2016年02月12日

試練のしのぎ方?! 最大の試練、「愛の減少感」をどのように越えるか?!



kubokifusai2.jpg


最後の試練は
愛の減少感より始まる


久保木修己*



昨日の教区長の証しの中で、
愛の減少感について書きました。
私たち誰もが通過すべき関門であり、試練です。

久保木会長が著書の中で、
そのことに言及していますので、
少し編集して紹介します。


イエス様は王の王として、正に真の人間としてこの地上に来られて、
神のみ言を宣べ伝えるだけでよかったのです。

それまでの環境圏はすべて天使長圏だったわけです。
その天使長の血統圏を断ち切って、
人間復帰の道を備えておかなければならないというのが、
洗礼ヨハネの使命だったのです。

それでは、天使長の血統圏を切るということは何かというならば、
愛の減少感を勝利するということです。

ところが、この愛の減少感は一番中心的な問題なのです。
ほかのことならいくらでも勝利できる、だからこそ、
洗礼ヨハネは救い主ではないかと言われたのです。

ところが彼は、愛の減少感という問題に勝利できなかったのです。

やがてイエス様の方にいろんな人々の関心が集まる、
みんながだんだんそちらに吸収されてしまうと、彼は寂しくなって、
「彼は必ず栄え、わたしは衰える」というような惨めな言葉を、
聖書に残してしまうのです。

それは正に愛の減少感であります。

今まで洗礼ヨハネに対して「あなたこそ救い主ではないか」
と讃えられていたのに、イエス様が現れてから、
どんどんそっちの方に人々が引っ張られていく姿を見て、
「ああ、口惜しい。ああ、寂しい」というふうにして、
愛の減少感を抱いたのです。

洗礼ヨハネがこの試練に失敗してしまったがゆえに、
イエス様は彼の分までやらなければならなくなったのです。
だから、イエス様は苦難の歴史を出発しました。
愛の減少感を感じるような立場にばかり、イエス様は押し出されていったのです。


神様は愛であります。

ですから人間自身が、この恐るべき愛の減少感という問題を解決しなければ、
天宙の相続権を受け継ぐことはできないのです。

だから、五パーセントの我々の実践を残しておきました。

それで、サタンのもの、天使長のものという立場を解決するためには、
愛の減少感を勝利してもらわなければならないので、
神はわざと自分の子供たちを愛の減少感が
極度に感じられる場所に追い込んでしまいます。

神はそうせざるを得ないのです。

神がそこに押し込んだのち、人間が自らの力で愛の減少感を突破して、
これを勝利した時に初めて、神の働く人間になることができるのです。


洗礼ヨハネは、それをしなければなりませんでした。

彼は神の愛によってそのことを見せられたのに、
惨めにも崩れていったので、イエス様はその立場を
自ら復帰していかなければならなくなりました。

だからイエス様は、惨めな立場から出発せざるを得なくなったのです。


皆さんは、どのような時に愛の減少感を感ずるでしょうか。

尊敬すべき目上の人が、指導されるべき目上の人が愛してくれない、
中心者に冷たくあしらわれる、そういう愛の減少感を受けることがあります。

この時ぐらい悲しい時、恨めしい時はないのです。
でも、最終的にこれを、我々は勝利しなければなりません。


イエス様はこの問題を最終的に与えられたのです。
それがあの十字架上のイエス様でありました。

イエス様は一番神を愛しながら、
その一番尊敬する主体者の神から冷たくあしらわれて、
十字架にかかってしまったのです。

神様は一言も答えずに……。
こうやって無視された立場において、
残酷な十字架上に死ななければならなかった、
その瞬間こそ、イエス様としては最も勝利しにくい立場でありました。


その時イエス様は、自ら神に祈って、
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
という悲痛な叫びをしても、神は答えなかったのです。

答えてくれない神をイエス様はなお信じて、
自分の無惨なる姿を見ている神、それを信して、愛の減少感を勝利したのです。

さらに、「父よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」
と執り成しまでしているのです。

最後の一番の厳しさを乗り越えていったのが、イエス様でありました。
このゆえに、イエス様は愛の減少感を、
最高最大の価値において勝利していった、唯一なるお方であるというのです。

こうやってこそ初めて、人類の救いの道が開かれたのであります。


愛の減少感から派生するところの様々な紆余曲折、
複雑なる心情を勝利していかなければならないのが、
二〇〇〇年後の私たちの最大の問題であります。

どんなに苦しく、どんなにつらく厳しくとも、
本質が分かっている以上、我々に愛がないということは、
二言も言える立場ではありません。

この苦しさ、この修行が大いなる神の愛なのだと、
こう感じていなければ、イエス様の心情を理解することも、
受け継ぐこともできないのです。
まして、我々が人間として復帰することはできません。

どんなことが起こっても、どんな仕打ちを受けても、
それを恨みに思ったり、憎んだりしてはなりません。
それをすべて愛と感じるような内容を、身につけなければならないのです。

『最後の試練は愛の減少感より始まる』
「愛こそすべて」より



洗礼ヨハネは乗り越えることができませんでしたが、
イエス様は見事に十字架の試練の道を克服しました。

真のお父様も神様に捨てられるような道を何度もいかれましたが、
それでも神様を慰めていかれました。

愛の減少感の試練は誰にもあるといいます。

個人的には、一番大変だったのが、拉致監禁の試練だったと思います。
詳しいことは省略しますが、上からも下からも横からも試練をうけました。

今は家庭時代、蕩減の時代は終わったといいますが、
今後もどんな試練が来るとは限りません。
誰もが受ける愛の減少感の試練は、
子どもたちにも当然あることでしょう。

だからこそ神様の心情を求めながら、み旨を求めながら
越えていきたいと思うのです。


応援のクリックをお願いします。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ

*久保木修己(くぼき・おさみ 1931〜98): 日本初代会長、名誉会長

 1931年、中国丹東市(旧満州安東市)生まれ。終戦とともに引き揚げ、13歳で帰国。慶応中等部では野球部に所属、甲子園にも出場。慶応大に在学中、立正佼成会に入会、会長秘書まで務める。
 1962年世界基督教統一神霊協会(統一教会)に入会。1964年、会長就任。
 1970年、朴正煕大統領と会見。同年、日本武道館でWACL(世界反共連盟)世界大会を開催し、議長を務めた。1971年、蒋介石総統と会談。同年、ローマ法王(パウロ6世)と会談した。
 国際勝共連合会長、国際文化財団理事長、アジアサファリクラブ会長、国際友好釣連盟会長、北米極真空手会長、世界日報社会長、世界平和連合会長等を歴任。中華民国中華学術院名誉哲学博士。1998年、逝去。67歳。
 著書に、『愛天愛国愛人』(世界日報社)、『愛こそすべて』(光言社)、『久保木修己講演集』(光言社)、監修として『文鮮明師と新ソ連革命』(光言社)、『文鮮明師とダンベリーの真実』(光言社)等、遺稿集として『美しい国・日本の使命』(世界日報社)がある。



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 12:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする