第53回真の万物の日
おめでとうございます
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おめでとうございます
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「真の万物の日にお父様とお会いしたことがあったな・・・」
そんなことを思いつつ、
ブログを検索してみると・・・ありました。
今から4年前、2011年6月2日第49回真の万物の日に
天正宮博物館で行われた敬礼式に参加させていただいたのでした。
その時、印象に残った内容を、ブログを振り返りつつ
書いてみたいと思います。
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お父様はみ言を語られた後、
3人の先生に歌を歌わせました。
3人とも、「アリラン」に関する歌でした。
最初の先生は、「蔚山(ウルサン)アリラン」を歌われました。
歌う前に、ご自身が世界の様々な国でお父様を慕い求めながら、
宣教活動した証をされ、韓国の峠を思い出すべく、
ソ連(ロシア)にいたときも、山を見ながら、
蔚山アリランを歌われたと報告していました。
二人目の先生は、「十二峠のアリラン」を
面白おかしく歌われました。
最後に歌われたのは、声楽家を目指しておられた先生の歌でした。
前の方に座っておられたので、
何か責任を持っておられる方であると思います。
一般的なアリランの歌を歌われました。
お父様は「新アリラン」と言っておられたような気がしましたが
朗々と歌われる姿に、心に響くものがありました。
何故か、心情的に歌われた最初の先生よりも、
ある意味、淡々と歌われる歌の背後に、
深い心情が伝わって来たのです。
毎回のように歌を歌わせ聴かれるお父様。
特に「アリラン」も、よくリクエストされる歌のひとつです。
「ホルロアリラン」という一般の歌手が作られた歌も
お父様は好んでよく歌われます。
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お父様は、アリランの歌を何故好まれるのでしょうか。
このときの敬礼式に参加させていただきながら、
アリランの歌を聴いているお父様の姿を通して、
胸に響くものがありました。
すなわち、お父様が越えてこられた死の峠の道、
肉体においても、死の境地を何度も越えていかれましたが、
心情の世界においても、
何度も死の道を乗り越えていかれました。
その道のりが、歌を通して伝わってきたのです。
そして、また峠を越えていかなけれならない、
その決意を確認する時間でもある、
そんなことを感じたのです。
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お父様の心情の世界と
私たちの心情には、計り知れないほどの
壁があるような気がします。
私たちにおいても
この道を歩むにあたって、
多くの峠を乗り越えてきました。
この道に来なければ、
こんな峠を乗り越えることもなかったろうな・・・
そんな峠を限りなく越えてきたように思います。
しかし、真のお父様は、神様にしかわからないような、
本当に苦難の峠、私たちでは到底越えられないような峠を
何度も何度も乗り越えてこられました。
私が参加したこのときは、
お父様が聖和される約1年前のことになりますけれど、
基元節を目前に控えて、
お父様は最後の峠を越えておられる時でした。
深刻な思いを神様と共有しておられた真のお父様だったと思います。
そして、その思いを、今は真のお母様が引き継がれておられます。
苦難のアリラン峠を神様、そして真のお父様とともに
乗り越えようとされておられます。
「少しでも、お母様の後ろ盾になっていきたい・・・」
そんな決意をさせていただいた
今日の第53回真の万物の日の朝でした。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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