2015年04月24日

皆さんの胸が痛い時、私の胸も痛みます! 《李海玉サモニムのみ言》



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先日、李海玉サモニムが婦人たちの集まった集会で
み言を語られました。

途中で、「神様の恩恵」という歌を歌われました。



私をつくられた神様
私を呼ばれた神様
私を送られたのも神様
私が私になったのは、
すべて神様の恩恵

私が駆け抜ける道
すべて行けるように
私の最後の呼吸が尽きるように
私のため十字架につかれたのだから
私が私になったのは
すべて神様の恩恵

限りない恩恵
返すことのできない恩恵
私の人生を囲い込む神様の恩恵
私はためらうことなく
この地を踏みしめるも
私をつかむ神様の恩恵



하나님의은혜



サモニムが涙ながらに語られました。

自分でも自分を信じられないのに
自分で自分を赦せないのに
時には自分自身を待てなかったりする時があります。

それなのに、私を信じてくださり、
私を赦してくださり、
み言を知ったにも関わらず、
こんなにも早く成長できない私に
私をいつも待ってくださり、
また、待ってくださり、
そして、機会を与えてくださっている
天の父母様なんです。

私自身を振り返ってみても
皆様の前に立つ資格のない者であります。
名も無く、上から打たれ、
あるいは下から打たれ、
家に帰ってもまた打たれ、
胸を痛めながら、それでも歩まれている皆様。

私よりもお年を召されている方もおられると思います。
また、足りない私よりも
優れているものをもっておられる方もおられます。
でも、私の心は皆さんの母でいたい、そういつも思っています。

皆さんの胸が痛いとき、
私も胸が痛みます。
ある婦人が苦しんでいると聞くと
私の胸には涙が流れます。

今この場に、本当に懐かしいお父様がおられます。

子供というのは、父母のことを知りえないですよね?
時間を一緒に過ごしたからって、父母の心情を
どういう風に知ることができるでしょうか。

子女は父母をわからないんです。
父母は子女に涙を見せようとしないから。



足りない自分を見つめるとき、
すぐに生まれ変わり成長できればいいのですが、
後悔ばかりが先立って、
生まれ変われない自分の姿に落ち込みます。

しかし、そんな姿を見つめる神様がおられるし、
父母様もおられるのだ・・・
そんな心情を思いつつ、
また、李海玉サモニムもおそらく
母の心情で、陰ながら涙を流す日々であることを感じつつ、
前を向いて歩む者となっていきたいと思います。



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posted by ten1ko2 at 08:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月23日

今日は孝進様によって救われました!!



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「ために生きる」事ほど
大変な事がどこにある
一人の為でも難しいのに
人類の為に生きたら
この世もおまえを
認めてくれるだろう




最近、お母様のみ言とともに
孝進様の歌を聞くことがあります。

思い込みの世界かもしれませんが、
何か、孝進様から「聞きなさい!」
そんな風に言われているような気もします。

実は、昨日個人的に、自分の足りなさに直面するような
ことがあり、また、外的にもとても忙しく、
「記事も書くのをどうしようか・・・」
そんな思いにさせられていました。
そんな時、孝進様が「歌を聴きなさい」と言われる感覚があり、
実際に聞くと気持ちが転換されました。

孝進様はご自分の思いの丈を歌にぶつけておられます。
父母様を愛する心情、サタンを分別する思い・・・
ご自身の愛するお子様にも歌を作られました。
また、愛する弟・興進様のためにも・・・

個人的には、「永遠に愛そう、春の雨のように」が好きなのですが、
今日は、この曲で救われました。


「出世しろ!」

世に生きる数多(あまた)の人間たちよ
そのうち何人が出世した?
出世って何だと聞かれたら
出世したというお前はどう答える?

この世で腹と頭を肥やし出世した人間たちよ
剣と福袋を着け出世した人間たちよ
重い財布を懐に 数億年存在したやからを今知った
お前の歴史のため号令し 結構な家門に審判下す
邪心に満ちた者たちよ さあ 出世してみよ
この世で 自分のためうまく生きてみな

だがこの世で永遠だと考える出世のため
苦しい犠牲を喜んで生きた人間たち
「ために生きる」事ほど大変な事がどこにある
一人の為でも難しいのに人類の為に生きたら
この世もおまえを認めてくれるだろう

迫害あざけりにあえぎつつ ご自身の怒りを
なだめられた愛の 愛のアボジ Yeah!
怨みを抱いた権力者達に 東西南北追い回され
その間に蒔いた種を刈り入れ
愛のみ言をこの世に植えられた
アボジの人生こそ我が王道 勝利の王道

歴史かけ出世しろ 天をかけ出世しろ
氏族かけ出世しろ 真の父母をかけて出世しろ








この時、スタッフとして
舞台の目の前にいたことを思い出しました。。。

曲を聴いていると、自分の足りなさが抜けて、
「真の父母様とともに頑張ろう!」
そんな気持ちにさせられるのが不思議です。

孝進様、本当にありがとうございます。

ちなみに、「出世」とは「社会的に高い身分・地位を得ること」ではなく、
仏教用語で「俗世間の煩悩(ぼんのう)から解脱(げだつ)する」、
しいては「悟りを開く」という意味なのだそうです。

真の父母様とともに
「出世」することを
もう一度決意したいと思います。


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posted by ten1ko2 at 09:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 聖歌・UCソング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月22日

日々「復活」するためには?! 〜神様の似姿になる3つの復活〜



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復活は、堕落人間が
創造本然の姿に復帰する
過程的な現象を意味する。

昨日の自分よりきょうの自分が
少しでも善に変わるとすれば、
我々はそれだけ復活したことになる。


原理講論より



本部の先生が「復活」について説教してくださっています。
参考にして紹介します。


「神様の似姿になる三つの復活」です。

それでは、何によって復活するかというと三つの側面があります。
それは、神様の似姿になるための「知的側面の復活」と
「情的側面の復活」と「意的側面の復活」です。

知的復活とは、「真理・み言」を通しての復活です。
人間は真実を知り、真理を知ることで喜びを感じ、生きがいを感じるものです。
反対に知らないこと、分からないことは不安をもたらし、
人生に迷いが生じてくるものです。
まさに、真理とは「霊的な光」として、人生の行くべき道を照らして、
明るい人生へと導いてくれるものです。

具体的にはどのようなことでしょうか?
人間だれしもが直面する「人生の三大疑問」があります。
「人間はどこから来たのか?」
「何のために生きるか?」
「死んだらどうなるのか?」
この三大疑問は統一原理によって明快に解決することができます。


また、情的復活とは、「祈り・瞑想」を通しての復活です。
人間は宗教や教派を超えて、人種や国境、歴史を超えて
「祈り」と「瞑想」を繰り返してきました。
人間の心霊は、心の故郷を求めるように神様を求めるようになっています。
祈りと瞑想を通して神様に近づこうとしてきました。
この祈りや瞑想は、霊的呼吸のようなものです。
一見、あるのかないのか意識していない空気ですが、
呼吸を通して最も大切な生命の糧であることに気づきます。
呼吸とは、呼気と吸気の繰り返しであるように、祈りは神様との対話です。
祈りは私の思いを神様に伝えることでもありますが、
静かに神様の声に耳を傾けることも大切です。

他の人の為に祈ってみましょう。
まず、人間関係で最も気になる相手を決めて下さい。
夫や妻、子供でもいいです。
伝道対象者でもいいです。
そして、自由に祈るのではなく、三つの言葉を繰り返して捧げていきましょう。

「○○さんの中にいる神様、ありがとうございます」
「○○さんの中にいる神様、ごめんなさい、許して下さい」
「○○さんの中にいる神様、愛しています。為に生きます」

この三つの言葉を繰り返して捧げていくのです。
「○○さんの中にいる・・」のところに
「夫の中にいる・・・」「妻の中にいる・・・」「子供の中にいる・・・」
というように決めた相手を入れて数分間やってみます。


さらに、意的復活とは、「実践・為に生きる」ことを通しての復活です。
真理を頭で知って、祈りを通して心で感じ取るだけではなく、
体で実践すること、為に生きる「善行」が大切です。
頭で理解したことを実践してこそ成長することができます。
心で感じたことを実践することでそれを実感することができます。
実践を通してこそ、真理の理解が深まり、祈りが深まっていくものです。


このように、「真理・み言」と「祈り・瞑想」と「実践」を通して心の完成、
「霊人体の完成」がなされます。
霊界という永遠の世界に唯一持っていくことができるものが霊人体ですから、
この三つの復活は人生にとって最も大切なこととなります。



み旨の道には、以下のようなみ言があります。

「信念を生活を通して実践することが信仰生活である」

「信仰はみ言を通じた神と人間との契約である」

礼拝のみ参加する信仰ではなく、
日々の生活、「生活信仰」になることが
重要であるということだと思います。

復活するための最高の道のりを与えてくださった
真の父母様に心から感謝いたします。

そして、講師の紹介してくださった、
三つの観点で繰り返し精誠を捧げながら、
日々復活する私たちになっていきたいと思います。


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posted by ten1ko2 at 08:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする