思春期の蛹(さなぎ)の時代、
その時 親は?!
その時 親は?!
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家庭教育局eラーニング
今回は、子女教育講座・思春期編をお送りします。
第1回目は、「アイデンティティーの形成」です。
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思春期は一般的に「難しい時期」だと言われています。
中高生を子女にもつ父母の方々から、
「小学生のころは、何でも私に話してくれたのに、
最近では、ろくに口をきかなくなった」
「友達とばかり遊び歩いて、親と一緒に行動するのを嫌がる」
「小学生までは素直に礼拝に通っていたのに、
中高生になると親の言うことを聞かなくなった」
「何を考えているのか、さっぱり分からない」
という声が多く聞こえてきます。
この年頃の子どもの気持ちを理解するのは難しいという意味合いで、
思春期を「難しい時期」だととらえることが多いように思います。
子供たちの言動に理解できないことが増え、
親に対する反発や反抗を示す時期でもありますから、
親は突如として訪れるこの劇的な変化に戸惑いを隠しきれません。
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けれども一方で、この時期が、
子どもの成長にとってとても大切な時期であり、
思春期の反発は本当の意味で、
一人の立派な大人として成長するための、
通過儀礼であることを私たちは知っています。
だからこそ、親は「乗り越えなければならない時期」として、
とにかく忍耐し、嵐が過ぎ去るのを待ちます。
この時、嵐の激しさに不安を覚えますが、
一方で子どもの成長に対する期待もあり、
不安と期待が交差することがしばしばです。
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この嵐のような時期を乗り越えることで、
子どもたちが一段と成長することは確かですから、
何故、このような時期が訪れるのか、
その理由を明確に知ることが重要です。
そうすると、思春期が
「子どもと共に楽しめる冒険の時期」であることが分かり、
子女の自立を見守り、親自身も新たな成長を
遂げる時期なのだと理解できるようになります。
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思春期は蛹の時代とも呼ばれ、葉を這っていた幼虫が、
大空を優雅に舞う立派な一匹の蝶になるための、必ず通過する期間です。
外から見ると一見、変化が無いように見えますが、
中では劇的な変化が起こっているのです。
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真のお父様の自叙伝『平和を愛する世界人として』よりみ言を抜粋します。
子供たちを育てていく中で、最も難しい時期が思春期です。
思春期の子供たちは皆、王子様であり王女様です。
思春期はあらゆることを自己中心に考える時期なので、
父母の言葉に無条件に反発するものです。
そういう時こそ彼らを理解してやらなければ、
うっかりするととても悪い道にはまり込んでしまいます。
反対に、いくら些細なことでも、
自分と心が通じると思えばとてもうれしくなります。
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子どもは、学童期までは両親や学校の先生などの
大人の評価をよりどころとして自己を形成します。
この時期までは、子どもは大人から肯定的に評価されることを求め、
否定的に評価されることを避けようとします。
ところが思春期になると、子どもたちは大人の評価よりも、
友人の評価をよりどころとして、自己を形成するようになります。
友人から肯定的に評価されることを求め、
否定的に評価されることを避けようと必死に努力します。
言い換えると、親の評価よりも、友人たちの評価によって、
自分の存在価値を確かめようと試みます。
大人の価値基準を通して、現実に触れるのではなく、
自分や周囲の友人たちの価値基準に基づいて現実にぶつかろうとします。
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ここで、中高生たちは自分の存在価値への評価を
より高くしたい欲求にかられます。
そして、より優れた人と自分を比較し、
自分自身の存在価値をより高く評価しようと試みます。
それが時に、学校の中で人気のある友人や、
教会の中でリーダーシップを発揮する先輩、
テレビに出てくる憧れの芸能人、小説に出てくる架空の主人公だったりします。
またその比較項目は、成績であったり、
運動能力、周囲からの人気や容姿など、多岐に渡ります。
こうやって自分自身の存在価値を、様々な価値基準で計りながら、
理想と現実のギャップに苦しむ時期なのです。
だからこそ、この時期の子どもたちは、些細なことに一喜一憂し、
次の瞬間には落ち込み、そうかと思うと大笑いをしている、
外から見ると理解に苦しむ時期だと言えます。
しかし、このようなことを繰り返しながら、自己を形成し、
立派な一人の人間として、大人への仲間入りをしていくのです。
言い方を変えれば、思春期の様々な言動は、
子どもたちがアイデンティティーを形成していくうえでの、
必然的な通過儀礼なのです。
☆
思春期は、蛹の時期。。。
そして、親よりも友達の評価により、
自分の存在価値を確かめようとする。。。
なるほど、高校生の息子を見ると
そのような感じです。
私たちには理解できないテレビ番組や
本を見て、面白いといいます。
しかし、よくよく突き詰めてみると
最終的なよりどころは、
親にあるのかな、と感じます。
重要なことは、何気ない親の一言に
敏感に反応したりします。
というか、本当は、彼の心に響くよう
意識して話しているのですが。。。
だからこそ、一挙手一投足に対して、
意識を向けていることが必要だと感じます。
明日に続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
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