自分に愛がないこと、愛せないことが
地獄であると悟った女性がいます。
そして、「奇跡だ」というような出来事が…!
感動的な証しを紹介します。
☆
3.11東日本大震災の津波で、義父(ちち)の家は全壊しました。
「俺の人生はいったい何だったんだ。
津波に三回も遭って、三回目で全部流されてしまった…」
と義父は泣きました。
89才の義父に、主人と一緒に同居を勧めましたが、
「故郷を離れたくない」と言って、
仮設で独り頑張ることを選びました。
次第に、認知症とアルコール中毒の症状が義父に現れ、
とても一人にはできないことから、
すぐに我が家に連れてきて同居をはじめました。
しかし、その同居生活は本当に凄まじいものとなりました。
激しい怒りを撒き散らす以外に何もできなくなってしまった義父は、
連日あらゆる暴言と暴力を浴びせるようになりました。
私は恐ろしくて食事を共にできなくなり、
同じ空気を吸うのが辛くなると、家の外に逃げました。
自分の心に嫌悪感が沸くことこそが地獄なのだと思いました。
主人も父に対する怒りを押さえられなくなっていき、
私たちは何かの事件を起こしてしまうかもしれない、とまで思いました。
入院すれば看護師さんたちに嫌な思いをさせてしまい、
「このままでは家庭が壊れてしまいますよ」と、
看護師長さんは義父の施設入所を勧めました。
その時、荒れ狂う義父に「書写を勧めてみよう」と思い立ちました。
すると不思議なことに、義父は書写にはとても関心を示し、
集中して筆を持ちました。
私も本当に必死で書写をしながら、
心の復興と家庭の平和を心底願いました。
書写をし、瞑想しながら、義父の人生を辿ってみると、
ぼろぼろ泣けてくるのでした。
本当に大切にされたことがなく、
深く傷ついているのは義父自身だと感じられ、
多くの反省と気づきが与えられました。
そんな義父に私が泣いて謝ると、
義父は「頭を丸めたい」と言いました。
その頃から、義父は生まれ変わったように、
穏やかになっていきました。
情感が戻ってきた義父は、
亡くなった義母とずっと一緒にいたいということで、
祝福を受けてくれるまでに変わり、
さらには、義父と私の変わる姿を見て、
主人と主人の姉までが祝福を受け入れてくれました。
そして驚いたのは、義父が娘の祝福結婚を応援してくれたことです。
「まあ良いことじゃないか。応援してやれ」と義父が言うと、
主人は「俺は別に反対してないよ」と言ってくれ、
娘とそのお相手は「奇跡が起きた!」と喜びました。
書写を続けるうちに、家族の心がとても生き生きとし、
親子三世代が祝福家庭になることができました。
天の父母様と天地人真のご父母様に心から感謝いたします。
ありがとうございました。
☆
とても、素晴らしい証しです。
家庭は愛の学校だ、といいます。
また、天国の縮図だといいます。
幸せの基地だといいます。
しかし、現実を見てみると、
様々な問題ばかりで、解決の糸口がないように
思えることもあるかもしれません。
たとえば、問題を起こしている家族がいるとしたら、
その人が問題だ、その人を変えるには
どうしたらいいか、と考えてしまうかもしれません。
この婦人は、お義父さんに嫌悪感が沸く
自分の心が地獄だと感じました。
そして、自分からまず愛の実践をしていきました。
この婦人の姿を通して、
「人を変えるのは、まずは自分から」
そんなことを感じます。
悔い改める姿に一番反応したのが、
一番大変だった、お義父さんでした。
おそらく、お義父さんも本心では、
「このままではいけない・・・」
そう思っていたのでしょう。
また、お義父さんの変わった姿に
ご主人やお義姉さんも変わっていきます。
今、「私」の周りで起きる出来事も
「私」の姿勢次第で、
プラスにもマイナスにも
変化していくのだと感じます。
また、浅川先生は、
「み言を書写することにより、
私の心も磨かれていきます」
と語られているように、
み言の力と悔い改めの力が
相互作用を生み出したのだと思います。
私たちも相続すべき内容です。
すべての問題は
御父母様によって解決するといいます。
神様の愛を体恤し、勝利された御父母様。
自叙伝は、そのエキスがつまった
教科書であると思います。
☆
あふれるほど愛を受けた人は、
人のために、
神様のために働くことができます。
家庭は、あふれるほど愛を与え、また与える所です。
家庭は、家族を包む囲いであって、
愛を閉じ込める所ではありません。
かえって家庭の愛は、外にあふれ出て、
絶えず流れていかなければなりません。
いくら愛があふれ出ても、
家庭の愛は渇くことがありません。
神様から受けたものだからです。
神様から与えられた愛は、いくら掘り出しても底が見えない愛、
いや掘れば掘るほどもっと澄んだ水があふれ出てくる、
そのような愛です。
その愛を受けて育った人は、
誰でも真の人生を生きることができるのです。
自叙伝p233
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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