2015年05月25日

〈お父様、初来日の証し〉 「このお方は再臨の主だ!!」 霊界のクリスチャンたちが感涙!



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今日は、今から50年前、真のお父様が来日された時、
広島でお会いされた
ロニヨン(旧姓・春日)千鶴子さんの霊的体験を交えた証しです。



一九六五年一月二十八日、ついに私たちが待ち焦がれた
文鮮明先生は日本の地に降り立たれました。
このとき、私は広島教会にいたので、
この歴史的な瞬間を目にすることはできませんでしたが、
東京の本部からの連絡を待ちながら、
先生ご一行の巡回される日のために心を尽くして準備をしていました。

以前から私たちは、西川先生から“メシヤ観”について、
いろいろと教育されてきましたが、
キリスト教から来た者にとっては、
真のお父様をお迎えすることは緊張の極みです。

二月四日、いよいよご一行が到着される日がやってきました。
私たちは広島駅にお迎えに行きました。

列車から降り立たれたそのおかたは、
微笑を浮かべて私たちに応えてくださいました。
“大きなかただな。”と思ったのが、私の第一の印象です。
そして私は、“このおかたが、そのおかたである。”と、心の中で反復していました。

ご一行が広島教会に到着すると、すぐに文先生の説教が始まりました。
皆、その力強いみ言に吸い寄せられるように聴き入っていました。

そのときです。
突然そのお顔から、はらはらと涙がこぼれ落ちたのです。
説教の中で、イエス様のことを話されていた時のことであったと思います。

そのとき、私はすごいショックを受けたのを今でも覚えています。
私は、“このおかたが再臨の主であり、実体のお父様である。”と実感しました。


それから歓迎会が始まり、私たちは真のお父様の大きな愛の中に、
すっぽりと包まれてしまい、楽しいひとときを過ごしました。
西川先生が私たち一人ひとりのことを誇らしく紹介すると、
真のお父様は深くうなずいていらっしゃいました。

おそばにおられる崔元福先生も、絶えずにこやかにされて
一人ひとりを優しく見守っておられました。

お食事をお出しする時になりました。
何日も前から神山(旧姓・岩井)裕子姉と頭をひねりながら
試行錯誤を積み重ねた結果、韓国料理と言えるかどうか分かりませんが、
とにかく精誠を尽くして料理したものを真のお父様にお出ししました。

真のお父様は、それを召し上がりながら、「おいしいよ。」と言われて、
わかめスープをお代わりしてくださいました。


やがて楽しい和動会も終わりに近づき、
皆で聖歌「栄光の賜物」を賛美しました。

 
  はるかに輝く栄えの光
  強く生きよ自由の生命
  この地の果てまで目覚め立て
  生命の光、永遠にあり
  生命の光、永遠にあれ


歌っているうちに、私は胸がいっぱいになり、
込み上げてくるものをぐっと抑えるために下を向いて耐えていました。

泣くまい、泣くまいと我慢していたのですが、
ついに堰を切ったように声を上げて泣いてしまったのです。
泣くというよりは、嗚咽といったほうがよいかもしれません。
もう止めようとしても止まりません。

そのとき、私の目の前に座っておられた背広姿の真のお父様の姿が、
突如として変貌したのです。
私が見たのは、真っ白い衣を召されて
大きな雲の上に堂々と座していらっしゃる再臨の主の栄光に輝いたお姿でした。

そして、私の背後から天に至るまで、霊界にいるキリスト教徒たちが
列を成して連なっている光景が見えたのです。

再臨の主をお迎えしたこの佳き日、肉体を持っているこの私を先頭にして、
霊界のクリスチャンたちが神様を褒めたたえ、
再臨主に敬拝をおささげし、感激してむせび泣いているのです。

後になって考えてみると、これは多分、
霊界で実際に起きていた出来事だったのではないでしょうか?

  死から蘇きたこの我は
  蘇かしたお方に抱かれて
  永遠の愛と恵みの声
  いついつまでも喜びを
  いついつまでも讃めまつれ


なおもしゃくり上げていると、ふとこの光景を
客観的に眺めているもう一人の私がいることに気づいたのです。
その私の耳に、この聖歌が、いつまでも厳かに響いていました。


機会があれば、また紹介したいのですが、
ロニヨン千鶴子さんは、真のお父様にお会いするまで、
キリスト教の教会から統一教会に入教するまでの期間、
さらには、献身してからも、開拓伝道など
多くの精誠とご苦労がありました。

霊的な体験は、イエス様のことを話しながら
涙をはらはらと流されたというお父様のご心情と、
相対するものがあったから与えられたのでしょうし、
きっとそれまでの精誠の賜物に違いありません。

私たちもお父様の映像を見れば、
人知れず涙がこぼれるのは、そんな歩みを
足りないながら継承しているからだと思います。

今は、どんなに反対されても真のお父様を証し、
紹介することができます。

お父様の価値をわかるには、
お父様に対して多くの精誠を捧げないといけないのかもしれません。
日本は、「メシヤ」と言っても、
「飯屋」と誤解されるほど、キリスト教の基盤のない国です。

だからこそ、お父様の価値を知っている者たちが、
お父様の代身として立つ以外にはないのです。
それが、真の愛の実践であり、
神氏族メシヤ勝利への道のりなのだと思います。



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