2015年04月09日

「誰よりも天を愛します!」  いかに神様に認められる私となるか?! 



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イエス様に会った後、
私の人生は完全に変わりました。
イエス様の悲しい顔が
私の胸中に烙印のように刻まれ、
他の考え、他の心は全く浮かびませんでした。
その日を境に、私は神様のみ言に
縛られてしまいました。

(自叙伝p65)



先日、何度かにわけて
地区長の語られたみ言を紹介しました。

地区長は、地区全体と
私たちの教会に来られ、
二度にわたってみ言を語られましたが、
その中で、とても印象に残っている言葉があります。

「真のお父様は、人に認められる歩みをしたのではありません。
いかに天に認められるか。
神様をいつも意識して、
神様に認められる歩みをしてきました。
ですから、私たちも
いかに神様に認められるか、
そのような歩みをしていかないといけないと思います」


子供のころ、
「悪いことしたら駄目だよ。
神様はいつも見てるよ」
そんなことを言われて育った人もおられると思います。

結局は自分の本心に恥じない歩み、
まさに正午定着の歩みをしていくことが重要だと思います。

昨日紹介した映像を再び振り返ると
イエス様と霊的に出会われたお父様は、
その後の人生が全く変わったといいます。

無口な少年になり、
困ったことがあれば、
いつも神様に尋ねていかれました。

真のお父様は、
「ただ、悲しい神様の友になりたかった」
そんな思いで孝行の道を歩んでいかれました。

神様を慰めるためにどんな状況にあっても
変わらない心情を持って歩んでいきました。
どんな迫害も中傷、罵倒も全て受け止め
乗り越え、勝利していかれました。

統一教会は滅びると何度も言われ、
韓国のキリスト教会では、
牧師たちが説教で、
「統一教会が滅びるように祈りましょう」
そのように言われました。

恩讐を愛する、というイエス様の教えを守るべき
クリスチャンではありますが、
お父様をサタン扱いし、
サタンが滅びるように祈りを捧げました。

しかし、お父様は滅びませんでした。
そして、統一教会は滅びませんでした。
それは、神様を何よりも愛していかれたからです。

「何よりも天を愛する」
そんな心情を持って歩み、
それを土台として人を愛していくならば、
神様はその人を愛していくに違いありません。

天のみを見つめて歩んでいく
そんな者になっていきたいと思います。


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自叙伝に掲載されている「栄光の王冠」を
掲載します。(本部HP掲載の訳とは違っています)

  「栄光の王冠」


人を疑えば、苦しみを覚え
人を裁けば、絶えがたくなり

人を憎めば、もはや私に存在価値はない
しかし、信じてはだまされ
今宵、手のひらに頭を埋めて、苦痛と悲しみに震える私

間違っていたのか。そうだ私は間違っていた
だまされても、信じなければ
裏切られても、赦さなければ

私を憎む者までも、ひたむきに愛そう

涙をふいて、微笑んで迎えるのだ
だますことしか知らない者を
裏切っても、悔悟を知らない者を

おお主よ! 愛の痛みよ!
私のこの苦痛に目を留めてください
疼くこの胸に主のみ手を当ててください
底知れぬ苦悩に胸が張り裂けそうだ

されど、
裏切った者らを愛した時
私は勝利を勝ち取った

もし、あなたも私のように愛するなら
あなたに栄光の王冠を授けよう 
 



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posted by ten1ko2 at 08:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする