最後の試練は
愛の減少感より始まる
久保木修己*
愛の減少感より始まる
久保木修己*
☆
昨日の教区長の証しの中で、
愛の減少感について書きました。
私たち誰もが通過すべき関門であり、試練です。
久保木会長が著書の中で、
そのことに言及していますので、
少し編集して紹介します。
☆
イエス様は王の王として、正に真の人間としてこの地上に来られて、
神のみ言を宣べ伝えるだけでよかったのです。
それまでの環境圏はすべて天使長圏だったわけです。
その天使長の血統圏を断ち切って、
人間復帰の道を備えておかなければならないというのが、
洗礼ヨハネの使命だったのです。
それでは、天使長の血統圏を切るということは何かというならば、
愛の減少感を勝利するということです。
ところが、この愛の減少感は一番中心的な問題なのです。
ほかのことならいくらでも勝利できる、だからこそ、
洗礼ヨハネは救い主ではないかと言われたのです。
ところが彼は、愛の減少感という問題に勝利できなかったのです。
やがてイエス様の方にいろんな人々の関心が集まる、
みんながだんだんそちらに吸収されてしまうと、彼は寂しくなって、
「彼は必ず栄え、わたしは衰える」というような惨めな言葉を、
聖書に残してしまうのです。
それは正に愛の減少感であります。
今まで洗礼ヨハネに対して「あなたこそ救い主ではないか」
と讃えられていたのに、イエス様が現れてから、
どんどんそっちの方に人々が引っ張られていく姿を見て、
「ああ、口惜しい。ああ、寂しい」というふうにして、
愛の減少感を抱いたのです。
洗礼ヨハネがこの試練に失敗してしまったがゆえに、
イエス様は彼の分までやらなければならなくなったのです。
だから、イエス様は苦難の歴史を出発しました。
愛の減少感を感じるような立場にばかり、イエス様は押し出されていったのです。
☆
神様は愛であります。
ですから人間自身が、この恐るべき愛の減少感という問題を解決しなければ、
天宙の相続権を受け継ぐことはできないのです。
だから、五パーセントの我々の実践を残しておきました。
それで、サタンのもの、天使長のものという立場を解決するためには、
愛の減少感を勝利してもらわなければならないので、
神はわざと自分の子供たちを愛の減少感が
極度に感じられる場所に追い込んでしまいます。
神はそうせざるを得ないのです。
神がそこに押し込んだのち、人間が自らの力で愛の減少感を突破して、
これを勝利した時に初めて、神の働く人間になることができるのです。
☆
洗礼ヨハネは、それをしなければなりませんでした。
彼は神の愛によってそのことを見せられたのに、
惨めにも崩れていったので、イエス様はその立場を
自ら復帰していかなければならなくなりました。
だからイエス様は、惨めな立場から出発せざるを得なくなったのです。
☆
皆さんは、どのような時に愛の減少感を感ずるでしょうか。
尊敬すべき目上の人が、指導されるべき目上の人が愛してくれない、
中心者に冷たくあしらわれる、そういう愛の減少感を受けることがあります。
この時ぐらい悲しい時、恨めしい時はないのです。
でも、最終的にこれを、我々は勝利しなければなりません。
☆
イエス様はこの問題を最終的に与えられたのです。
それがあの十字架上のイエス様でありました。
イエス様は一番神を愛しながら、
その一番尊敬する主体者の神から冷たくあしらわれて、
十字架にかかってしまったのです。
神様は一言も答えずに……。
こうやって無視された立場において、
残酷な十字架上に死ななければならなかった、
その瞬間こそ、イエス様としては最も勝利しにくい立場でありました。
☆
その時イエス様は、自ら神に祈って、
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
という悲痛な叫びをしても、神は答えなかったのです。
答えてくれない神をイエス様はなお信じて、
自分の無惨なる姿を見ている神、それを信して、愛の減少感を勝利したのです。
さらに、「父よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」
と執り成しまでしているのです。
最後の一番の厳しさを乗り越えていったのが、イエス様でありました。
このゆえに、イエス様は愛の減少感を、
最高最大の価値において勝利していった、唯一なるお方であるというのです。
こうやってこそ初めて、人類の救いの道が開かれたのであります。
☆
愛の減少感から派生するところの様々な紆余曲折、
複雑なる心情を勝利していかなければならないのが、
二〇〇〇年後の私たちの最大の問題であります。
どんなに苦しく、どんなにつらく厳しくとも、
本質が分かっている以上、我々に愛がないということは、
二言も言える立場ではありません。
この苦しさ、この修行が大いなる神の愛なのだと、
こう感じていなければ、イエス様の心情を理解することも、
受け継ぐこともできないのです。
まして、我々が人間として復帰することはできません。
どんなことが起こっても、どんな仕打ちを受けても、
それを恨みに思ったり、憎んだりしてはなりません。
それをすべて愛と感じるような内容を、身につけなければならないのです。
『最後の試練は愛の減少感より始まる』
「愛こそすべて」より
「愛こそすべて」より
☆
洗礼ヨハネは乗り越えることができませんでしたが、
イエス様は見事に十字架の試練の道を克服しました。
真のお父様も神様に捨てられるような道を何度もいかれましたが、
それでも神様を慰めていかれました。
愛の減少感の試練は誰にもあるといいます。
個人的には、一番大変だったのが、拉致監禁の試練だったと思います。
詳しいことは省略しますが、上からも下からも横からも試練をうけました。
今は家庭時代、蕩減の時代は終わったといいますが、
今後もどんな試練が来るとは限りません。
誰もが受ける愛の減少感の試練は、
子どもたちにも当然あることでしょう。
だからこそ神様の心情を求めながら、み旨を求めながら
越えていきたいと思うのです。
*久保木修己(くぼき・おさみ 1931〜98): 日本初代会長、名誉会長
1931年、中国丹東市(旧満州安東市)生まれ。終戦とともに引き揚げ、13歳で帰国。慶応中等部では野球部に所属、甲子園にも出場。慶応大に在学中、立正佼成会に入会、会長秘書まで務める。
1962年世界基督教統一神霊協会(統一教会)に入会。1964年、会長就任。
1970年、朴正煕大統領と会見。同年、日本武道館でWACL(世界反共連盟)世界大会を開催し、議長を務めた。1971年、蒋介石総統と会談。同年、ローマ法王(パウロ6世)と会談した。
国際勝共連合会長、国際文化財団理事長、アジアサファリクラブ会長、国際友好釣連盟会長、北米極真空手会長、世界日報社会長、世界平和連合会長等を歴任。中華民国中華学術院名誉哲学博士。1998年、逝去。67歳。
著書に、『愛天愛国愛人』(世界日報社)、『愛こそすべて』(光言社)、『久保木修己講演集』(光言社)、監修として『文鮮明師と新ソ連革命』(光言社)、『文鮮明師とダンベリーの真実』(光言社)等、遺稿集として『美しい国・日本の使命』(世界日報社)がある。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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