2016年03月31日

(証し) 84歳、「祝福伝道」適齢期?! もう祝福が止まらない!! 



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今日はある教会の祝福伝道の証しです。
84歳のおばあちゃんですが、み旨にまい進しています。


昨年、私の所属する教会は天の導きのなか、素晴らしい聖殿が与えられ、
その聖殿を活用して祝福式が行われる様になりました。

三回実施された祝福式には、毎回数組ではありますが
既成祝福式が行われ、小さな教会でも感動的な
素晴らしい祝福式を行なう事が出来るようになりました。

そのような状況のなか、独身祝福も力を入れて取り組みはじめました。
教会長が、独身祝福も毎回40名を、と決意されて取り組まれている姿を通して、
私も本当に決意して頑張ろうと思いました。

祝福の説明をして聖酒を飲んでもらい祝祷する、というような活動ですが、
一人でも多くの人に祝福をしてあげたい、
そして祝福家庭として霊界に送ってあげたい、
そう思うと、いてもたってもいられない気分になり、
頑張ろうと思うと、不思議といろいろな方の顔が浮かんできました。

そして親戚を始め、ご近所の方々、
なかには数年、数十年ぶりの人もいましたが、
訪ねて話をするとみんな本当に喜んで聖酒を飲んで下さいました。


ある方は、早くにご主人を亡くされた婦人ですが、
私が会いたいと強く思ったところ、突然電話があり
「会いたいと思い電話したよ」と言ってこられました。

そして翌日、その方と会ってみると、たまたまタンスを開けたときに、
私の亡くなった主人の名前の香典袋が出てきて、会いたいなと思って、
思わず電話をしたと話をして下さいました。
そして、聖酒を飲んで下さいました。

このことを通して、私の亡くなった主人も
共に霊界から協助してると感じました。


また別の方は、詩吟や踊りを一緒にやっていた方ですが、
数年前に自叙伝を差し上げたとき、
「Nさんは、統一教会(現:家庭連合)の人だったのね。
どうりで、他の人と違うのね」(良い意味の返答)
と言って下さった方を思い出し、
私が会いに行くと言ったら、大変喜んで下さいました。

その方は、最近体が弱くなって誰とも会わないようになっていましたが、
祝福の話しをして聖酒を飲んでもらったところ、
本当に喜んで「良かった、良かった、元気が出たよ」と言って下さいました。


このように昨年末から今月までに29名の独身祝福をしました。
今後はタブレットを使って、その方々のケアをしていきたいと思います。

私は今年84歳で、バイクに乗れなくなると
自由に訪問する事が出来なくなるので、
体が動く内に、一人でも多くの方に独身祝福をしてあげて、
地上に多くの祝福の基台を作りたいと思っています。

ありがとうございました。



み旨に年齢は関係ないのだな。
そのように思います。
喜びの感動、感謝の思いを伝えたい・・・
そんな純粋な気持ちで活動しているのだと思います。

私たちの教会でも、60代・70代の方が
日々活動しています。
また、みんなとても復興しておられますし、
ともに歩むのが楽しいと感じていると思います。
そして、とても仲がいいです。

84歳のおばあちゃんのように、
これからもみ旨にまい進していきます!



余談ですが、家庭連合の公式サイトを見ていたら
こんな記事がありました。


動画を見ましたが、斬新なCMですね(笑)
見た顔もちらほらと。。。

今後もアップされるということで楽しみです。
ひとつだけ、貼り付けておきます。






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posted by ten1ko2 at 07:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 祝福の価値 祝福の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月30日

イースターにイエスに会ったお父様のように、天を求めよう! ☆訓読のすすめ☆



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先週の日曜日。
私たち家庭連合にとっては、安侍日の聖日でしたが、
キリスト教にとっては、特別な一日でした。

ご存知の方も多いと思いますが、
復活祭の一日でした。
春分の日から最初の満月の日の次の日曜日、
その日が復活祭(イースター)です。

真のお父様が、数えの16歳、
イースターの朝にイエス様と出会われました。

ちなみに、昨年の記事に掲載しましたが、
イエス様と会話されたお父様は、
何語で話されたのでしょうか?

正解は、韓国語です。

イエス様と出会われたお父様は、
イエス様の使命を継承し、
ご自身を犠牲にされ、
神様と人類のために全生涯をかけて歩まれました。

そんなお父様のようにどれだけ歩めているか。。。
まだまだ足りない私であると感じざるを得ません。


私たちは、真の父母の歩みを継承する立場です。

神霊と真理に満ちた存在となっていくために、
何より大切なものが何かと言えば、
祈りと訓読だといいます。

そして、為に生きること、
真の愛の実践、伝道(氏族メシヤ活動)を通して、
更に復活し、天の願いに答えていくのです。

祈りや訓読は、すればするほど復興するはずですが、
逆に、それがないと、どうなるかというと、
ますます祈りたくなくなり、
み言も求める思いもなくなり、
人を愛したり、み旨に燃える気持ちも薄れ
不信仰の悪循環になっていきます。

祈り、訓読、為に生きる愛の実践、伝道。
やればやるほど、もっとやりたくなり
やらなければやらないほど、全然したくなくなります。

ちなみに、家庭連合のメンバーである私たちが
どれだけ訓読会をしているかどうかの報告では、
できている家庭が、あまりにも少ないということです。

貴重なみ言、その恩恵を広げていく立場ですが、
それ以前に、私たちが訓読の時間を待ち望んで
み言に酔いしれるぐらいになっていてもいいはずですが。。。


さて、クリスチャンの友人と話す機会がありました。
復活祭の話などをしながら、
聖句のことに話題が移り、
「聖書はどのくらい読んでおられますか?」
そのように質問されて答えに窮しました。

「講義の時とか、説教の時、聖句を用いるときに読むくらいで
正直、精読することはあまりないですね。。。」

彼は、毎日時間をとって、必ず10ページ以上は聖書を精読するそうです。
私の答えに、少しがっかりした様子でした。

毎朝の訓読会においても、
条件的に読む時があったりして、
本当に申し訳ない限りです。

彼がイエス様を愛し、聖書を愛する心情と
私が真の父母様を愛し、み言を愛する心情を比較しても、
もちろん、ページ数で比べることができるわけではありませんが、
話をしていても、まだまだ足りないな。。。
そのように感じざるを得ませんでした。

イースターにイエス様に出会ったお父様のごとく、
もっともっと真の父母様を求めて
父母様の願いに応えられるように、
日々の精誠が重要であると感じさせていただきました。



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posted by ten1ko2 at 13:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月29日

口(くち)ピアスの甥が劇的に変わった理由とは? 甘えを受け止めてみる?! 《家庭力UP↑講座》 



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多田部長の家庭力アップ講座。

愛が子どもに届くためには、3段階があるといいます。
その1段階目、
愛することで「個性真理体」を確立するという内容を
お伝えしています。

昨日の続きです。。。


では、どうしたら愛が子供に届くのでしょうか。

第一に、親があるがままの子供自身を受け止めて、
愛してあげることが大切です。

親が、自分の理想に沿って子供を助けすぎると、
親の望む子供というものを教えるだけになってしまい、
「親にとってのいい子」になってしまうのです。


第二に、自分の願いに答え、欲求を満たしてくれる人がいる・・・・
この安心感こそが、子供の人生を支える愛の始まりになります。

よく抱いて肌を触れ合うこと、笑顔でやさしく目を見て話しかけること、
よく一緒に遊んであげること、無条件にかわいがることが必要です。


第三に、肯定的な言葉や思いをたくさん書き込まれた子供は、
自分に対して肯定的なイメージをもつことができます。
そして、自分を好きになることができるのです。


第四に、甘えを受け入れることです。

子供は大きくなるに従って、どんどん具体的な問題を抱えるようになります。
友達からいじめられたとか、先生から叱られたとか、
集団生活の難しさを感じた入りします。

すると家に帰れば、「あのね……」と子供は、親に問題を話そうとします。
それは、子供の「甘え」です。

安心感を得たから話そうとするし、
心の痛みを癒そうとして話そうとするわけです。
またそれが、子供の自立の準備となります。

そして、親が「甘え」を受け入れることによって、
子供の欲求に答えて必要な心の支えができるようになるのです。
「甘え」を受け入れるということも、
やはり子供の話を共感するということになるのです。


例をひとつ紹介します

「今年のお盆に親戚と家族が集まりました。
しかし、高校二年生の甥はなぜか一人だけ別の部屋で携帯電話を離さず、
私たち家族と話をせずに一人でぽつんと座っていました。

彼は髪の毛を赤っぽい色に染め、口と耳にピアスをはめていました。
高校生でありながらタバコも吸い、親のいうことも聞かず、
小さい頃の無邪気で純粋な面影はありませんでした。

彼のそばに座っていると、彼は英語がとても好きで、
もっと上達したいと言ってきました。

そこで、私が英語を好きになったきっかけや
上達の秘訣などを話してあげると、
彼はとても興味を示してきました。
そしてお互いに英語で話し合い、彼の英語の発音を認めてあげました。

そしてさらに交流が深まっていくと、
彼の今の生活、これからの生き方などにも話が及びました。
そして私はタバコをやめること、
結婚するまでは男女関係をもたないことなどまで話しました。

驚くことに彼は素直に話を聞き、
今の生活を正しい方向に変えていくように努力することを約束しました。

そして、家族のいる部屋に一緒に行き、話に加わりました。
そこで彼が実は私を尊敬しており、
私のように英語を話せるようになりたいと思っていたことを
皆の前で話したときは本当に驚きました。

その日、早速、彼はピアスを全部外して捨て、
髪の毛を元通り黒く染めたのです。
あまりの彼の変化に家族は驚くとともに、
私が彼に対して及ぼした影響に驚きました。

彼はその後、実家に帰ったあとも私と英語でメールをやりとりしています。
また息子の教育に手を焼いていた妹は、
聞くことの重要性を理解してくれました。

彼は長い髪の毛を短く切り、その写真を送ってきました。
私は、自分の観点で彼を裁くような目で見ていましたが、
実は彼がこんなに純粋であること、
そして変わりたいと願っていることを知らされ、
決して表面的に判断してはいけないことを知らされました。

そして少しの時間でも話を聞いてあげるだけでも
こんなに変わるのかと自分ながら驚きました。」




口(くち)ピアスの甥御さん。
見た目では本当にひいてしまうような子ですが、
証しの方は、愛する心情で、接していったのでしょう。
そんな心を彼も察知して、心を開いていったのだと思います。

私は神の子であり、
子供も神の子なのだ。
子供を愛し、育てることを通して、
私も神様から愛され、育てられているのだ。。。
そんな風に感じさせられています。

この道に出会い、
真の父母様を通して、
理想の家庭のあり方を示され、
家庭の重要性を教えていただいたことが本当に感謝です。



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