち、子供も、孫まで
吹っ飛んでいたんだよ。
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ちょうど今、季節は春です。
桜の花も各地で咲き始めています。
あらゆる生命が一斉に動くので、
宇宙の気が大きく動き、
精神的に大変な人も出てきやすい季節だと言います。
いいものも悪いものも働きやすいのでしょう。
前の記事で、先輩家庭が語られていたように、
暖かくなると昆虫たちも動き出しますね。
春になり、虫がニョロニョロと出てくる。
このことを「蠢動(しゅんどう)」というそうです。
「蠢」とは、「うごめく」とも読みます。
虫がうごめくのを嫌う女性が多いようですが、
虫どころか、血統を慕ってやってくるサタンが
私の体にうごめいているのです。
これはどれほど恐ろしいことでしょうか。。。
ですから、訓読を通して、私たちは
自分の堕落性を分立し、
霊的に清くしていくというのです。
私たちのために命がけで
訓読の伝統を立ててくださったお父様に心から感謝し、
私たちも訓読の伝統を相続していかないといけないと感じます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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