2015年07月22日

大雨の中、ずぶ濡れの路傍演説!! 今の日本にもこんな若者がいる?! 《久保木会長の証し》



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40日開拓伝道のことを思いつつ、
いろいろと調べてみると、
久保木会長が、笹川良一氏が教会との
縁を持った証しをされていました。
少し編集して紹介します。


昭和四十三(一九六八)年の四月一日に国際勝共連合が設立され、
私が勝共連合の会長となりました。
笹川先生には大変なご尽力をいただきました。
私が名誉会長の就任をお願いしたときも快く引き受けていただいたのです。

思い起こせば、笹川先生との出会いも劇的でした。
六〇年代の初めごろ、私が佼成会を辞め、
統一教会に専従し始めた直後だったと思います。
廃品回収と路傍伝道に明け暮れる日々。

そのころ徐々に教会員が増え始め、開拓伝道を開始することになりました。
第一期の夏季四十日間開拓伝道です。
単身かもしくは二人で、行きの電車賃だけを持って、
任地におもむき伝道を行うのです。

その時、徳島に配置された女性がおりました。
彼女は徳島の駅前で毎日路傍伝道をしていました。
旗を立てて群衆に向かって演説をして、
その後一人一人に話しかけていきます。
彼女のそういう姿を物陰から毎日見ていた老人がいました。
珍しい人がいるものだと感心しながら眺めていたそうです。

ある大雨の日、今日はやらないだろうと思っていたら、
何とずぶぬれになりながら、いつものように演説をしています。
それを見て老人はびっくりしてしまいました。
「敗戦後の日本にもこんな若者がいる。
これはすごい」
老人は本当に感動したのです。

戦時中、笹川先生は国粋大衆党の総裁でした。
そして徳島のこの老人がその顧問をしていましたので、
東京に出てきたときに笹川先生に「偉い奴がいる」
ということで話したのです。
それを聞いた笹川先生は絶句して、
「わしがいっぺん行ってみよう」ということになりました。
これが笹川先生と我々との最初の出会いです。

そのことが縁で、笹川先生とのお付き合いが始まりました。
笹川先生は、私たちの統一原理の
深い神学的内容を理解していたわけではありません。
しかし、戦後日本の青年たちに見られなくなった、
国を守ろうという気概を統一教会の青年たちに見いだしたのは確かです。

(愛天愛人愛国より)



笹川氏が勝共連合の名誉会長になったことは、
とても大きいことでした。
多くの政治家、有識者とのパイプがあったからです。

その笹川氏が統一教会との縁を持つきっかけとなったのは、
日本で最初の40日開拓伝道のとき、
大雨のずぶ濡れの中でありながら、路傍演説をしていた
一人の女性に感動した老人を通してでした。

おそらく、この老人も、そして久保木会長が証しているように
笹川氏もみ言をほとんど聞いていません。
しかし、熱心に活動している先輩たちの姿に感銘を受けて、
関わるようになったのです。

み言の素晴らしさに感動して、教会に来る方もおられますが、
熱心な姿に惹かれてくる人もいます。

私たちも暑い中、路傍伝道をしています。
そういう先輩たちの精誠を相続しながら、
暑さに感謝して歩んでいきたいと思います。


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2015年07月21日

子どもの叱り方 自己満足で怒っている?! 《多田講師の 家庭力UP↑講座》



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週刊ブリーフィングに、
本部・多田講師が、台湾で
親子セミナーを主催している様子が報告されていました。
日本だけではなく、世界共通に求められるのが、
親子の絆を強くすること。
タダならぬ多田講師は、国際的に大活躍されているようです。

『家庭力アップセミナー』
久しぶりに紹介します。
今回は、「子供の心が『育つ』環境を作る」です。


「教える」ことももちろん必要ですが、ややもすると、
相手の行動だけを変えようとしてしまいます。

教会に行かない子供を教会に行かそうとしたり、
勉強をせずにテレビやゲームばかりをしている子供を
勉強するようにさせようとしたり、
相手の行動を変えさせようとすることが多くなります。

しかしそのように、行動を変えさせようとすると、
相手はなかなか思うように行動してくれないのです。
そんな時、子供に対して悪い印象が親の中に植え付けられてしまいます。


父と子の例を一つ紹介します。

「息子が中学生のときでした。
たびたび勉強せずに遊んでいたので、
『テレビやゲームばかりやっていて勉強しないと、駄目な人間になるぞ。
親の気持ちが分からないのか』と怒ったのです。

すると息子が、『お父さんは自己満足で、怒っているだろう』と言い返しました。
『親を馬鹿にしているのか』と声を荒げると、
息子は『お父さんは怒ったから気が済んだだろう。
怒られた僕の気持ちはどうなるの』と言うのです。

そのときはすぐには、子供が言ったことが理解出ませんでした。
あとでじっくり考えたとき、
息子の言うとおり「自己満足」だったと悟りました。
子供は、親の動機をよく感じているのだと分かりました」


親の感想を紹介します。
「本当に自分が行動してきた事が、
いかに相手に対して愛が届いていなかったか、
押しつけであったか、また自己満足であったかを
よくよくわかることができました」

親は自分の気持ちをぶつけただけであって、
子供に何のよい影響も与えなかったのです。
「教える」ことは、相手に焦点が合っていて、
自己満足に陥りやすいのです。

子供は、親の動機を見抜く天才です。
どんな素晴らしいことを親が話したとしても
本当に子供を信頼していなければ、すぐに見抜いてしまうのです。

私たち親は、よく「お前のことが心配だから怒っているのだ」とか言って、
子供に強く言いますが、親から「心配だ」と言われると子供は、
多くは「私のことを信じていない」という
親からのメッセージとしてとらえてしまいます。
子供を信頼するという親の心を子供は、見抜いてしまうことが多いのです。



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2世のための家族修練会 台湾本部教会


『教える』ことと『育てる』ことの違いですね。
私も最初に出てきたお父さんのように、
子供がすることに対して、一方的に叱ることが多かったように思います。

詳細は省略しますが、
先日もゲームに対して関心を持ってあげることで
少し歩み寄ることができたように思います。

また、一対一で『デート』することを継続的にしていますが、
その時にも、子供の関心を持っていることを
なるべく聞いてあげるようにしています。

子供を通して、私たちも親になるための
訓練を与えられていると感じます。

天一国時代は家庭の時代だといいます。
天が一つ一つの家庭に臨まれる時になりました。
何よりも家庭に神様を迎えることが、幸せの秘けつでしょう。
私たちが祝福家庭としての価値を発揮して、
最高に幸せな親子となっていきたいと思うのです。


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2015年07月20日

7月20日、今日は何の日?! 統一教会の一つの伝統がここから始まった! 《姜賢實先生の証し》



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今日は、7月20日。
私たちは、『海の日』という概念が強いのですが、
古い先輩たちは忘れることのできない日だと思います。
今日は『夏期40日開拓伝道』の出発日なのです。

真のお父様の指示を受けて、
最初に開拓伝道に出発されたのは、姜賢實(カン ヒョンシル)先生です。

以前、記事を書いたことがありました。
今回は、続編を書きたいと思います。
 


最初に訪問した所は、西門教会という長老教会でした。
そこは二、三千人も集まるような大きな教会でした。
その夜、その教会に入りました。

ここで私は、祭祀をしなければいけないと思って入ったのですが、
「ここは一人でお祈りをする所ではない。」と言われ、追い出されたのです。
そこで、その下の階に行くと、小学生たちが礼拝をささげる部屋があったので、
そこに入って涙ながらに祈りました。

「神様。先生が私をここに送ってくださいました。
ここに来れば道が開かれ、神様が共に成してくださるというお話を聞きました。
神様、この大邱に必ず教会を立てなければなりません。
どうすればよいのでしょうか。」

およそ十分くらい祈ったとばかり思っていたのですが、
気がつくと、朝方の四時か五時ごろになっていました。

そこから出ていくと、既成教会の勧士に会ったのですが、
その人は「きょうは大徳山にお祈りをするために行きます」と言ったのです。
それで「一緒に行きましょう。」と言って、
そのかたと一緒に行くことになりました。
途中で米を一升買って、山に登って行きました。

大徳山に登るのに、およそ一時間以上かかりました。
その日は七月二十一日でしたから、汗を流しながら頂上まで登りました。

私は、大邱に教会を立てるために、
本当に神様にすがらずにはいられなかったのです。
そこで何をしたかといえば、
「私一人ここに来たのです。神様、どうか共に成してください」
と、真心を込めて祈りました。
その次には聖歌を歌いました。

そのころは、釜山の水晶洞に食口たちが皆集まっても、
十人にも満たないときでした。
その十人にも満たない食口たちが集まって礼拝するときには、
聖霊が降りてきました。
そして皆で泣きながら、踊りながら、笑いながら、
大きな声で礼拝をささげたのです。
そのときに歌った聖歌があります。
それが「園の春」でした。

その山の頂上で、この聖歌を何度も歌いました。
それも普通に歌うのではなく、
酒に酔った人のように満たされた心で歌いました。
すると、その場に五人の女性たちが登ってきました。
その女性たちは私の歌声を聞いて、
人の歌声か天使の歌声かで言い争ったというのです。
山頂に登ってきた女性たちは、私を見て
「ここに人がいるのですね。」と言うのです。

「あなたが歌うその歌を聞けば、あなたは信仰深い人に違いありません。
私たちは山でお祈りをするために、教会からここに来ました。
私たちがここにいる間、ぜひお祈りをしてください。
そして讃美歌も教え、いろいろと指導してください」と言うのです。

「私は何でもない者です。」と話したのですが、
その人たちは「あなたは、何か普通の人ではないように見えます。
ですから責任を持ってください」と言うのです。
それで、私は「一緒に恩恵が受けられるようにしましょう」と言いました。

そこで「園の春」を一緒に歌ったのです。
この歌は、真のお父様と一緒に踊りながら歌った聖歌です。
十人にも満たない食口たちで、真のお父様と一緒に歌いながら、
まるでお酒に酔った人のように、心が恩恵に満たされて歌った歌なのです。

山頂でそのことを思いながら歌うと、
既成教会の執事たちは感動し、感激しました。
そこでは何の説教もしなかったのですが、
この歌に感動した人たちが私に対して、
「先生、先生」と呼ぶようになったのです。

その夜から、大徳山の山頂で復興会が始まりました。
讃美歌を歌い、お祈りをして、私が説教をしました。
皆は良い話を聞きたいと夢中になっていたので、
私も多くの説教をすることができたのです。



姜賢實先生が開拓伝道をされたのが、
1953年、場所は大邱(テグ)でした。

1953年といえば、
世界基督教統一神霊協会が出発したのが、1954年ですから、
まだ、教会も何も存在していなかった時でした。

お父様に「行け」と命令されて、
たった一人で開拓伝道に出発された姜先生。
しかし、お父様の深刻な祈りがあり、
姜先生ご自身もお父様の心情を悟って、
決意して歩んで行かれました。
その中で、天の役事が起こったのでした。

姜先生が出発された開拓伝道。
その後、多くの先輩方が開拓伝道に出て行かれました。
草創期の頃の伝統と言えば開拓伝道、
そして、活動と言えば路傍伝道(路傍演説)でした。

そんな基準には、まったく及びませんが、
それでも、私たちの路傍伝道は、
そういう先輩たちの精神が受け継がれていると思いますし、
前線活動をしながら、そのことを感じます。

これからも頑張っていきたいと思います。


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    「 園の春 」

来たれ友よ園の春はときに花咲き
うれし春を楽しむ エデンの友よ
すべて来り踊り 春を歌おう

来たれ園の友よホザナ 声高く
踊る園を迎え 楽しむ友よ
すべて来り踊り 春を歌おう

来たれ友よ園に集い 楽しく歌い
とわに心変わらぬ エデンの友よ
すべて来り踊り 春を歌おう





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