2015年07月03日

今日は、ダメ親父の証しです?! 神の心情復帰か?!



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この床で涙し、
この床にひれ伏して祈祷する時、
この場所が、神様が千年、万年待ち焦がれた
願いの一つの拠点であるということを
感じたことがありますか。

今日は、93日路程35日目。
お父様が35歳の時には、
旧本部教会が誕生しました。
その床が濡れて渇く間もないほど
涙の祈祷を奉げられたといいます。



お父様のみ言や、証しに触れた時、
深い親の愛を感じ、堕落の人類を見つめられる
神様の言うにいわれない、悲しみの心情に打たれます。
私自身も、一人の親ですが、
子どもを通して、自分の無力さを実感し、
悲哀を通過する日々です(苦笑)。

真のお父様の素晴らしさを
昨日の証しで書きましたが、
今日は、ダメ親父の証し(?)です。

長男は家計を支えるべく
アルバイトをしてくれています。
先日もアルバイトに行ったのですが
翌日が期末試験ということもあり、
店長の計らいで、仕事を切り上げて
すぐに帰ってきました。

ところが家に戻り、試験勉強をするのかと思いきや
弟たちとゲームに興じています。
「あなたは、せっかく店長が気を利かせて
勉強する時間をもらったのに、
勉強しないで遊ぶというのは何てことだ!」

そのうち、ふてくされて子供部屋に行き、
「もしかしたら勉強しているのかな・・・」
と思いきや、案の定、ベッドで携帯をいじっていました。
私も少し感情的になり、携帯を取り上げました。

しかし、気持ちが落ち着き、
「このままではいけないな・・・」
そう思って、家内にお願いして、
「お父さんがゴメンネと言ってたよ」
そして、携帯を返しました。
まぁ、結局その日は勉強しなかったのですが・・・

試験前に、徹夜をするくらいに必死に勉強していた
私自身の高校時代とは、比べ物にならないくらい
怠け者の長男なので、ちょっと理解できないのですが、
「親というのは、無力だな・・・」
そんなことを思わされました。

ここまで強く言うのは、愛の裏返しなのですが、
「でも、子供は、親の気持ちはわからないだろうな・・・」
そんな風に思うのです。

まぁ、子供も親になって初めて
親の立場がわかるのかも知れませんが・・・

そういう意味でも孫を持つということ、
三代圏が一つになる重要性を感じます。


今、真の子女様においても
お母様と一つになりきれない
様々な問題があります。

また、私たち祝福家庭においても
足りない部分がたくさんあります。

それでも、「私が足りない・・・」
そう思いながら、神様に祈りを捧げる
真のお母様であるに違いないのです。

また、神様ご自身も
全知全能でありながら、
堕落したアダムとエバを黙って見つめるしかなかった
ある意味、無能な神様の姿であることを感じます。

そういう親の心情を感じながら、
親に侍る私となっていきたい・・・
長男とのやり取りを通して、
そんなことを感じさせていただきました。



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本部教会の購入と修理移転
(一九五五・一〇・七)

ここは、血のにじんだ涙の歴史がある所です。ここは、天と共に、地と共に、天地人類が、心情をぶちまけて痛哭する祭壇です。祭壇は悲惨なものです。歴史的な祭壇であるこの家に入る時、門の外から涙を流しながら入ってこなければなりません。私には豪華絢爛な家よりも、この家のほうが貴いのです。たとえひびが入っていたとしても、そのひびは歴史的な風霜を表しているのです。歴史的な痕跡なのです。皆さんは、この家の傷を見ながら、「お前の傷はいまだにいやされていない」ということを感じなければならないのです。

 この家は、歴史的な行事を行った場所であり、天と地が痛哭した場所です。多くの人々が痛哭した場所です。血を流し、身もだえしながら訴えた場所です。永遠に忘れられない事情で結ばれた、涙の痕がにじんでいる所なのです。涙でにじんだ神聖な祭壇です。みだりに入ったり出たりする所ではありません。先生は、そのようにはしませんでした。

 先生が精誠を尽くしたこの基地を、皆さん自身が蹂躙してはなりません。皆さんはこの青坡洞の路地に入る時、統一教会はさすがに神の六千年歴史を経てきた、天のみ旨を成してきた教会であると感じなくてはなりません。そのような青坡洞の路地を行きながら、すすり泣き、涙でにじんだ歩みができない人は、天の人にはなれないのです。私はそのように信じています。

 この床で涙し、この床にひれ伏して祈祷する時、この場所が、神様が千年、万年待ち焦がれた願いの一つの拠点であるということを感じたことがありますか。骨髄が痛哭し、血と肉がふるえる心情で、我が身のすべての意識を忘れ、涙のみをもって始め、涙のみをもって終えた悲しみとやるせなさが「私」を占領したことがありますか。自分の環境を忘れ、訴えたことがあるのですか。そのようなものが皆さんの生活の中になければなりません。

 みすぼらしい本部を眺めながら、「私が精誠を尽くしてきた所が、こんなことでいいのか!
私はいかなる犠牲の代価を払っても、この本部を、どんな教会の本部よりも立派なものにしてみせる」と決意し、その場で天の前に、涙とともに訴える人がいるなら、その人は誰よりも次元の高い、天の懐に抱かれ得る、良い同志になるだろうと思います。
真の御父母様の生涯路程 より


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posted by ten1ko2 at 07:20 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする