私の息子が来たと私が喜んで迎えては、
条件に引っ掛かるのです。
天道が食い違った位置で、
神様が悲しむその位置で、
子供がいれば何をして、
妻がいればどうするというのですか!
条件に引っ掛かるのです。
天道が食い違った位置で、
神様が悲しむその位置で、
子供がいれば何をして、
妻がいればどうするというのですか!
お父様の生涯を辿る93日路程、
33日目の今日は
イエス様の33歳の十字架を越える
お父様にとっても、あまりに越え難い年にあたります。
聖進様とその母との再会、
そして、その後のあまりに辛い路程がありました。
33日目の今日は
イエス様の33歳の十字架を越える
お父様にとっても、あまりに越え難い年にあたります。
聖進様とその母との再会、
そして、その後のあまりに辛い路程がありました。
☆
今日は自叙伝書写の証しです。
☆
私は書写を始めてから、2年以上になりました。
最初のうちは一人でやっていましたが、幸せな家庭にするためには、
私だけではいけないと思い、
夫にも「一緒にやってみませんか?」と何度かお願いしてみましたが、
なかなか受け入れてはくれませんでした。
そうこうしているうちに、去年の3月頃でしたか、
同居している長男が40度の高熱を出し、2週間以上も続きました。
あまりにも辛そうなので、病院を変えてもみましたが、
原因は分からず、回復には向かいませんでした。
藁にすがりついても、苦しんでいる長男を助けたいと思い、
私はもう一度、夫に書写をすすめると、
夫も子供のことが気になっていたのでしょうか、
今度は二人で書写することに同意してくれました。
すると、不思議なことに、その日から長男の熱は下がり始め、
高熱はピタッと治(おさ)まったのです。
夫はそれ以来ずっと、一緒に書写をし続けてくれ、
私は感謝の気持ちでいっぱいです。
今では大会にも参加してくれるようになりました。
夫は優しい性格ですが、すぐに頭に血がのぼって
「カッ」となる短気な所があります。
私とは正反対な性格なので、本当に心を合わせて
一つになることが大変な時もありました。
けれども、毎月いただく書写の言葉に、自分の心を照らし合わせ、
少しずつではあるけれど、お互いに書写しながら努力し、
自分を変えることができました。
夫は「カッ」とすることもほとんどなくなり、
毎日の小さなことではありますが、ゴミを捨ててくれたり、
洗濯物を取り込んでくれるなど、私の手伝いをしてくれるようになりました。
つい先日は、「書写セットをいくつか貰ってきてくれ」というので、
何に使うのだろうと思っていたら、
なんと自分の兄弟に「これは、いいんだ」と勧めています。
私の方が夫を見習って、もっともっと変わらなければと、焦ってしまうほどです。
☆
昨年暮れからは、自叙伝の著者である文鮮明先生の統一原理と、
祝福結婚について、熱心に勉強を始め、
わずか2カ月間の間に一通り聞き終えました。
私たち夫婦が今、一番気にかけているのは、
先ほどの長男が33歳になっても独身でいることです。
今年の3月に書写堂に来た夫は、
「何年もかけるつもりはない。今年中に長男に祝福結婚を勧めたい」と、
私もびっくりするような意気込みを語りました。
この時も、私は驚きと共に、夫に感謝しました。
極めつけは、今月5月に入ってからのことです。
私は自叙伝でもよく語られている、文先生の故国、
韓国に行ってみたいと長い間思っていたのですが、
実は夫が韓国嫌いだったために、
いつも強い反対にあって、行くことができませんでした。
ところが、今月初めに頼んでみたら、
驚いたことに夫は私が韓国に行くことを許してくれました。
そればかりか、ツアーの行き帰りには大きな荷物をバス停まで持ってくれました。
ツアーは3日間でしたが、その間、洗濯や掃除、
食器洗いもキチンとしてくれていました。
今までであれば、きっと機嫌を悪くして、
部屋も荒れ放題になっていたでしょう。
私にとっては、本当に奇跡のような出来事でした。
書写は自分の心を変えるためにするものだと、
よく聞いてきましたが、夫を見ていると、
本当に書写によって自分の心を変えたのだと感心し、感謝してしまいます。
これからも、書写を通して自分たちが向上しながら、
長男の幸せ、人々の幸せのために、
なにか少しでも夫婦が役に立てたらと思っています。
☆
御主人が変わっていった姿には
感動し、希望を感じます。
その背後で、奥さんの精誠があったことは
間違いがないと思います。
自叙伝書写の力は素晴らしいです。
お父様のみ言を心を込めて書写することで
お父様の魂が乗り移るようです。
また、今までみ言に触れていなかった人が
み言に出会って復活すると
その思いを誰かに伝えたくなることがあります。
ご主人が兄弟に書写を薦めたのも
そんな気持ちからだったかも知れません。
やはり、自己伝道が全ての原点です。
そんな思いを持って、今日も出発していきたいと思います。
聖進様母子との再会
私が南韓に来た時、聖進と聖進の母親がどのように暮らしているのかすべて知っていたのです。どこに行けば必ず会える、ということも分かっていましたが、行かなかったのです。私が会うべき人、神様の前に誓い約束した何人かの人に会う時までは、待たなければならないのです。そして、その人々に会うや否や、連絡をしたのです。連絡をすると、すぐに来ました。
この世的に見れば、私が夫だというのに、子供が七歳になって初めて会ったのです。その時は、食口たちと共に暮らしていた時でした。おばあさんたちを連れていた時でした。ところで、私の息子が来たと私が喜んで迎えては、条件に引っ掛かるのです。アベルはカインを通して紹介してもらい、愛さなければなりません。カインが「そうか!あなたが聖進君か」といって「先生、聖進君が帰ってきました」と抱いて、愛の表示で一つになって迎えなければならないのです。それが原理の法度です。
聖進と聖進の母親が私のところに来た時、先生は「この子が聖進か」とだけ言って終わりました。そのことが、聖進の母親には一生の間恨みになっているのです。「入ってください」という言葉は、食口たちが言わなければならないのです。私は原理的に生きようと、そのように、今までありとあらゆる悲惨な境地をすべて経験したのです。
今まで聖進の母親は、先生を「ああ! 木石のように人情を解さない人だ」と言います。それは事実です。み旨を知らないから、そう考えるのです。
その母親が私に対して、「その間、どんなに苦労をされましたか。人が理解しないこの道、追われる道、み旨のための受難の道を行くのに、どれほど大変だったことでしょうか。その間、私にとって苦労は苦労ではありませんでした。私を迫害する人も多く、妨げる人もたくさんいたのですが、死なずに、追い出されずに生きてこれたので、感謝するだけです」と、そのようにまずあいさつをしたのちに、その母親の口から息子に、「私が教えてあげた、立派なお父さんです。ごあいさつしなさい」と言える妻を願ったのです。そうすることができる息子の姿を願ったのです。
それを見れば、先生は父母として哀れな人でしょう。夫としては悪い夫でしょう。
天道が食い違った位置で、神様が悲しむその位置で、子供がいれば何をして、妻がいればどうするというのですか!
真の御父母様の生涯路程 より
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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