2016年02月29日

原理原本にも「天の父母様」!! 神様は、天のお父様と天のお母様!!



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霊界に行けば、
天のお父様だけがいるのではなく、
天のお母様がいるのです。



昨日は、本部から提供していただいた
二つの講座を視聴しました。
今回は、そのうち、松波先生の講義の前半
『天の父母様と真の父母様』(アンドリューウィルソン博士)
についてご紹介します。


神様の呼び名、神様の認識は
時代によって異なります。

私たちも今までは、キリスト教と同じく
『天のお父様』と呼んできました。

「このように、神は性相的な男性格主体であられるので、
我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである」

原理講論(p47)にも記載されています。

しかし、天一国時代に入り、『天の父母様』
そのように呼ぶようになりました。
これは、2013年1月17日に真のお母様が宣布されたものです。
少なからず、食口たちにも動揺があり、
批判する人たちもいました。


今まで、神様を父格で呼んだのは、いくつからの理由がありました。

堕落以後、エバは本然の価値を失い、非難を受けていたからであり、
男性は力を持つようになり、女性は恐れの中で暮らさなければなりませんでした。

そして、イエス様は新婦を探すことができず、
地上で天のお母様が現われることのできる基盤を立てることができませんでした。
また、聖書を書いた人自体も男性でありました。

さらには、女性側はいつも安全を必要とするために、
サタンが攻撃する限り、天のお母様は前面に出ないで、
天のお父様が戦いを導くようにしておいたのです。


真のお父様ご自身も「天のお父様」と呼ばれたのは、
キリスト教の蕩減ということもあったからだと思われます。

しかし、真の父母様が勝利された土台の上に、
お父様も天の父母様、と言及されるようになりました。



「霊界に行けば、天のお父様だけがいるのではなく、
天のお母様がいるのです。
父と母がいなくて生命体が出てくることができますか。

……ですから、母を通してもそうであり、
父を通しても天の国に行ける道が生じるという話になります」
(1977.01.01、737ページ)



「神様は人類の前に真の愛を中心とした縦的な父母であり、
真の父母は、真の愛を中心として、その縦的な父母の前に
横的に90度の角度を合わせた横的な父母です。

ですから、縦横の愛を中心として、
初めて神様の愛と神様の生命が動くのです。
神人合徳が動き、真の父母の愛を中心として、
新しい血族が広がっていきます」
(天一国経典『天聖経』133ページ、1990.11.21)


真の愛は天の父母様と真の父母様が
一つになることから始まるのです。


実は、お父様は牧会の草創期の時から天の父母様
について話しをされていたのです。
それが原理原本の中に書かれています。



神様が、父格だけでいらっしゃるということは、
創造がすべて終わらない未成事を意味することを分からなければならない。

だから、神様が父格だけで人に対することは、
人がまだ 完全で成熟できなくて、神様を中心として、
天の愛を中心とする神様が地上で、人間の夫婦と合体しようとした目的が、
まだ 未完成であることを意味する。
(631)



(人間は) 今まで、歴史を通して神様に、
母のいない父として対してきたことを分からなければならない。

それでも神様がお母様のいないお父様としてだけおられた
父母の根本意味については考えることさえできない。

そんな子供たちを眺める時、天のお父様の痛い苦痛を
どうして言い表すことができようか!

だから、歴史を通して、この問題を解決することができなかった人間も
やはり、あらゆる苦痛を経験して来たことが事実だ。

(278)



本来、真のお父様の目的は
天の父母様に対する真実を明らかにすることでした。

「天のお父様」と呼ぶことは、
未完成であり、
また、神様の苦痛であると、お父様が言われているのです。

また今回、原理原本の記述を知ったのは、とても衝撃的でした。
原理原本は、真のお父様の執筆です。
1951年5月11日、釜山で書き始められたものです。

日本には原理講論以後しか伝わっていませんから、
なかなかその内容を知る機会がありません。

真のお父様は、31歳の時(実際には、もっと前かも知れませんが・・・)
すでに、「天の父母様」について解き明かされていたのです。
しかし、時が満ちていなかったので、まだ公表されていなかったのでしょう。

今私たちは、神様を「天の父母様」と呼ぶことができる。。。
それがどれほど貴いことであり、感謝なことであるのか、
そして、真の父母様の勝利圏がどれほど素晴らしいものであるのか、
改めて認識させていただきました。

「教育部長の講義日記」でも
松浪先生の講座の後半も含めて紹介しています
「天の父母様」という呼称はどこに由来するのか


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2016年02月28日

世界会長としての1年間! 「天一国の夢はあきらめません!!」 《善進様のみ言2015》



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PeaceTVに『文善進世界会長2015活動映像
真の父母様のみ旨と一つになり』が紹介されていました。
善進様のみ言を書き起こしてみました。


真のお父様の生涯の核心となるテーマは、
「統一」と「一体化」だと思います。

92年間、真のお父様は
真の愛、真の生命、真の血統を中心に
和合と統一のために身を捧げられました。

皆様、皆様の心の奥にある
聖なる光を絶対に離さないでください。

皆様は天の父母様と
真の父母様の希望と夢の実体であられます。


今日は最も大切な日です。
祝福は私たち信仰の花です。

祝福は夫婦を永遠なる真の愛で結んでくれる、
生命力あふれる地に植えた貴い種のようです。

喜び溢れる祝福子女と共に祝福家庭として
祝福の溢れる人生を生きていかれるよう願います。

また皆様の祝福を世界の兄弟姉妹と共に
分かち合われるよう願います。


私たちは真のお母様と共に祝福を受け
今日み言を聞くこの貴重な機会を得ることができました。

従って、食口の皆様、皆様をこの瞬間
お呼びできたことは非常に大きな光栄です。

ヨーロッパの食口の皆様
真のお母様を歓迎してください。


ご存知の如く、真のお母様は私を
家庭連合世界会長として任命されました。

重要な職責、責任を持つという
期待などしておりませんでした。

長い間お母様は孤独で、静黙し、
非常に辛いその路程を見守って来た者として
断ることができませんでした。

特にお父様聖和以降、お母様は毎日のように
重い責任を背負っていかれるのを承知している故に
真の父母様の重荷を軽くして上げられるような
人になりたかったのです。

お母様に侍るために
私が出来ることすべてをして差し上げたいです。

このような心がこの使命の前にて、唯一
私の資格となるのではないかと思っております。


真のお父様の聖和以降、
真の家庭が一つになり最も厳しい時期に
真のお母様を愛し、後ろ盾できることを
いつも願い祈ってまいりました。

真の家庭が一つになり
真の父母様の天一国理想を実現するため
共に働いていくことを絶対にあきらめたりはしません。

真の父母様が私の根源であり中心軸です。
真の父母様なくしては何でもありません。

真の家庭全員と皆様と一つになるまで、
夜も眠らず駆けて行くつもりです。




善進様は、本当に謙虚、謙遜な方だと思います。

これは個人的な見解なのですが、
善進様は、み言を語られるとき、
聴衆が拍手をする時に、同じように拍手をされます。
これは、聴衆の立場に立っているからだと思います。

そのような謙虚な善進様ですから、
自分は世界会長の立場は、
本来ならば、ふさわしくないと考えておられると思います。

にも関わらず、世界会長の任を受け入れられたのは、
「お母様は毎日のように
重い責任を背負っていかれるのを承知している故に
真の父母様の重荷を軽くして上げられるような
人になりたかった」
だからなのだと思います。

善進様が切実にお母様のために歩む姿・・・
そのような心情が今の私たちに必要ではないかと思います。


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2016年02月27日

平壌開拓時代〜♪ 6千年前にも6千年後にもない、この瞬間!! 《金元弼先生》



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「この教会は
6000年前にはなかったし、
6000年後にもない。
そういう集団であるという
ことだけ分かればいいですよ」




金元弼(ウォンピル)先生の『伝統の源流』
今回は、『平壌開拓の日々』の続きです。


先生はみ言を語られる時、冬は綿の入った韓国古来の衣服を着ておられました。
説教が終わる時には、その綿の服を絞れば水が垂れてくるくらいに、
汗を流してみ言を語られました。

それゆえに、食口は毎週着物を洗い、そして作らなければなりませんでした。
また韓国の着物は、洋服のようにただミシンに入れて回すというのではなく、
いちいち手縫いでしますけれども、その後に、布は布なりに綿は綿なりに、
初めて作るごとくやり始めなければなりませんでした。

このメンバーたちは、長年神に侍り、イエス様に侍る生活をしていた人です。
それゆえに神からいろいろなかたちで、
先生にどのように侍らなければならないかを教えてもらい、
本当に真心を尽くしたのです。

私たちは気軽に握手することもできますが、当時は霊能者であっても、
先生の着物に触れることは難しいことでした。

先生は何も語られないのです。
もちろん、新しい食口が来た時には、み言を熱心に語られますが、
個人的にはなかなか語ってくださいません。

皆さんは、私は先生と近くにいるから、直接たくさんのみ言を
いただくだろうと考えるかもしれませんが、そうではないのです。
私が何も分からず、幼いからでありましょうけれども。


先生は礼拝が終わると、教会から離れた野外とか、
学校の庭とか、そういう所をたびたび訪ねました。

その時に、「何か聞きたいことがあったら聞きなさい」と言われました。
しかし、私は先生の言われることを全部信じていましたし、
理解できていましたから、何ら質問の余地はありませんでした。
それで「ありません」と答えました。

先生は、私が何も分かっていないと言ったら、
もっと高い次元のみ言を語ってあげたいと思っておられたと思います。

しかし受ける体制もなっていない幼い者と見えたからでしょう、
先生は私に

「この教会は6000年前にはなかったし、6000年後にもない。
そういう集団であるということだけ分かればいいですよ」

とひと言だけ教えてくださいました。

その時は、統一教会という名前もなく、集まりであり、
群れであり、集団だと教えてくれたのです。
今考えてみますと、何を言っても私にはよく分からないから、
ただ結論だけ教えてくださったのでした。

短いみ言ですが、深く考えてみればみるほど、
6000年という有史以来なく、これからもない集団である
というみ言に原理の結論を示しておられるのです。
私はその本当の意味が分かりませんでした。


先生は礼拝が終わると、よく和動の時間をもってくださいました。

当時の韓国の社会では、男女が同じ部屋で
一緒に話し合うということは、非常にまれなことでした。
女性は、男性の前を通るものではありませんでした。
食事も女性は他の所でしました。
そこにキリスト教が入って、そういうことは徐々になくなっていったのです。

また、教会の建物自体もそのようになっていました。
今は男女が一緒の座敷に座りますが、韓国のキリスト教会では、
女性の席と男の席が別々になっていました。
そして、男性の説教者は、両側全部を見れるようになっていました。
しかし、女性の方からは男の人たちが見えないような造りになっていたのです。

クリスチャンは礼拝が終わると、民族の音楽はなかなか歌いません。
賛美歌だけを歌うのです。
しかし先生は和動する時に、食口たちの中で、
民族の歌をよく歌ってくださいました。

今から35、6年前(1946年ごろ)の話です。
これは皆さんの国での35、6年前ではなく、韓国での話です。
ですから韓国のキリスト教では、
このように民族の歌を歌っても罪のごとく考えたのです。
革命だとしたら、これほどの革命はないと思います。

先生のお心は、たとえどういう歌であっても、
歌って愛する愛の対象が神でありメシヤであるならば、
どういう歌でも歌うことができるというお考えなのです。



「この教会は6000年前にはなかったし、6000年後にもない。
そういう集団であるということだけ分かればいいですよ」
これがお父様の結論だということです。

まだ、「統一教会」という名前の無い時代。
おそらく、お父様に侍る人たちは本当に少なかったと思います。

今は、統一教会から家庭連合に名称が変更され、
その当時と比較すれば、多くの基盤ができました。
しかし、そういう時代においても、
お父様が語られたごとくに、価値のある教会であるに違いありません。

先日の行事のミュージカルで演じられた
共産圏の宣教師をはじめとして、
多くの先輩たちが世界中に開拓していかれました。

また、日本においても片道切符で
地方に開拓伝道をしていかれた先輩たち・・・
その土台によって、今の「私」があるのです。

取るに足りない者ではありますが、
今がまさに本番。
2020年までの期間が本当に重要です。
初期のお父様の精神・ご心情を思いながら、
一日一日を貴重視しながら、歩んでいきたいと思います。



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