復活は、堕落人間が
創造本然の姿に復帰する
過程的な現象を意味する。
昨日の自分よりきょうの自分が
少しでも善に変わるとすれば、
我々はそれだけ復活したことになる。
原理講論より
☆
創造本然の姿に復帰する
過程的な現象を意味する。
昨日の自分よりきょうの自分が
少しでも善に変わるとすれば、
我々はそれだけ復活したことになる。
原理講論より
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本部の先生が「復活」について説教してくださっています。
参考にして紹介します。
☆
「神様の似姿になる三つの復活」です。
それでは、何によって復活するかというと三つの側面があります。
それは、神様の似姿になるための「知的側面の復活」と
「情的側面の復活」と「意的側面の復活」です。
知的復活とは、「真理・み言」を通しての復活です。
人間は真実を知り、真理を知ることで喜びを感じ、生きがいを感じるものです。
反対に知らないこと、分からないことは不安をもたらし、
人生に迷いが生じてくるものです。
まさに、真理とは「霊的な光」として、人生の行くべき道を照らして、
明るい人生へと導いてくれるものです。
具体的にはどのようなことでしょうか?
人間だれしもが直面する「人生の三大疑問」があります。
「人間はどこから来たのか?」
「何のために生きるか?」
「死んだらどうなるのか?」
この三大疑問は統一原理によって明快に解決することができます。
☆
また、情的復活とは、「祈り・瞑想」を通しての復活です。
人間は宗教や教派を超えて、人種や国境、歴史を超えて
「祈り」と「瞑想」を繰り返してきました。
人間の心霊は、心の故郷を求めるように神様を求めるようになっています。
祈りと瞑想を通して神様に近づこうとしてきました。
この祈りや瞑想は、霊的呼吸のようなものです。
一見、あるのかないのか意識していない空気ですが、
呼吸を通して最も大切な生命の糧であることに気づきます。
呼吸とは、呼気と吸気の繰り返しであるように、祈りは神様との対話です。
祈りは私の思いを神様に伝えることでもありますが、
静かに神様の声に耳を傾けることも大切です。
他の人の為に祈ってみましょう。
まず、人間関係で最も気になる相手を決めて下さい。
夫や妻、子供でもいいです。
伝道対象者でもいいです。
そして、自由に祈るのではなく、三つの言葉を繰り返して捧げていきましょう。
「○○さんの中にいる神様、ありがとうございます」
「○○さんの中にいる神様、ごめんなさい、許して下さい」
「○○さんの中にいる神様、愛しています。為に生きます」
この三つの言葉を繰り返して捧げていくのです。
「○○さんの中にいる・・」のところに
「夫の中にいる・・・」「妻の中にいる・・・」「子供の中にいる・・・」
というように決めた相手を入れて数分間やってみます。
☆
さらに、意的復活とは、「実践・為に生きる」ことを通しての復活です。
真理を頭で知って、祈りを通して心で感じ取るだけではなく、
体で実践すること、為に生きる「善行」が大切です。
頭で理解したことを実践してこそ成長することができます。
心で感じたことを実践することでそれを実感することができます。
実践を通してこそ、真理の理解が深まり、祈りが深まっていくものです。
☆
このように、「真理・み言」と「祈り・瞑想」と「実践」を通して心の完成、
「霊人体の完成」がなされます。
霊界という永遠の世界に唯一持っていくことができるものが霊人体ですから、
この三つの復活は人生にとって最も大切なこととなります。
☆
み旨の道には、以下のようなみ言があります。
「信念を生活を通して実践することが信仰生活である」
「信仰はみ言を通じた神と人間との契約である」
礼拝のみ参加する信仰ではなく、
日々の生活、「生活信仰」になることが
重要であるということだと思います。
復活するための最高の道のりを与えてくださった
真の父母様に心から感謝いたします。
そして、講師の紹介してくださった、
三つの観点で繰り返し精誠を捧げながら、
日々復活する私たちになっていきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)