2015年04月11日

(証し)お父様に質問してみた、その答えは?! 早大生に語られた留学時代のエピソード



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「先生、いかなる試練、迫害を受けても、
絶対信仰、信念を持つためには
どうすればよいでしょうか?」

「簡単だよ。
『原理』の一つでも
自分が体恤すればそうなるよ」



今日は、777家庭でルーマニア国家メシヤをしておられた
田浦碩哉さんの証しを紹介します。
田浦さんは、2004年肝臓がんで聖和されました。
享年58歳でした。

田浦さんは、早稲田大学理工学部の1年生の時、
大学に掲示されていた看板を見て教会に来られました。
そこには、「宗教、哲学、科学の統一」
と書いてあったということです。

1965年10月、お父様が早稲田の学生の前で
語られ、質問にも答えられたといいます。
その時の証しです。


私が真のお父様に初めてお会いしたのは、
夏季開拓伝道が終わった一か月後の一九六五年のことでした。
それは、真のお父様が一九六五年一月二十八日に来日され、
日本に八か所、聖地を定め、世界四十か国を巡回された後、
再び日本に立ち寄られたその年の十月のときでした。

十月八日、真のお父様は私たちのいる成和寮に来てくださいました。
真のお父様は、「この寮は何という名前か?」と聞かれ、
「成和寮」であることを申し上げると、
「早稲田の“早”、早く成る寮として名前を付けてやろう」と言われて、
「早成寮」と命名してくださいました。

真のお父様は、早稲田大学の学生たちの前で気分を良くされ、
留学時代にアンミツをたらふく食べた話や、
髪をボサボサにして女性の誘惑を避けながら、
戸塚まで歩いたことなどを話してくださったのです。

み言を語られた後、真のお父様は「質問はないの?」
と、私たちに聞かれました。
私は真のお父様と、何かお話ししたいと思っていたので、
思い切って次の質問をしました。
「先生、いかなる試練、迫害を受けても、
絶対信仰、信念を持つためにはどうすればよいでしょうか?」

「このかたは何でも見抜かれるかたで、審判主である」
という思いから来る恐ろしさもありましたが、
イエス様を本当に愛しておられるかたなので、
「私が砕かれた心情を持ち、ゆだねていけば質問することも
許していただけるのではないか」
と思って、質問したのです。

質問に対する真のお父様の答えは、
「簡単だよ。『原理』の一つでも自分が体恤すればそうなるよ」
と言われました。

最後に真のお父様は、
「この早稲田の若者たちを記憶してください。
高田馬場を思うときに、昔、神に向かって……」
という祈祷をされたことを、今も忘れることができません。
そして、真のお父様は、一人ひとりに
盛られた果物を配ってくださったのです。



早稲田の留学時代、様々な体験をしながら
神様のために、そして私たち人類のために
真理を探究され、それを勝ち得てくださいました。
原理、み言にはすべての問題の答えがあるのだと思います。

田浦さんの証しを拝読させていただきながら、
拉致監禁を受けた時、ひとつのみ言があったがゆえに
頑張って耐えられたことを思い出しました。

牧師と原理講論を勉強したのですが、
それは離れた兄弟の物であり、
そこに「必ず道がある。見つけ出しなさい」
というお父様の『み旨の道』のみ言がありました。

苦しい時、限界に来た時も、ただひたすら
そのみ言のみを信じて、乗り越えてきたな・・・
そんな記憶が蘇りました。

み言の体恤の重要性を改めて感じます。



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