先日、李海玉サモニムが婦人たちの集まった集会で
み言を語られました。
途中で、「神様の恩恵」という歌を歌われました。
☆
私をつくられた神様
私を呼ばれた神様
私を送られたのも神様
私が私になったのは、
すべて神様の恩恵
私が駆け抜ける道
すべて行けるように
私の最後の呼吸が尽きるように
私のため十字架につかれたのだから
私が私になったのは
すべて神様の恩恵
限りない恩恵
返すことのできない恩恵
私の人生を囲い込む神様の恩恵
私はためらうことなく
この地を踏みしめるも
私をつかむ神様の恩恵
하나님의은혜
☆
サモニムが涙ながらに語られました。
自分でも自分を信じられないのに
自分で自分を赦せないのに
時には自分自身を待てなかったりする時があります。
それなのに、私を信じてくださり、
私を赦してくださり、
み言を知ったにも関わらず、
こんなにも早く成長できない私に
私をいつも待ってくださり、
また、待ってくださり、
そして、機会を与えてくださっている
天の父母様なんです。
私自身を振り返ってみても
皆様の前に立つ資格のない者であります。
名も無く、上から打たれ、
あるいは下から打たれ、
家に帰ってもまた打たれ、
胸を痛めながら、それでも歩まれている皆様。
私よりもお年を召されている方もおられると思います。
また、足りない私よりも
優れているものをもっておられる方もおられます。
でも、私の心は皆さんの母でいたい、そういつも思っています。
皆さんの胸が痛いとき、
私も胸が痛みます。
ある婦人が苦しんでいると聞くと
私の胸には涙が流れます。
今この場に、本当に懐かしいお父様がおられます。
子供というのは、父母のことを知りえないですよね?
時間を一緒に過ごしたからって、父母の心情を
どういう風に知ることができるでしょうか。
子女は父母をわからないんです。
父母は子女に涙を見せようとしないから。
☆
足りない自分を見つめるとき、
すぐに生まれ変わり成長できればいいのですが、
後悔ばかりが先立って、
生まれ変われない自分の姿に落ち込みます。
しかし、そんな姿を見つめる神様がおられるし、
父母様もおられるのだ・・・
そんな心情を思いつつ、
また、李海玉サモニムもおそらく
母の心情で、陰ながら涙を流す日々であることを感じつつ、
前を向いて歩む者となっていきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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