2015年05月05日

(証し)劉孝元先生の身代わりになります! 周藤先生がお父様に出した手紙とは




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昨日、周藤先生の証しを紹介しました。
焼き栗の証しを書いた後、何気なく見ていたら
「証言」の中に他の周藤先生の証しを見つけました。

劉孝元先生が病気になられた時、
お父様に手紙を書いたという証しです。


祝福を受けてから少したったある日、
私たちに非常にショッキングなニュースが入りました。
それは「劉協会長が『ガン』になったので祈祷してください」
ということでした。

劉協会長は韓国では原理を語る立場でありましたし、
私も日本で似たように立場なので、
個人的にはあまり深く話し会ったというのではないにもかかわらず、
気が付いてみたら劉協会長と同じような世界が
自分の中にあることを知りました。
したがって祈りも本当に真剣にならざるを得ませんでした。

その祈りの中で、先生がある時にフッと語られた言葉が浮かんできました。
それは“たとえこの世を失ったとしても劉協会長は失いたくない”
という言葉でした。
私はなお祈り続けると、今度は“もし私が代われたら……”
という思いがどんどん強くなってきて、
どうしようもなくなってきました。

それからというもの、私はその問題を中心として非常に闘いました。
とうとう私は心の底から喜んで身代わりになろうと決断しました。
そして心の中で思っているだけでなく、
実体化しなければならないということに気が付いて、
先生に手紙を書こうとしました。

私は先生が認めればそれはそのごとくなることを知っていたのです。
ですから山を見ても川を見ても、
“ああこれでこの世の見納めだ”と思い、
兄弟に会っても、ああこれで終わりかもしれないという、
何とも言えない気持ちでした。

しかし、自分の責任分担のために別の意識になると、
またその本来の意識にもどすまでに、
ものすごい努力をしなければなりませんでした。
それが一、二週間続いて、まだ手紙を書き終わらないうちに、
劉先生が亡くなられたという知らせが来たのです。

私は“遅すぎた!”と思いたまらない悔いになってしまいました。
そしてどうしていいかわからなくなり、
どこにも行き場がなく、誰にも打ち明けられないので、
とうとう家内に相談することにしました。
彼女は、私と一緒に泣いてくれました。

後である人から聞いたのですが、
彼女は「その時初めて私を愛せるようになった」ということでした。
私の中に天を思う気持ちがあるのを見て、
それを愛せるようになったというのです。
彼女は普通の人間的な関係では、
そんなに反応する人ではありませんでした。

私は足らなかったことを詫びるために、先生に手紙を書きました。
天が必要であるならば、いつでも捧げ物になりたい
という気持ちを書いたのです。
それから不思議に運勢が変わったらしく、
どんどん先生の所にも呼ばれるようになりました。



皆様もこの証しを通して感じると思いますが、
周藤先生は、本当に純粋なのだなぁ、と思います。

お父様が愛してやまない、劉孝元先生がガンになった。。。
もし劉先生の病気が治るなら、自分が身代わりになってもいい。
そんな思いをお父様に手紙を書こうとしたのでした。

その手紙は御心なのか間に合いませんでしたが、
そして、亡くなったあとに、
いつでも捧げ物になりたい
とお父様に手紙を書きました。

お父様はどれだけ嬉しかったか知れません。
それから運勢が変わり、お父様の許に呼ばれるようになった
ということですが、生命を奉げたい
というような忠孝の思いが、通じたのでしょう。
命を捨てるものは得ると言いますが…。

周藤先生の証しを通して、
お父様の心情を喜ばせることの重要性を感じます。
実績を捧げることも貴いことかも知れませんが、
それ以上に純粋な心情を捧げることが
もっと貴いことであることを改めて感じるのです。


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