2016年02月10日

神がくれた、愛と信仰の「成長期間」! 子どもは、いつ神を求めるのか?!



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子女教育講座・概論
第2講座の続きです。

子どもの成長には、時間がかかるものであり、
子どもの「成長期間」は、親の「成長期間」である
という、昨日までのお話でした。


前回のまとめですが、親の役割として大切なことは、
まず子女にちゃんと愛情を伝えること、
そして、子どものやることに関心をもって、
小さな成功を共に喜んであげることです。

また、良き友達作り、環境作りをサポートしてあげると共に、
子どもたちが「間違った愛」に陥らないように、よく見守り、
また何よりも「夫婦の姿」を通して、
男女愛の本来の姿を示してあげて頂きたいと思います。

そうした努力によって、子女たちの心情世界が育まれるのです。


次に、「信仰の成長過程」ということについても
触れておきたいと思います。

子どもたちは皆、最初から信仰をもっている訳ではありません。
二世もどこかで「自分の信仰」、
「主体的信仰」が必要になります。
言い換えれば、「信仰の自立」を果たさなければならない訳です。

ここで説明する「信仰の成長段階」というのは、
キリスト教の教育学において、ジョン・ウェスターホフという教授が
提唱している内容をもとに、整理し直したものです。


信仰もまずは、「神様の愛」を実感するところから始まります。

「神様は愛なんだ、親なんだ、自分は神様の愛から生まれた、
神様の子どもなんだ!」…と、そうした実感が、
神様を慕い求める、子どもたちの純粋な感性を育む訳です。

但し、「親なる神様」ということは
「言葉」で教えられるものではありません。
親の愛を通して「感じる」ものなのです。

その上で、幼い頃に見聞きする、親の信仰習慣が、
子どもたちの信仰を育てます。
言わば、「習慣的信仰」です。

子どもたちが祈ったり、敬礼したりするのは、
決して、彼らに「信仰があるから」ではありません。
単に親の真似をしているだけのことです。

しかし、勉強でもスポーツでも、基礎を作るのは
日々の生活習慣であって、
親の生活姿勢が、子どもの信仰の基礎を形作るのです。


さらに、信仰を育む上で次に必要になってくるものが
「信仰の友」「信仰の仲間」です。

仲間たちと共に祈り、共に信仰する、言わば、「共同体信仰」の段階です。
中高生期にもなると、同世代のつながりを求めるため、
同世代の仲間が価値視するものを、価値視するようになります。

信仰をすることが、仲間たちの目に、
「くだらないもの」に映ってしまうとすれば、
彼らは皆、信仰する気になれないでしょう。
逆に、仲間たちの中で、それがとても
「魅力的なもの」「価値あるもの」として認められた途端、
皆がそれを、求め出すに違いありません。

私たちが子どもたちの通う教会学校や、二世の共同体を大事にしたいのは、
彼らを「信仰の良き友」「良き先輩」と引き会わせてあげるためなのです


さて、次の段階として、子女たちはやがて、
習慣的信仰や集団的信仰では満足できない時期を迎えます。

「今までやってたから」とか、「みんながやってるから」ではない、
「なぜ信仰をするのか」ということに対する
「自らの答え」を求めるようになるからです。
これが「探求的信仰」です。

その探求がいつ始まるかは、誰にも分かりません。

友達関係が破綻したり、進路で行き詰ったり、
大きな挫折を味わった時に始まるかも知れませんし、
或いは、厳しい信仰訓練のさなかや、
祝福・就職といったハードな現実の中で興ってくるかも知れません。
人が神様を求めるのは、「自己の限界にぶつかった時」だからです。


この時、子女たちは荒れに荒れるでしょう。
それまでと180度違った姿を見せるかも知れませんし、
信仰そのものを全否定してくるかも知れません。

しかし、その時こそ、彼らを変わらず信じ、
見守っている存在が必要なのです。

その中で、彼ら自身が「自らの神様」を発見し、
自らの「主体的信仰」をつかみとることでしょう!

信仰は強制も強要もできません。
自ら求め、自ら手にした信仰だけが、彼ら自身の信仰になります。

だからこそ、私たちには「祈り」が必要であって、
彼らを導く「神様」への信仰が必要なのです。


子どもが信仰の勝利を手にする時、
それは親の信仰の勝利でもあります。

そして、その時、親自身も、自分たちを見守ってきた、
神様の「親なる心情世界」に触れるに違いありません。

子女の成長期間は、私たち親にとっての、愛と信仰の成長期間でもあるのです。


み言を訓読します。


人は愛のために生まれました。

腹中からお父さんお母さんの保護を受け、
生まれてから二十歳まで思慮分別なく、
父母はおむつを替える時も汚いと思わずに、
すべてを喜びとして消化できる愛が宿ります。

その愛から育っていった暁には、相対者と出会い、
天理の愛に接ぎ木されなければなりません。

そのような一生の過程を歩みつつ、
神様の愛がどれほどかということを体験させてはじめて、
神様の愛の実体圏が完成されるので、
神様は私たちに、息子・娘を生んで
愛するようにさせたのです。



成長期間は神様がくださった時間です。
地上の人生の中で、親子の尊い成長記録を刻みましょう。

以上で、子女教育概論・第2講座を終わります。
ありがとうございました。



やはり、子女を信仰に導くには
親の存在が重要であると感じます。

先天時代と後天時代の境目を歩んできた私たちですので、
家庭を犠牲にして、み旨に邁進してこられた方も多いと思います。
しかし、今の時代圏は違うのです。

そういう意味でも、総会長が切り替える時だと訴えられていますが
それも、天のメッセージであると感じます。


子女教育、家庭教育という観点で考えてみると
最も成功しているのは、ユダヤ教だといえると思います。
4000年間、信仰を継続させていますし、しかも、優秀な民族です。

ユダヤ人の人口は、世界人口に対してわずか0.38%にすぎませんが、
それなのに、ユダヤ人は人類のエリートといえます。

ノーベル賞受賞者を見てみると、1901年以来今日まで、
経済で60%以上、医学で20%以上、物理で20%以上、化学で10%以上、
文学で10%近くの受賞者が、ユダヤ人なのです。

彼らの中心は、家庭での信仰生活です。
3歳に文学や読み書きを教え、4歳でモーセ五書の暗唱を始めるそうです。
そして、「子女は神様がくれたプレゼント」という認識が強いのがユダヤ人です。

ユダヤ人に学びつつ、伝統の相続ということを意識して
子供たちに向かっていきたいと思います。



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