平壌に着くとすぐ、投獄される前に一緒だった
信徒たちを一人一人捜して回りました。
彼らが心配でなりませんでした。
平壌でおよそ四十日留まりました。
大部分の信徒を見つけ出しましたが、
結局行方の分からない人もいました。
自叙伝 より
☆
信徒たちを一人一人捜して回りました。
彼らが心配でなりませんでした。
平壌でおよそ四十日留まりました。
大部分の信徒を見つけ出しましたが、
結局行方の分からない人もいました。
自叙伝 より
☆
先日、金榮輝(キムヨンヒ)先生を本部教会に迎えて、
特別集会がありました。
その場には参加できませんでしたが、
映像で拝聴させていただきました。
お父様の摂理路程を正確な年月日で語られながら
また、流暢な日本語で話してくださり、
2時間以上のみ言があっという間でした。
そこで語られたみ言を参考に
不定期ではありますが、
感じたことなどを書かせていただきたいと思います。
☆
金榮輝先生は、1945年に真のお父様が
公式路程を出発したあとから、
92年の生涯を終えるときまでの路程を
詳細に語られました。
最初に印象に残ったのが、
興南から帰ってこられ、
弟子たちを訪問されたときのことでした。
ご自分で行くことが出来なかったところは
金元弼先生に訪問に行かせました。
そのとき、何を話したのでしょうか。
「ともに南に下りましょう」
ということです。
しかし、お父様と出会った食口たちは、
みな拒みました。
彼らは何と答えたでしょうか。
「私は行かない。
彼がもしメシヤならば
何で収容所に入ったのか」
そして、お父様とともにしませんでした。
そのことを金榮輝先生は
次のように解説しておられました。
☆
このことは、2000年前のイエス様と同じです。
当時、イエス様は全ての基台が崩れ、
十字架につくことになりました。
そのとき、多くの人たちが
「あなたが神の子であるとするなら、
天使に命じてここから降りなさい」
そのように言いました。
そのときの状況と同じだというのです。
☆
お父様に対して、
「もしあなたがメシヤなら・・・」
これは、その時だけではないでしょう。
お父様が迫害されるとき、
十字架の道を歩まざるを得ないとき、
いつもそのように非難を受けたお父様でした。
しかし、蕩減の道を歩まざるを得ない
真の父母の道ですので、
甘受して受け止め、乗り越えていかれたのです。
だからこそ、真のお父様は
「スーパーマンであって、
スーパーマンではない」と感じます。
蕩減復帰の道から見れば、
また、神様、そして、私たちから見れば、
お父様は「スーパーマン」なのです。
しかし、一般の人から見れば、
真のお父様は「スーパーマン」とは見えません。
人間、文鮮明なので、そうしか見えないので
お父様の価値がわからないので、
お父様ご自身が一つ一つ、私たちの代わりに
勝利していかれました。
生身の人間であるがゆえに、身をもって苦労されたお父様でした。
そして、もう一つ。
これは、「真のお母様しかり」なのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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