多田部長による家庭力アップ講座。
今回は、『子供の気持ちを感じ取る感性を養いましょう』です。
☆
神様は、人間にその時代を生き抜くための感性を与えておられます。
今の親の世代は大抵二十世紀に生まれ、
二十世紀の環境を生き抜く感性をもって青春時代を過ごしてきましたが、
今の子供たちは二十一世紀の環境を生き抜いていくための感性を
神から与えられて生まれているのです。
二十世紀の感性と二十一世紀の感性はずいぶん違います。
二十世紀の感性で二十一世紀に生きる子供たちと接しても、
子供が「育つ」環境を整えることは、少し違うように思います。
☆
心の教育とは、感性を養うことです。
感性は、体験の中で学んでいきます。
家庭生活での家族関係や、自然の中でさまざまな自然に触れることで
多くのことを感じていくことができます。
子供が親の手伝いをしたときに親が喜んで感謝してくれる姿を見て、
親の情を感じて子供は人のために生きることをしたいと心から感じるでしょう。
感性が養われていけば、さまざまな者に対する理解力や
判断力を育てていくようになるのです。
ゲームをしていても、現実のものか架空のものかを
判断できるようになるわけです。
そして、感性が養われていけば、
子供たちがたくましく生きる大きな力となるのです。
親の感性が豊かだと、子供も感性が豊かになってきます。
子供の気持ちを感じ取った親の言動を見れば、
子供は「お父さん、お母さんは僕のことをよく分かっていてくれている」
と実感できるようになります。
☆
世の中の八割の子供たちが、「親から理解されていない」と感じているそうです。
忙しさのあまり、子供と向き合う時間が少ないのではないでしょうか。
問題は、子供の気持ちを親が感じ取っていないことです。
「親の愛情が子供に届いていない」
「親の愛が子供に届くには、子供の気持ちを分かってあげること」
という話を、30人の中高生にしたことがありました。
すると29人が「僕も家庭を大事にしないといけないと感じました。
家でもっと自分のことを話すようにしたい」
「今日は、失敗しました。母親しか来てもらえなったからです。
この話をぜひ父親にも聞いてもらいたいです」と話していました。
一人だけ高校二年の男性が
「僕の親は年を取っているので、親に変わってほしいとは言えません。
だから親に『変われ』と言う前に、僕が変わります」と語っていました。
☆
子供の感性を伸ばすために、真の父母様は
「自然に接すること」を勧めておられます。
自然の中にある美しさや、感動を分かち合って親子で共有して見てください。
そして、親は、子供の行動を変えさせようとする前に、
子供の行動の背後の気持ちを感じてあげてください。
それができるようになれば、次に、うれしいのか悲しいのか、
喜んでいるのか怒っているのか、そんな親の気持ちを
率直に子供に伝えるようにしてみてください。
言葉で表現するのです。
すると子供は「こんなとき、お父さんはこんなふうに感じるんだ」と、
自然に親の気持ちを感じ取れるようになっていくのです。
その逆もあります。例えば、お母さんがお父さんの悪口を言っていたら、
子供は「お父さんとお母さんは結婚したくなかったんだ」と思い、
感性は傷ついてしまいます。
子供の前で、不平不満を言ったり、
批判したりするのは極力控えるようにしましょう。
☆
子供たちの感性が私たちの世代とは違うことは
つくづく感じるところです。
すでに、夏休みに入っていますが、
1学期のいつだったか、長女が
「学校でこんなの流行っているんだ」
と言いつつ、『本能寺の変』を踊ってくれました(笑)
すっかり歌も覚えています。
(わからない方は検索してみてください・・・)
ノリがいいものがすぐに流行る感じですね。
ちなみに、三男は何度も飽きずに(笑)YouTubeで見ています。。。
『感性』において、証しになるかわかりませんが、
家内と子供たちを通して、微笑ましい光景を一つ。
家内と長男、長女はドラマ好きです。
最近ではNHKの朝ドラ「まれ」を録画しておいて、3人で見ています。
その時、「これはこうだな」とか「次はこうなる」とか
話しながら見ています。
これがとても微笑ましいのです。
私が子供のころは、テレビを家族で見ても、
話しながら見る、ということをしなかったので、
こういうことは羨ましいな、と思います。
あと、夫婦喧嘩は子供のいないところで・・・
これは本当に肝に銘じないといけないですね。。。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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