村に原理の本を持って行く時には、
過度なくらいに大事にして
持って行かなければいけません。
仮にこの本が
一冊しかないと考えてみてください。
過度なくらいに大事にして
持って行かなければいけません。
仮にこの本が
一冊しかないと考えてみてください。
今日は93日路程の32日目、
お父様の生涯では、原理原本を書き終え、
姜先生が導かれた年となります。
お父様の生涯では、原理原本を書き終え、
姜先生が導かれた年となります。
☆
最近、公務も忙しく、
記事も何とか書いている状況ですが、
『6月も今日で終わりか・・・』
そんなことを思ってみると
お伝えすることを忘れていたことがありました。
実は、2010年6月2日にブログを始めたので、
今月で丸5年になりました。
記事は今日で1761通目。
個人的には、(ほぼ)毎日書くというのは、
精誠条件のようなものだと思わされています。
外的な忙しさもそうですが、
内的にも上がり下がりはあるわけで。。。
いろんなことが要因となって
『今日はいいかな』とか思ってしまうこともあるのです。
それでも知恵と根気を振り絞って書くのですが、
やはり、私の場合は、妻の存在が何よりも有難いです。
彼女がいなければ、とっくに辞めていただろうし、
やる気がしない時にも、励まされて
おだてられて(笑)、そのまま続けてしまっています。
また、もし夫婦喧嘩が大変で、
『妻にこんなこと言われて書くもんか!』
なんて思っても、継続できないわけでして。。。
まぁ、告白すれば、些細な諍いごとはありますが、
それでも大掛かりな夫婦喧嘩にならないのも、
ある意味、ブログ効果かもしれません。
いつも思うのは、私以上に
み言の理解力においても、心情の世界においても
さらには、文章力においても素晴らしい方は
たくさんおられるのだから、そういう方が、
早くブログを書いてくださればな・・・
ということです。
でも、火中の栗を拾うのは、
なかなか簡単ではないのかも知れません。。。
ただ、私としては、記事を書くようになって、
霊的アンテナが敏感になったのか、
いろんな証しを受けるようになりました。
そして、今、私たちの教会での路傍伝道が
全国にも伝わるようになったことも
ことのほか嬉しいです。
☆
青年部時代に、ともに歩み、今は韓国在住の兄弟に
先日、誕生日メッセージを送ったら、
こんなメッセージが返ってきました。
『いつも何かと闘ってるイメージがありますね。
陰ながら応援していますよ!』
私は青年部を経て、献身してすぐに
一度目の拉致監禁を受けました。
そういえば、拉致を受けたのは、6月でした。
命からがら逃げ出してきたのですが、
二回も拉致されるとは思いもしませんでした。
外的にも命が危ない時もありました。
霊肉ともに神様から命を与えられている感じです。
なんだか、まとまりのない
文章になってしまいました。。。。
これからも継続して頑張ります。
応援のほど、よろしくお願いいたします。
『原理原本』脱稿と伝道の開拓(一九五二・五・一〇)
皆さん、村に原理の本を持って行く時には、過度なくらいに大事にして持って行かなければいけません。仮にこの本が一冊しかないと考えてみてください。ですから、先生がこの本の原稿を起草する時、その原稿の管理をどんなに深刻にしたことか、考えてみてください。もし、それがなくなって、私が死ねばどうなりますか。世界が行ったり来たりするのです。皆さん、そのようなことを考えてみましたか。
一人で、私が『原理原本』を書いたものを蒔く時、これが世界の霊的な糧となり、万民があがめ奉ることができる原理のみ言であると、誰が知っていたでしょうか。
先生が最初、釜山でみ旨の道を出発する時、他の人たちとその姿は同じでしたが、内的には大きく異なっていました。
たとえ、服はぼろぼろで、御飯に飢える境遇ではありましたが、思いだけは「この世界を征服して天の国を必ず成し遂げるのだ」と思って、そうできると、大きなことをどんどん言いました。
一番最初は、凡一洞に家を建てて、三人で集まり、伝道したり、祈祷したりしました。当時、彼らと話をする時、先生は三人の人を置いて話すとは考えませんでした。「今この人々に話をするが、本当は数億のキリスト教徒と、人類に向かって話をしているのだ」と考えました。
その洞内に井戸がありましたが、そこに水をくみに来た人々が、「あの家では争いがないと思っていたのに、近ごろはけんかをしている」と、うわさをするのです。その身なりを見ればどうしようもない格好をしており、お化けが出てくるような家に住んでいるのですが、「世界を一手に掌握し、天と地がひっくり返り、韓国が一遍に世界をすべて統一する」という途方もない話をするから、うわさが立ったのです。
「あの家に行ってみたら、井戸では無口だったあの人が、ものすごかったよ」といううわさが立ち、人々がひっきりなしに集まってくるではありませんか。ある時は、どこかの神学校に通っている人たちが来て、「歴史上に、あなたよりも立派な人がたくさん来て、統一世界を夢見たのに、みな果たすことができなかった。ところが、あなたが統一するですって?」と言うのです。その時、私が話をしながら、よく考えても、本当にわびしかったのです(笑い)。水が流れるように溝を掘り、その上に家を建てたので、オンドルの下ではチョロチョロと水の流れる音がするのですが、そのような家に座って、そのような途方もない話をするので、誰が信じるのかというのです。
そのころ、「あの山頂にいる美男子は惜しい人だが、狂ってばかになっていく」と、そのようなうわさが立ちました。それでも私が美男子のように見えたみたいです。それで私を見物しに来ようとする人までいたのです。「ある美男子が修道している途中で狂ってしまったそうだが、あの人らしい!」と見にきたのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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