「この教会は
6000年前にはなかったし、
6000年後にもない。
そういう集団であるという
ことだけ分かればいいですよ」
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6000年前にはなかったし、
6000年後にもない。
そういう集団であるという
ことだけ分かればいいですよ」
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金元弼(ウォンピル)先生の『伝統の源流』
今回は、『平壌開拓の日々』の続きです。
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先生はみ言を語られる時、冬は綿の入った韓国古来の衣服を着ておられました。
説教が終わる時には、その綿の服を絞れば水が垂れてくるくらいに、
汗を流してみ言を語られました。
それゆえに、食口は毎週着物を洗い、そして作らなければなりませんでした。
また韓国の着物は、洋服のようにただミシンに入れて回すというのではなく、
いちいち手縫いでしますけれども、その後に、布は布なりに綿は綿なりに、
初めて作るごとくやり始めなければなりませんでした。
このメンバーたちは、長年神に侍り、イエス様に侍る生活をしていた人です。
それゆえに神からいろいろなかたちで、
先生にどのように侍らなければならないかを教えてもらい、
本当に真心を尽くしたのです。
私たちは気軽に握手することもできますが、当時は霊能者であっても、
先生の着物に触れることは難しいことでした。
先生は何も語られないのです。
もちろん、新しい食口が来た時には、み言を熱心に語られますが、
個人的にはなかなか語ってくださいません。
皆さんは、私は先生と近くにいるから、直接たくさんのみ言を
いただくだろうと考えるかもしれませんが、そうではないのです。
私が何も分からず、幼いからでありましょうけれども。
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先生は礼拝が終わると、教会から離れた野外とか、
学校の庭とか、そういう所をたびたび訪ねました。
その時に、「何か聞きたいことがあったら聞きなさい」と言われました。
しかし、私は先生の言われることを全部信じていましたし、
理解できていましたから、何ら質問の余地はありませんでした。
それで「ありません」と答えました。
先生は、私が何も分かっていないと言ったら、
もっと高い次元のみ言を語ってあげたいと思っておられたと思います。
しかし受ける体制もなっていない幼い者と見えたからでしょう、
先生は私に
「この教会は6000年前にはなかったし、6000年後にもない。
そういう集団であるということだけ分かればいいですよ」
とひと言だけ教えてくださいました。
その時は、統一教会という名前もなく、集まりであり、
群れであり、集団だと教えてくれたのです。
今考えてみますと、何を言っても私にはよく分からないから、
ただ結論だけ教えてくださったのでした。
短いみ言ですが、深く考えてみればみるほど、
6000年という有史以来なく、これからもない集団である
というみ言に原理の結論を示しておられるのです。
私はその本当の意味が分かりませんでした。
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先生は礼拝が終わると、よく和動の時間をもってくださいました。
当時の韓国の社会では、男女が同じ部屋で
一緒に話し合うということは、非常にまれなことでした。
女性は、男性の前を通るものではありませんでした。
食事も女性は他の所でしました。
そこにキリスト教が入って、そういうことは徐々になくなっていったのです。
また、教会の建物自体もそのようになっていました。
今は男女が一緒の座敷に座りますが、韓国のキリスト教会では、
女性の席と男の席が別々になっていました。
そして、男性の説教者は、両側全部を見れるようになっていました。
しかし、女性の方からは男の人たちが見えないような造りになっていたのです。
クリスチャンは礼拝が終わると、民族の音楽はなかなか歌いません。
賛美歌だけを歌うのです。
しかし先生は和動する時に、食口たちの中で、
民族の歌をよく歌ってくださいました。
今から35、6年前(1946年ごろ)の話です。
これは皆さんの国での35、6年前ではなく、韓国での話です。
ですから韓国のキリスト教では、
このように民族の歌を歌っても罪のごとく考えたのです。
革命だとしたら、これほどの革命はないと思います。
先生のお心は、たとえどういう歌であっても、
歌って愛する愛の対象が神でありメシヤであるならば、
どういう歌でも歌うことができるというお考えなのです。
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「この教会は6000年前にはなかったし、6000年後にもない。
そういう集団であるということだけ分かればいいですよ」
これがお父様の結論だということです。
まだ、「統一教会」という名前の無い時代。
おそらく、お父様に侍る人たちは本当に少なかったと思います。
今は、統一教会から家庭連合に名称が変更され、
その当時と比較すれば、多くの基盤ができました。
しかし、そういう時代においても、
お父様が語られたごとくに、価値のある教会であるに違いありません。
先日の行事のミュージカルで演じられた
共産圏の宣教師をはじめとして、
多くの先輩たちが世界中に開拓していかれました。
また、日本においても片道切符で
地方に開拓伝道をしていかれた先輩たち・・・
その土台によって、今の「私」があるのです。
取るに足りない者ではありますが、
今がまさに本番。
2020年までの期間が本当に重要です。
初期のお父様の精神・ご心情を思いながら、
一日一日を貴重視しながら、歩んでいきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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