周藤先生が、先日、路傍伝道をされたそうです。
代々木公園には、ホームレスの人がたくさんいたといいます。
そのとき、ある男性がうずくまっていました。
「人生に目的あると思いますか?」
そのように尋ねると、
「そんなことわからないけど、俺には関係ない」
そのように返事が返ってきました。
さらには、「神様いると思いますか?」と聞くと、
「そんなもんいないよ、いたらなんでこんなに不公平なんだ」
そう返されたそうです。
周藤先生は、
「神様にも事情があるのです。
そのことを知らせないといけない。。。」
そのように感じたといいます。
さらには、「神様の事情を知り、メシヤの事情を知った私たちは
どれほど貴いかを知らないといけないし、
神様が、どのような目で私を見ているのか、
そのことをハッキリと認識する必要がある」
とも語られていました。
これは、新潟の集会で語られたもので
光言社KMSに紹介されています。
周藤先生が、新潟に開拓伝道をされたときの証しの部分を、
少し編集してお伝えします。
☆
ある時、また基準を落としてもう帰ろうと思い、
しかし何かやらなければならないという気がして誓ったのです。
『天のお父様、これから四十分路傍演説をやりますから、
この町で一番の義人を連れて来て欲しい…』と祈って演説を始めました。
三十分ほど経った頃、一人のお婆さんが現れました。
ヨレヨレの和服を着て、左か右かどちらかの眼が見えない片眼のお婆さんで、
私の前にジーッと立って聞いていました。
私は何となく気持ちが悪くなって、
何でこのきたないお婆さんが来るんだろうと思っていました。
ところがお婆さんはゴソゴソとふところの中に手を入れたので、
しらみかと思ったらそうではなく、
小さな古新聞で包んだものを出してきたのです。
私は、思わず受け取ってしまいました。
それを一枚一枚開いて行くと、
最後に出てきたのは『百円札』二枚でした。
それがお婆さんの全財産だったのです。
その全財産を私に差し出し、深々とお辞儀をして、
そのまま何も言わずに去って行きました。
私はあっけにとられて、そのまま百円札二枚を握ってポカンと立っていました。
しばらくして、このお婆さんは全財産を差し出したとするなら、
これから寝るところもないかもしれない、そう思って探しましたが、
もうお婆さんはどっちに行ったかわからなくなってしまったのです。
そのあと、宿舎に帰って、祈らざるを得なかったのです。
神様がどういう気持ちでこの姿をみているだろうか。。。
“この町でみ言を知っているのは私しかいない。
神様のたった一人の息子の立場で来た私が寂しくなって
『義人を連れて来て欲しい』と神様に頼んだ。
それで神様は必死になって町中探し回った。
牧師さんの所に行ったけれども、だれ一人義人はいなかった。
大学生の中にも義人はいなかった。
金持ちにも、大学の教授にもいなくて探したあげく、
やっと見つけた最後の人がそのお婆さんなのだ”
そのように思いました。
そのお婆さんを私の前に連れて来ながら、
『息子よごめんなさい。
こんな惨めなお婆さんしか連れて来られなかったけれど、許してください』
と言っている神様に気がついたのです。
そういう事情と心情にある神様であるということが本当にわかったんです。
『神様、私のことを心配してくださらなくても結構です…』
という気持ちになったのです。
そのようにして開拓伝道を通じて、尊い天の心情を教えられました。
☆
周藤先生が、再び路傍伝道をされている、ということを知り、
それだけで感動してしまいました。
御父母様に侍られ、直接多くのことを見聞きした周藤先生が
一人の伝道師、宣教師として立たれているのです。
こうやって、路傍で叫ぶ心ある方が
更に一人でも多く表れることを、天は待っておられると思います。
神様の深刻で切実な事情を知っている『私』であることを自覚しながら、
真の父母の道を相続する者になっていきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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