2015年06月18日

すべての道は真の父母に通じる?! 環境問題解決も! 《真のお母様のみ言inウィーン》



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お父様は自然を愛されました。
特に海をとても愛されました。

天の父母(神)様は
人類を愛する夢を描きながら
天地を創造されました。




ヨーロッパ宣教50周年記念大会
祝勝会で語られた真のお母様のみ言を紹介します。


今朝の訓読会は楽しかったですか?

お父様は自然を愛されました。
特に海をとても愛されました。
未来の人類の食料問題解決に向けて尽力されました。

聖和3周年には鮮鶴平和賞を授与することになりますよね。
今後皆様は継続的に研究をし、人類を啓蒙していかねばなりません。
地球に危機が訪れかけています。

私はアルプス山脈の高い山々を登山し歩き、
氷の洞窟まで入りました。
この氷の洞窟はローマ時代から溶け始めています。
アルプス山脈だけではありません、アラスカでも同様です。
氷が壊れながら溶けだし、海水が上昇し始めています。

人類の生活がどんどん危機にさらされて来ています。
人間たちの間違った習慣によって地球が破壊されています。
これを中断させなければなりません。
防がなければなりません。
地球を救わなければなりません。
自然に戻れるよう啓蒙しなければなりません。

天の父母様は人類を愛する夢を描きながら天地を創造されました。
神様の懐で抱けないほど、
地球が破壊されていくのを放って置いても良いのでしょうか。
いけないですよね。
まずこれを分かっている人が教育し、
そうさせないようしていかねばなりません。
真の父母様に仕えて行かねばなりません。
現システムでの法や制度ではいけません。

昨日もお話ししたように、
真の主人、神様にお仕えする運動をしなければいけません。
真の父母様に仕えなければなりません。
その道こそが人類が生き、地球の生態系も生き残る道です。

お父様が孫たちと見た映画。
皆様もご存知でしょう?
ディズニーで制作されたアニメーション映画
「ファインディング・ニモ」のストーリーを知っていますか?

さんご礁に関するビデオを見ては、
どうすれば海を生かすことができるかとお考えになられました。
現在、人間の無知によってさんご礁が全部破壊されていますよね。
いくらも残されていません。
さんご礁が破壊されれば海に住む魚たちは生き残れません。
最終的には人間が食べていけないという話になります。
わかりますか?



今、ヨーロッパを見てもそうです。
それぞれの国の境界線がありません。
人種紛争が問題となっています。
同じ宗教同士で争っています。
殺し合い破壊し合っています。
これをどうしますか。
放置してしまえば終末が見えてきます。
未来がありません、違いますか?
破壊していっています、どうするのですか?
見て知らないふりをするのですか。

この地球上に真の父母様が来られたことを
知らせていかなければなりません。
「君たち兄弟は争わずに皆、真の父母様の傘の下で一つになろう!」
としていかなければなりません。
違いますか?
その道こそがこの国も生き、ヨーロッパ全体も生き、
全世界が共に生きていけるようになる道なのです。

したがってこれからはどうするにあれ、
皆さんがどんな手段を使ってでも、どうしていかねばなりませんか?
最近はインターネットのお陰で1秒圏内です。
皆様の中で、年もとって動力も鈍い人は、
インターネットを使ってできるではないですか。

真の父母様は人類を愛され、これ以上悲惨な生活のない、
未来が安定した幸せな世界にいけるよう、どん底から苦労されました。
そうしてサタンの権勢を全部蕩減復帰し、
やっと天をお迎えする人々の力量により、責任により、
平和世界が訪れる門が開け放たれたのです。

皆、賛同すれば生きていけるのです。
賛同しますか?
私が歌を歌わなければ終わりませんよね?



ヨーロッパ宣教50周年記念大会勝利祝勝会
2015.5.11(天暦3.23)
ウィーン・ヒルトンホテル



このみ言の前には、ヨーロッパ宣教の略歴、
食口代表の証し、祝歌。
そしてみ言の後、最後には、お母様が先導して
「サンタルチア」と「サランヘ」を歌われたそうです。

お母様は環境問題に関して言及されています。
環境問題の解決には、何が必要なのか・・・
お母様の回答は明確です。

「この地球上に真の父母様が来られたことを
知らせていかなければなりません」

どんな問題も、真の父母様によって解決できないものはない。
そのようにお母様は、断言されています。

現実ばかりを見れば、本当に気が遠くなります。
有識者の人たちに、真の父母様の価値を伝え、
環境問題に対して、認識してもらうということ、
私のような者に訴える何の力があるだろうか・・・と。

真のお父様も霊界では深刻なのだと思います。
地上のことは霊界ではもっと良くわかるはずです。
お母様を通して、必死に訴えかけておられるのだと思います。

私たちは、真の父母様を堂々と証すのです。
それしかありません。
すべての問題は、父母様を通して
必ず解決するようになっている、といいます。

だからこそ、私たちは、
父母様と一つになるしかないのだと感じるのです。


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posted by ten1ko2 at 08:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月17日

26歳の再臨主が口を開くと…! 「火のようなみ言」 《金元弼先生の証し》



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先生がみ言を語り始められますと
神霊の役事が起こるのです。

神の心情を体恤するようになって、
悔い改めながら泣き、
泣いた後は心からうれしくなって
喜んで歌ったり、踊ったりするので、
礼拝は大騒ぎとなるのです。



金元弼先生の「伝統の源流」より
『火のようなみ言』という題目の部分を紹介します。


先生はその当時、先生を訪ねてくる人々に
テーブルに座って話してくださいました。
そのみ言はとても簡単明瞭でした。
創造、堕落、復帰原理という筋で、ポイントをついて
一、二時間で全部話してくださいました。

一緒に周りにいた人たちは、先生の言われることに
非常に感動してよく頭に入れ、うなずきながら聞いていますが、
私はその人たちのごとくはっきりと分かりません。
感動できません。
そこでどうして私はそうならないのかと、
先生のみ言を聞いて感動する隣の人に対して、
非常にうらやましく思いながら、
先生のみ言を聞いたことを記憶しています。

私はキリスト教の教理が何も分からず、
人生の問題に対する深刻な悩みを
特別にもったことがなかったからかもしれません。

私はその当時、先生のお年を聞こうとも考えなかったのですが、
お年が分かったのはそれから何年も経てからでした。
私には先生が若くは見えませんでした。

先生はこの世の人とも思えない本当に慈悲深い、
そういう平和のお方であると思いました。
心が先生にどんどん引かれたのは否定できません。
私は先生に会って非常に平和感を覚えました。

先生のみ言の一つ一つを熱心に書き付けておいて、
それを覚えるくらい何度も繰り返して読みました。
ただ一つ私の心から離れないのは、先生が下さったそのみ言であり、
町を歩いてもどこを歩いても頭から離れないでいつもいつも思い浮べました。


先生の周りにいる食口たちは、年を取っている人や若い人たちですが、
私の目にはすべての人が神様のごとく天使のごとく映りました。
そこで時間があれば教会を訪ね、「帰りなさい」と言われない限り、
いつまでも教会の中にいました。

もちろん私に帰りなさいという人はいませんが、
その当時は午前零時から通行禁止(戒厳令)になっていましたので、
自分で時間を見て帰らなければなりませんでした。
食口たちと一緒に、先生のみ言を通行禁止の時間になっても、
それを忘れて聞いていた時にはそのまま教会に一緒に寝ました。

食口たちは本当に道を求めてきた人たちでしたので、
通行禁止の時間が迫ってもなかなか教会を出ようとはしませんでした。

私がこのように先生の最初の牧会のことを話しているのは、
その時の先生の様子を共に皆様に想像してもらうためです。

皆さん、米国では男女が同じ部屋で話し、
いろいろな人が寝泊まりしていても何も言う人はいません。
けれども当時の韓国では、男女が夜遅くまで同じ所で、
たとえクリスチャンであっても、同じ場所で長く話し、
そこに寝泊まりするということは、本当に理解し難いことでした。

米国では壁と戸が全部屋にあって
隣の部屋に人がいても見ることができませんが、
韓国の家というのはそうなっていないので、
人々がいるのを見ることができるのです。

先生は、み言を与えることによって人々の生命が復活するのを願う
その一念に心掛けていますので、時間が遅くなっても、
人はどう見るだろうかということに気付かずにみ言を下さいました。


先生はみ言を語るにしても、お祈りをするにしても、
いつもいつも涙を流しておられました。

今、先生の年は中年を越えているのですが、
私たちの前でみ言を本当に大きな声で熱心に語ってくださいます。
二十六歳という若い時の先生が、
小さな部屋でどれくらい大きな声で熱心に語ってくださったか
想像するのに難しくないと思います。

先生はみ言を語り始めると、食口たちが用事があって立たない限り、
いつまでも語り続けられるのです。

また先生がお話しされる時に入神する人、予言する人、異言を語る人、
その異言を通訳する人もいました。
そのような雰囲気の中で、食口たちの大部分は火を受けるようになり、
ある人は肩から火が入ってくるのを感じました。
また、胸から火が入ってくるのを感じ、熱いながらも平和感を感じていました。

先生は公席ではお話をたくさんしてくださいますが、
私席においては絶対にみ言を語られないのです。

そして先生がみ言を語り始められますと神霊の役事が起こるのです。
そうなると声が大きくなり、その次には体がじっとしていられないのです。
過去には神の心情を知らなかった人が、神の心情を体恤するようになって、
悔い改めながら泣き、泣いた後は心からうれしくなって喜んで歌ったり、
踊ったりするので、礼拝は大騒ぎとなるのです。



お父様がみ言を何時間も熱く語られる
その姿が浮かんでくるようです。

当時、火のようなみ言を語られるお父様と
集まった人たちが霊的になる様子は、
すごいと思いますが、
その中で、お父様を尊敬し、集まる食口のことも
尊敬していかれた金元弼先生の謙虚な姿勢も
すごいと思います。

お父様の三弟子であられる金元弼先生ですが、
導かれた当初、18歳の頃、食口たちが感動しているのに、
感動できなかったと語られています。

あれほどの大先輩がお父様のみ言がわからなかった・・・
それでも三弟子になられたのですから、
相当、み言を求め、お父様の相対に立つ努力をしたのだと思います。

お父様のみ言を書き付け、覚えるくらいに読んで、
心からみ言が離れなくなった、といいます。

私も、もともとクリスチャンではありません。
さしたる苦労もしてきていませんが、
それでも、金元弼先生のように、
お父様を求めていけばいいのだ、
と希望を持つことができました。


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2015年06月16日

4年前の真の万物の日、真のお父様は…?! 



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第53回真の万物の日
おめでとうございます



「真の万物の日にお父様とお会いしたことがあったな・・・」
そんなことを思いつつ、
ブログを検索してみると・・・ありました。

今から4年前、2011年6月2日第49回真の万物の日に
天正宮博物館で行われた敬礼式に参加させていただいたのでした。

その時、印象に残った内容を、ブログを振り返りつつ
書いてみたいと思います。


お父様はみ言を語られた後、
3人の先生に歌を歌わせました。
3人とも、「アリラン」に関する歌でした。

最初の先生は、「蔚山(ウルサン)アリラン」を歌われました。
歌う前に、ご自身が世界の様々な国でお父様を慕い求めながら、
宣教活動した証をされ、韓国の峠を思い出すべく、
ソ連(ロシア)にいたときも、山を見ながら、
蔚山アリランを歌われたと報告していました。

二人目の先生は、「十二峠のアリラン」を
面白おかしく歌われました。

最後に歌われたのは、声楽家を目指しておられた先生の歌でした。
前の方に座っておられたので、
何か責任を持っておられる方であると思います。
一般的なアリランの歌を歌われました。

お父様は「新アリラン」と言っておられたような気がしましたが
朗々と歌われる姿に、心に響くものがありました。
何故か、心情的に歌われた最初の先生よりも、
ある意味、淡々と歌われる歌の背後に、
深い心情が伝わって来たのです。

毎回のように歌を歌わせ聴かれるお父様。
特に「アリラン」も、よくリクエストされる歌のひとつです。

「ホルロアリラン」という一般の歌手が作られた歌も
お父様は好んでよく歌われます。


お父様は、アリランの歌を何故好まれるのでしょうか。

このときの敬礼式に参加させていただきながら、
アリランの歌を聴いているお父様の姿を通して、
胸に響くものがありました。

すなわち、お父様が越えてこられた死の峠の道、
肉体においても、死の境地を何度も越えていかれましたが、
心情の世界においても、
何度も死の道を乗り越えていかれました。
その道のりが、歌を通して伝わってきたのです。

そして、また峠を越えていかなけれならない、
その決意を確認する時間でもある、
そんなことを感じたのです。




お父様の心情の世界と
私たちの心情には、計り知れないほどの
壁があるような気がします。

私たちにおいても
この道を歩むにあたって、
多くの峠を乗り越えてきました。

この道に来なければ、
こんな峠を乗り越えることもなかったろうな・・・
そんな峠を限りなく越えてきたように思います。

しかし、真のお父様は、神様にしかわからないような、
本当に苦難の峠、私たちでは到底越えられないような峠を
何度も何度も乗り越えてこられました。

私が参加したこのときは、
お父様が聖和される約1年前のことになりますけれど、
基元節を目前に控えて、
お父様は最後の峠を越えておられる時でした。
深刻な思いを神様と共有しておられた真のお父様だったと思います。

そして、その思いを、今は真のお母様が引き継がれておられます。
苦難のアリラン峠を神様、そして真のお父様とともに
乗り越えようとされておられます。

「少しでも、お母様の後ろ盾になっていきたい・・・」
そんな決意をさせていただいた
今日の第53回真の万物の日の朝でした。



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posted by ten1ko2 at 08:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする