「先生、いかなる試練、迫害を受けても、
絶対信仰、信念を持つためには
どうすればよいでしょうか?」
「簡単だよ。
『原理』の一つでも
自分が体恤すればそうなるよ」
絶対信仰、信念を持つためには
どうすればよいでしょうか?」
「簡単だよ。
『原理』の一つでも
自分が体恤すればそうなるよ」
☆
今日は、777家庭でルーマニア国家メシヤをしておられた
田浦碩哉さんの証しを紹介します。
田浦さんは、2004年肝臓がんで聖和されました。
享年58歳でした。
田浦さんは、早稲田大学理工学部の1年生の時、
大学に掲示されていた看板を見て教会に来られました。
そこには、「宗教、哲学、科学の統一」
と書いてあったということです。
1965年10月、お父様が早稲田の学生の前で
語られ、質問にも答えられたといいます。
その時の証しです。
☆
私が真のお父様に初めてお会いしたのは、
夏季開拓伝道が終わった一か月後の一九六五年のことでした。
それは、真のお父様が一九六五年一月二十八日に来日され、
日本に八か所、聖地を定め、世界四十か国を巡回された後、
再び日本に立ち寄られたその年の十月のときでした。
十月八日、真のお父様は私たちのいる成和寮に来てくださいました。
真のお父様は、「この寮は何という名前か?」と聞かれ、
「成和寮」であることを申し上げると、
「早稲田の“早”、早く成る寮として名前を付けてやろう」と言われて、
「早成寮」と命名してくださいました。
真のお父様は、早稲田大学の学生たちの前で気分を良くされ、
留学時代にアンミツをたらふく食べた話や、
髪をボサボサにして女性の誘惑を避けながら、
戸塚まで歩いたことなどを話してくださったのです。
み言を語られた後、真のお父様は「質問はないの?」
と、私たちに聞かれました。
私は真のお父様と、何かお話ししたいと思っていたので、
思い切って次の質問をしました。
「先生、いかなる試練、迫害を受けても、
絶対信仰、信念を持つためにはどうすればよいでしょうか?」
「このかたは何でも見抜かれるかたで、審判主である」
という思いから来る恐ろしさもありましたが、
イエス様を本当に愛しておられるかたなので、
「私が砕かれた心情を持ち、ゆだねていけば質問することも
許していただけるのではないか」
と思って、質問したのです。
質問に対する真のお父様の答えは、
「簡単だよ。『原理』の一つでも自分が体恤すればそうなるよ」
と言われました。
最後に真のお父様は、
「この早稲田の若者たちを記憶してください。
高田馬場を思うときに、昔、神に向かって……」
という祈祷をされたことを、今も忘れることができません。
そして、真のお父様は、一人ひとりに
盛られた果物を配ってくださったのです。
☆
早稲田の留学時代、様々な体験をしながら
神様のために、そして私たち人類のために
真理を探究され、それを勝ち得てくださいました。
原理、み言にはすべての問題の答えがあるのだと思います。
田浦さんの証しを拝読させていただきながら、
拉致監禁を受けた時、ひとつのみ言があったがゆえに
頑張って耐えられたことを思い出しました。
牧師と原理講論を勉強したのですが、
それは離れた兄弟の物であり、
そこに「必ず道がある。見つけ出しなさい」
というお父様の『み旨の道』のみ言がありました。
苦しい時、限界に来た時も、ただひたすら
そのみ言のみを信じて、乗り越えてきたな・・・
そんな記憶が蘇りました。
み言の体恤の重要性を改めて感じます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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