2016年02月05日

私が文師を、お父様(Father)と呼んだ日!! 《スターリングス大司教の証し》1



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いつか紹介しようと思っていた
スターリングス大司教の証しを紹介します。



わたしが最初に文師と出会ったのは、
二〇〇一年二月、五十州ツアーがテキサス州の
ヒューストンで行われた時だったと思います。

そのとき、わたしは前座を務めました。
わたしは、“これはすごい集まりだ。”と興奮し、
そこで、こう言ったことを覚えています。

「皆さんは、わたしがカトリックなので
ローマの色が着いていると思っているかもしれませんが、
わたしは霊的にはワシントン生まれなのでバプテストであり、
今は聖霊を感じているのでペンテコステ派であり、
わたしは司教でもあるのでエピスコペリアン(監督教会)でもあり、
司祭でもあるので長老派でもあり、
救いのメソッド(方法)があると信じているのでメソジスト派でもあり、
またチャーチ・オブ・ゴッド教団でもあるのです。」

このように語っているうちに、わたしはアメリカのキリスト教の教派を
すべて陳列してみせたことになり、会場は大いに盛り上がりました。

その後、突然、これまで多くのことを見聞きしてきた、
その人がステージに立ったのです。
文鮮明師です。

そして、その人に初めて目をやったその瞬間に、
その人が普通の人ではないことが分かりました。
それが、わたしの文師との最初の出会いでした。

今でも覚えているのは、文師が入ってきたとき、
部屋全体が祝賀の雰囲気に包まれていたことです。
文師の中には内なる光が輝いていて、何か非常に力強く、
神秘的なものがあって、それに圧倒されました。

そして、文師のスピーチを聞きました。
文師はほとんどすべての州で、そのときどきに感じたことを付け加えて、
もともとの原稿よりも長く話されました。


わたしが公式に文師に紹介されたのは、次の日の朝食の時でした。
そのとき私は、非常に親密で、温かい雰囲気の中で迎えられました。

その日、ジェンキンズ牧師は、わたしを文師に紹介しました。
文師は、それを聞いて、うなずいておられただけで、
あまり多くの会話をされませんでした。


次にお会いしたときに、文師に名前を聞かれたのを覚えています。
わたしが「スターリングスです。」と答えると、
真のお父様は「スターリン? スターリン?」と聞き返されました。

ロシアの独裁者ヨシフ・スターリンのような名前だと思ったのでしょう。
「スターリン?」「スターリングスです!」
というようなやり取りを、何度か繰り返しました。

そのとき、文師とわたし自身の間に特別な絆が結ばれるのを感じました。
なぜなら、文師が、いきなりわたしの名前を使って、
ジョークを言い始められたからです。
それがわたしたちの間に、分かちがたい絆を結んだように感じられたのです。

「スターリン? 今、スターリンが何をしようというのだ?」
「いいえ、レバレンド・ムーン、私はスターリングスです。」
「いや、スターリンだ、スターリン!」
というようなジョークを言い合ったのです。

次の日の朝食の場でも、文師は「スターリン、スターリン」と言われるのです。
そこでわたしは、「いいえ、スターリングスです」と言います。

そのような授受作用を通して、父子の因縁が築かれていったのです。
その中で、わたしは、文師に対する忠孝心が芽生え、成長していきました。


わたしは文師についていろいろ読んできたけれども、
実際に会ったことはなかったので、
文師に対するいろいろな既成概念を持っていました。
しかし、わたしはこの人に会って、
この人はただの人ではないことが分かりました。

そして、愛妻である韓鶴子女史と共に、
“彼らは結婚というものに対する特別な意味を持っている。
これは普通のカップルではない”ということを直感的に感じたのです。


とにかく、文師と名前のことについてやり取りしているうちに、
文師はわたしに「スターリン、おまえは結婚していないのか。
結婚したいと思うか?」と言われたのです。

そのときまで、文師を「お父様(Father)」と呼んだことはなかったのですが、
このとき初めてそのように呼びました。

“このかたこそわたしの父である。わたしの霊的な父である”と実感したからです。
“ここには、真実のつながりがある。”と感じました。

わたしは、「お父様、わたしはそう思ったことはありますが、
真剣に考えたことはありませんでした」と答えました。
真のお父様は、「オーケー、オーケー」と言われました。


わたしは五十州のうち十二州に参加しましたが、
回を重ねるたびに、真のお父様と近くなりました。
わたしはただ真のお父様の愛に抱かれ、お父様の言葉に抱かれていったのです。

そのツアーの間に起こったことは、
ただ単に真のお父様と出会ったということにおいて、
わたしのその後の人生に影響を与えただけでなく、
その出会いの結果としてもたらされたことにおいても、
わたしの人生に大きな影響を与えることになりました。



2000年10月16日“ミリオン・ファミリー・マーチ”という
集会に参加したスターリングス大司教は、
当時、アメリカ会長だったマイケル・ジェンキンズ氏と
出会うことになりました。

そして、当時北米大陸会長だった梁昌植氏と
3人で会うことになり、その時に
お父様が成される全米50州講演に同行するよう誘われました。

スターリングス大司教はお父様のことを
新聞を通してしか知らなかったので、
誘われた時、躊躇して、辞めようと思ったそうです。

しかし、心の中で何かが言うのでした。
“これにチャンスを与えよ。これにチャンスを与えよ。”

そして、50州講演に参加する決意をされ、
そのあと、お父様との出会いがあったのです。

「スターリン」「スターリングス」
お父様とスターリングス大司教のやり取りが
何とも面白いですね!

やはり、一角の人物ですから、お父様を受け入れるというのは、
一つのハードルがあるのだと思います。
「自分の名前をソ連書記長の名前に間違える
失礼な話だ!」となったら
受け入れることが出来なかったでしょう。

しかし、お父様が愛を持って、接してくださる情を
スターリングス大司教は感じたのだと思います。
そういう純粋な、素直な心情を
スターリングス大司教が持っていたのではないかと思うのです。

明日は祝福の証しです。
お楽しみに!


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posted by ten1ko2 at 05:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする