いつか紹介しようと思っていた
スターリングス大司教の証しを紹介します。
☆
わたしが最初に文師と出会ったのは、
二〇〇一年二月、五十州ツアーがテキサス州の
ヒューストンで行われた時だったと思います。
そのとき、わたしは前座を務めました。
わたしは、“これはすごい集まりだ。”と興奮し、
そこで、こう言ったことを覚えています。
「皆さんは、わたしがカトリックなので
ローマの色が着いていると思っているかもしれませんが、
わたしは霊的にはワシントン生まれなのでバプテストであり、
今は聖霊を感じているのでペンテコステ派であり、
わたしは司教でもあるのでエピスコペリアン(監督教会)でもあり、
司祭でもあるので長老派でもあり、
救いのメソッド(方法)があると信じているのでメソジスト派でもあり、
またチャーチ・オブ・ゴッド教団でもあるのです。」
このように語っているうちに、わたしはアメリカのキリスト教の教派を
すべて陳列してみせたことになり、会場は大いに盛り上がりました。
その後、突然、これまで多くのことを見聞きしてきた、
その人がステージに立ったのです。
文鮮明師です。
そして、その人に初めて目をやったその瞬間に、
その人が普通の人ではないことが分かりました。
それが、わたしの文師との最初の出会いでした。
今でも覚えているのは、文師が入ってきたとき、
部屋全体が祝賀の雰囲気に包まれていたことです。
文師の中には内なる光が輝いていて、何か非常に力強く、
神秘的なものがあって、それに圧倒されました。
そして、文師のスピーチを聞きました。
文師はほとんどすべての州で、そのときどきに感じたことを付け加えて、
もともとの原稿よりも長く話されました。
☆
わたしが公式に文師に紹介されたのは、次の日の朝食の時でした。
そのとき私は、非常に親密で、温かい雰囲気の中で迎えられました。
その日、ジェンキンズ牧師は、わたしを文師に紹介しました。
文師は、それを聞いて、うなずいておられただけで、
あまり多くの会話をされませんでした。
☆
次にお会いしたときに、文師に名前を聞かれたのを覚えています。
わたしが「スターリングスです。」と答えると、
真のお父様は「スターリン? スターリン?」と聞き返されました。
ロシアの独裁者ヨシフ・スターリンのような名前だと思ったのでしょう。
「スターリン?」「スターリングスです!」
というようなやり取りを、何度か繰り返しました。
そのとき、文師とわたし自身の間に特別な絆が結ばれるのを感じました。
なぜなら、文師が、いきなりわたしの名前を使って、
ジョークを言い始められたからです。
それがわたしたちの間に、分かちがたい絆を結んだように感じられたのです。
「スターリン? 今、スターリンが何をしようというのだ?」
「いいえ、レバレンド・ムーン、私はスターリングスです。」
「いや、スターリンだ、スターリン!」
というようなジョークを言い合ったのです。
次の日の朝食の場でも、文師は「スターリン、スターリン」と言われるのです。
そこでわたしは、「いいえ、スターリングスです」と言います。
そのような授受作用を通して、父子の因縁が築かれていったのです。
その中で、わたしは、文師に対する忠孝心が芽生え、成長していきました。
☆
わたしは文師についていろいろ読んできたけれども、
実際に会ったことはなかったので、
文師に対するいろいろな既成概念を持っていました。
しかし、わたしはこの人に会って、
この人はただの人ではないことが分かりました。
そして、愛妻である韓鶴子女史と共に、
“彼らは結婚というものに対する特別な意味を持っている。
これは普通のカップルではない”ということを直感的に感じたのです。
☆
とにかく、文師と名前のことについてやり取りしているうちに、
文師はわたしに「スターリン、おまえは結婚していないのか。
結婚したいと思うか?」と言われたのです。
そのときまで、文師を「お父様(Father)」と呼んだことはなかったのですが、
このとき初めてそのように呼びました。
“このかたこそわたしの父である。わたしの霊的な父である”と実感したからです。
“ここには、真実のつながりがある。”と感じました。
わたしは、「お父様、わたしはそう思ったことはありますが、
真剣に考えたことはありませんでした」と答えました。
真のお父様は、「オーケー、オーケー」と言われました。
☆
わたしは五十州のうち十二州に参加しましたが、
回を重ねるたびに、真のお父様と近くなりました。
わたしはただ真のお父様の愛に抱かれ、お父様の言葉に抱かれていったのです。
そのツアーの間に起こったことは、
ただ単に真のお父様と出会ったということにおいて、
わたしのその後の人生に影響を与えただけでなく、
その出会いの結果としてもたらされたことにおいても、
わたしの人生に大きな影響を与えることになりました。
☆
2000年10月16日“ミリオン・ファミリー・マーチ”という
集会に参加したスターリングス大司教は、
当時、アメリカ会長だったマイケル・ジェンキンズ氏と
出会うことになりました。
そして、当時北米大陸会長だった梁昌植氏と
3人で会うことになり、その時に
お父様が成される全米50州講演に同行するよう誘われました。
スターリングス大司教はお父様のことを
新聞を通してしか知らなかったので、
誘われた時、躊躇して、辞めようと思ったそうです。
しかし、心の中で何かが言うのでした。
“これにチャンスを与えよ。これにチャンスを与えよ。”
そして、50州講演に参加する決意をされ、
そのあと、お父様との出会いがあったのです。
「スターリン」「スターリングス」
お父様とスターリングス大司教のやり取りが
何とも面白いですね!
やはり、一角の人物ですから、お父様を受け入れるというのは、
一つのハードルがあるのだと思います。
「自分の名前をソ連書記長の名前に間違える
失礼な話だ!」となったら
受け入れることが出来なかったでしょう。
しかし、お父様が愛を持って、接してくださる情を
スターリングス大司教は感じたのだと思います。
そういう純粋な、素直な心情を
スターリングス大司教が持っていたのではないかと思うのです。
明日は祝福の証しです。
お楽しみに!
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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