今回の全国的な人事により、教区長が交代されました。
離任式、就任式、ともに参加させていただいたので、
少し感じたことを書きたいと思います。
☆
前任の教区長の離任式では、
多くの食口たちが涙を流しておられました。
それだけ投入していかれながら、
食口たちを愛しぬいていかれた世界がありました。
とても強面の方であり、
また、歯に衣着せぬ発言もされ、
地区長であれ、総会長であれ、
思ったことは率直に言われる方でしたが、
それだけ食口を心から思っての言葉だったのだと思います。
教区長が常日頃、口にしていた言葉があったといいます。
一番恐ろしいものが、愛の減少感である。
それは、自分自身が持ってもいけないし、
相手に持たせてあげてもいけないものだ。。。
愛の減少感は、天使長ルーシェルが抱いた思いであり、
人類始祖も受け継いだものであり、
サタンはそれを利用して、摂理をことごとく延長させてきました。
だから私自身、最も気をつけないといけない思いなのです。
本当に多くの人たちがそのことによってマイナスの方向に行きました。
ですから、「私は大丈夫」ということは言えないと思うのです。
教区長は心情文化・心情組織を重要視してこられました。
「外的な実績はさておいて、内的な土台作りをしてきた
そのことに対してはある程度できたと思う」
食口たちが涙する姿を通して、証明されていると感じました。
☆
新しく来られた教区長は、地区長も経験された素晴らしい方です。
三つのことを強調しておられました。
@ 姿勢を正しくすること
A 出発の決意が重要である。
韓国の諺に『始まりが半分である』というのがある。
なので、決意して出発しましょう。
B ウリヌンハナダ
お母様も語られていること。
モーセの時代にもモーセが決意しても、
イスラエル民族たちが不平不満を言って
モーセと一つになれなかったから、摂理が延長した。
一つになるということはとても重要。
☆
就任式には地区長も来られて、
人事は天事であることを強調されていました。
前任、新任の教区長
そして地区長を含めて、みんな韓国牧会者です。
新任の教区長は、10年間単身赴任だということですが、
地区長も単身赴任であり、
前任の教区長は、これから単身赴任となります。
いろいろと感じさせられることがありました。。。
☆
韓国人牧会者たちは
お父様の命を受けて、日本に宣教師として来られました。
ほとんどの韓国牧会者は日本人と祝福を受けていますから、
日本語を話す機会はあるとしても、
異国の地で牧会者として活動するのは
並大抵のことではないと思います。
私が以前、お世話になった教会長は、
「私はすぐ韓国に戻るから日本語は勉強しなくていい」
ということで、サモニムも韓国留学をしていたこともあり、
説教はずっと韓国語、サモニムが通訳をしていました。
私たちの教会に来て、しばらくしてから
そのやり方を変えました。
すなわち日本語で説教するようになったのです。
教会長ご自身もとても違和感があり、
何度も辞めようと思ったそうですが、
食口たちを愛する心情ゆえに日本語で続けていかれたそうです。
日本語が上手なかた、そうでない方、様々おられると思います。
しかし、説教をするだけでも大変なのに、
異国の言葉で説教することほど
大変なことはないのではないでしょうか。
海外宣教を経験された方はみんなそうだと思います。
自分自身が海外で現地の言葉を学び、生活する。
それは、その地を愛するからこそできることだと思います。
☆
また、牧会者の皆様には多くの重荷もあるのです。
そういう意味で、韓国牧会者の皆様は
本当に日本を、日本食口を愛してくださっている、
そのことを教区長・地区長の姿を通して感じました。
韓国と日本は天から見れば、父と母の関係にあります。
切っても切れない関係なのです。
改めて感謝する機会を持たせていただきました。。。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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