子どもの成長には時間がかかる。
「成長期間」は
情を注ぎ、労力を注ぎ、時間を注ぎ
ただ「信じて待つ」期間
「成長期間」は
情を注ぎ、労力を注ぎ、時間を注ぎ
ただ「信じて待つ」期間
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家庭教育局eラーニングの子女教育講座・概論
第2回「子女の成長段階」を二度にわたって紹介します。
子どもの成長段階に応じて、
親たちもどのように接し、愛していったらいいか
私もとても参考になりました。
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先回は「子女教育の目標」ということについてお話しましたが、
それは決して、「一朝一夕」にして成されるものでありません。
子女が成長していくには、「時間」がかかるからです。
今回の第2講座では、「子女の成長段階」ということで、
その辺りのことをお話してみたいと思います。
さて、親たちは皆、子どもたちを見守りながら、
「早く大きくなれ!」と、そう願います。
勿論、可愛いい我が子を見つめながら、
「こんな時間が続いたらいいなぁ」とも思いますが、
やっぱり、「這えば立て、立てば歩めの親心」で、
早く立派に成長した姿がみたいと、そう思う訳です。
ややもすると、子どもの成長を待ち切れずに、
無理な要求をぶつけてしまうことも、あるかもしれません。
しかし、子どもの成長にはやっぱり「時間」がかかります。
それはそもそも、神様が人間に「成長期間」というものを与えられたからなのです。
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神様が創造された物の中で、最初から完成しているものなど、何もありません。
美しい花や木々も、全ては「種」から始まります。
言い換えれば、神様は全てのものを「種」として創造され、
その成長を共に見守りながら、喜ぼうとされた訳です。
人間も同じです。
神様は人を「種」として創られ、その種が「自らの力」で成長していく様を見守りながら、
彼らが完成するその日を、大きな喜びをもって迎えようとされた訳です。
この完成するまでの期間というのが、神様から与えられた「成長期間」でした。
そして、その期間とは、「神様の立場」からすれば、
「力を投入する期間」だったといいます。
種が育って、花を咲かせるようになるにも、
光を与え、水を与え、土壌を整えなければなりません。
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人が育つにも同じです。
情を注ぎ、労力を注ぎ、時間を注ぐのです。
ここに投入される力、主体が対象に注ぎこむ「情的な力」のことを、
私たちは「愛」と呼びます。
神様はただ、愛を投入して投入して投入しながら、人の成長を「待った」訳です。
この神様の立場を「親」に置き換えて考えてみましょう。
子女にとっての成長期間とは、親にとっては「愛を投入していく期間」になります。
しかし、親もまた、そうした過程を通して「親」になっていく訳です。
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親の親たるゆえんは何でしょうか
一つには、「自己の投入」です。
与えて忘れる、その愛ゆえに、親は親になります。
対象を愛することを通して「愛の主体」、「親」になれるのです。
一方で、「子女の5%を見守る」、それを「信じて待つ」
ことができてこそ、親になることができます。
私たちは時に、子どもから5%を取り上げ、
自分の言う通りにさせてしまいたいという誘惑にかられます。
愛情の深い親ほど、また、自分の思いを押し付けかねません。
これが子女教育の難しさです。
しかし、神様でさえ人間の5%を取り上げることはできませんでした。
人が自らの力で成長し、完成に至ることを、ただ「信じて待った」のです。
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親という漢字は、「木の上に立って、見守る」と書きます。
自分が勝利することよりも、子女自身に勝利させることの方が難しいでしょう。
しかし、子女の勝利こそ、親の勝利であり、
子女の完成こそ、「親としての完成」になる訳です。
子どもを愛して親は親になり、また子どもを完成させてこそ、親も完成できるので、
「子女の成長期間」とは、結局、「親の成長期間」にもなるのです。
そのため、一般でも、こんなことが言われています。
教育というのは「教え育てる」ものではなく、
「共に育つ」意味での「共育」であって、育児とは、「子供」を育てるという以上に、
「自分」を育てることのなのだ、という訳です。
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では、成長段階について、具体的に見ていくことにしましょう。
人の成長段階、発達段階には様々な説がありますが、ここでは、ごくシンプルに、
幼児期、学童期、思春期、青年期というように、4段階に区分して、見ていきたいと思います。
まずは幼児期ですが、特に最初の3年間は、「三つ子の魂、百まで」というように、
人格形成に最も重要な時期だと言われています。
親密な母子関係が築かれ、母親の懐の中で学んだものが、
その子の人格の「基礎」を決定づけるのです。
また、五感が発達し、脳の配線の70%から80%までが、
三歳までに出来あがると言われますので、
この時期、何を見聞きし、どんな人々や環境と触れ合うか、が、とても重要になってくる訳です。
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次に学童期。
これはちょうど小学生期に該当し、最も「子どもらしさ」が現れる時期だと言われています
大人を信頼し、親や先生方の言うことを素直に受け入れ、学んでいきます。
同時に、交友関係が広がり、様々な友達と触れ合いながら、理解力や共感能力を培っていきます。
また、好きなことや得意分野なども生まれ、
それぞれが自己の個性や才能を発揮し出す時期でもあります。
「打てば響く」時期なので、教育の絶好のチャンスでもある訳です。
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そして思春期。
親を悩ますこの時期は、教育者の間では、
「さなぎの時代」とも言われています。
幼虫でもなく、成虫でもない。
外側からは何が起こっているのか、よく分かりませんが、
本人の内側では、激しい変化が起こっている、という訳です。
自分で自分がよく分からなくなり、「自我の探究」が始まります。
周りの目を気にし、同世代のつながりを求める一方で、
上からの干渉や権威に反発するようにもなります。
また、身体的な変化と共に、異性への関心が高まり、自らの情欲をコントロールする上で、
様々な葛藤を経験するようにもなります。
しかし、人はこうした不安定な段階を経て、「子供から大人への変化」を遂げるのです。
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そして、いよいよ青年期。
将来を見据え、大人として、自立していく時期を迎えます。
様々な価値観に触れながら、「自我」を確立し、
社会進出を果たしながら、一社会人として「独り立ち」していきます。
そうして、結婚を通して、新たな人生が始まっていくのです。
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さて、こうした各段階における「親の役割」とは何でしょうか?
ちまたでは、それを端的に示した、こんな教訓があります。
幼児期の親子関係は「肌身離さず」
少しずつ自立を促していく学童期においては、「肌離して手離さず」。
過干渉はせず、無関心にもならずに、
遠目から子女を見守る思春期においては、「手離して目離さず」。
そして、自立を果たしていく青年期においては「目離して心離さず」。
これが親の姿勢だ、ということです。
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さらに内面の成長過程を見てみましょう。
人間の成長段階とは、本質的には「愛」の成長段階、「心情」の成長段階を意味します。
「真の愛の人格」を育み、子どもから「親の立場」、「愛の主体」になっていくには、
「情の自立」を果たさなければなりません。
平たく言えば、「愛される側から愛する側」へと成長していかなければならない訳です。
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では、こうした心情の成長段階を説明してみましょう。
人の愛の感性は、生まれる前から、それこそ母親の胎内にいる時から育まれます。
母親の懐の中で「神様の愛」を実感すること…、
それが私たちの「心情の土台」を築くのです。
「無条件に愛される」経験を通して、「自分は望まれて生まれてきたんだ!」
「生きてていいんだ!」という、「自分という存在に対する価値」を実感できるようになる訳です。
よく「自尊感情」と言われますが、この「愛されている実感」「自分を大切に思える感覚」こそ、
批判や失敗にもめげずに、人生をポジティブに生き抜く力となり、また、人を愛する原動力になるのです。
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こうした心情の基盤の上で、「子女の心情」が育まれます。
それは、自分を愛してくれる親を慕い、またその親に喜びを返そうという心情で、
幼児期から学童期において顕著に現れます。
子どもは親に喜んでもらいたくて、いろんなことに取り組みます。
文字を覚えたり、工作をしたり、学校に通ったりするのも、
ただ、「親に喜んでもらいたいから」なのです。
「すごい!」「よくやった!」と共に喜んでくれる親がいなければ、
子どもは勉強にも遊びにも意欲をもてなくなるでしょう。
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そして、次の段階が、兄弟姉妹の愛です。
「友愛」と言ってもいいでしょう。
単に自分を愛してくれる人を慕う、という段階を越え、今度は自らが進んで、
与えられた愛を、周りに分け与えていこうとする「自主的な姿勢」をもつようになる訳です。
小学生に上がると交友関係も広がりますし、中高生期となると、
その同世代とのつながりを「家族」と同じくらい、
時には、それ以上に大切にするようになります。
親が友達を悪く言おうものなら、ムキになって言い返してくることでしょう。
愛は、多くの人と交わりながら広がっていきます。
心情の成長には、そうした友人たちの存在が大切なのです。
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また、思春期に差し掛かると、今度は「夫婦の心情」の前段階として、
「異性に対する意識」が芽生えてきます。
親たちはこの時期、男女問題などを心配して、極端な分別指導をしてしまいがちですが、
教えるべきことは、「異性との正しい付き合い方」なのです。
夫婦、男女が愛し合うには、「たった一人を永遠に愛し続ける」という、
高度な愛が求められます。
それこそ、単に「愛されたい」ではなく、「愛していくんだ!」という、
「成熟した愛」が求められるのです。
そうした愛情を培うためにも、中高生期には、「一人に閉ざされた愛」ではなく、
「多くの友人を等しく愛する」、兄弟姉妹としての
「開かれた心情世界」を学んでいく必要がある訳です。
そのようにして、この時期、子どもたちは「愛の主管とコントロールの方法」を学ぶようになります。
そうして、青年期に入った子どもたちは、やがては結婚し、
夫婦となり、父母となって「神様の愛を相続」していくのです。
☆
思春期は「さなぎの時代」
なるほどな、と思います。
部活動で忙しい次男(中学生)も、
日曜日、部活の練習が休みだからと、
「一緒に礼拝に行こうよ」
というと、「行きたくない」と即答が来ます。
「何で?」と聞き返すと、「つまんないから」
なかなか難しいです。。。
ところがおとといの日曜日には教会に来てくれました。
韓国婦人の作ってくれた美味しい韓国料理が目当てではありましたが(笑)
そのあとのユンノリ大会も最初は「やりたくないな・・・」という感じでしたが、
彼がゴールを決めたりして、だんだん盛り上がってきたようで、
バイトで途中で帰った長男に「面白かったよ」と言っていました。
「手離して目離さず」ですね。。。
さらにその上の長男ももうすぐ青年です。
「目離して心離さず」。
逆に一番下の小学生は、「肌離して手離さず」
キャッチボールをしたり、一緒に風呂に入ったり、
まだまだスキンシップが大切なようです。
我が家でも、しっかりと教訓にしたいと思います。
明日に続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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