霊界に行けば、
天のお父様だけがいるのではなく、
天のお母様がいるのです。
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天のお父様だけがいるのではなく、
天のお母様がいるのです。
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昨日は、本部から提供していただいた
二つの講座を視聴しました。
今回は、そのうち、松波先生の講義の前半
『天の父母様と真の父母様』(アンドリューウィルソン博士)
についてご紹介します。
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神様の呼び名、神様の認識は
時代によって異なります。
私たちも今までは、キリスト教と同じく
『天のお父様』と呼んできました。
「このように、神は性相的な男性格主体であられるので、
我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである」
原理講論(p47)にも記載されています。
しかし、天一国時代に入り、『天の父母様』
そのように呼ぶようになりました。
これは、2013年1月17日に真のお母様が宣布されたものです。
少なからず、食口たちにも動揺があり、
批判する人たちもいました。
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今まで、神様を父格で呼んだのは、いくつからの理由がありました。
堕落以後、エバは本然の価値を失い、非難を受けていたからであり、
男性は力を持つようになり、女性は恐れの中で暮らさなければなりませんでした。
そして、イエス様は新婦を探すことができず、
地上で天のお母様が現われることのできる基盤を立てることができませんでした。
また、聖書を書いた人自体も男性でありました。
さらには、女性側はいつも安全を必要とするために、
サタンが攻撃する限り、天のお母様は前面に出ないで、
天のお父様が戦いを導くようにしておいたのです。
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真のお父様ご自身も「天のお父様」と呼ばれたのは、
キリスト教の蕩減ということもあったからだと思われます。
しかし、真の父母様が勝利された土台の上に、
お父様も天の父母様、と言及されるようになりました。
「霊界に行けば、天のお父様だけがいるのではなく、
天のお母様がいるのです。
父と母がいなくて生命体が出てくることができますか。
……ですから、母を通してもそうであり、
父を通しても天の国に行ける道が生じるという話になります」
(1977.01.01、737ページ)
「神様は人類の前に真の愛を中心とした縦的な父母であり、
真の父母は、真の愛を中心として、その縦的な父母の前に
横的に90度の角度を合わせた横的な父母です。
ですから、縦横の愛を中心として、
初めて神様の愛と神様の生命が動くのです。
神人合徳が動き、真の父母の愛を中心として、
新しい血族が広がっていきます」
(天一国経典『天聖経』133ページ、1990.11.21)
真の愛は天の父母様と真の父母様が
一つになることから始まるのです。
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実は、お父様は牧会の草創期の時から天の父母様
について話しをされていたのです。
それが原理原本の中に書かれています。
神様が、父格だけでいらっしゃるということは、
創造がすべて終わらない未成事を意味することを分からなければならない。
だから、神様が父格だけで人に対することは、
人がまだ 完全で成熟できなくて、神様を中心として、
天の愛を中心とする神様が地上で、人間の夫婦と合体しようとした目的が、
まだ 未完成であることを意味する。
(631)
☆
(人間は) 今まで、歴史を通して神様に、
母のいない父として対してきたことを分からなければならない。
それでも神様がお母様のいないお父様としてだけおられた
父母の根本意味については考えることさえできない。
そんな子供たちを眺める時、天のお父様の痛い苦痛を
どうして言い表すことができようか!
だから、歴史を通して、この問題を解決することができなかった人間も
やはり、あらゆる苦痛を経験して来たことが事実だ。
(278)
☆
本来、真のお父様の目的は
天の父母様に対する真実を明らかにすることでした。
「天のお父様」と呼ぶことは、
未完成であり、
また、神様の苦痛であると、お父様が言われているのです。
また今回、原理原本の記述を知ったのは、とても衝撃的でした。
原理原本は、真のお父様の執筆です。
1951年5月11日、釜山で書き始められたものです。
日本には原理講論以後しか伝わっていませんから、
なかなかその内容を知る機会がありません。
真のお父様は、31歳の時(実際には、もっと前かも知れませんが・・・)
すでに、「天の父母様」について解き明かされていたのです。
しかし、時が満ちていなかったので、まだ公表されていなかったのでしょう。
今私たちは、神様を「天の父母様」と呼ぶことができる。。。
それがどれほど貴いことであり、感謝なことであるのか、
そして、真の父母様の勝利圏がどれほど素晴らしいものであるのか、
改めて認識させていただきました。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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