初期の頃、文先生(お父様)自らがされた礼拝とは
どのようなものだったのでしょうか。
統一教会以前の、証し。
金元弼(キム ウォンピル)先生の伝統の源流より、
今日は「み言に酔った信徒」です。
☆
日曜日には、礼拝があります。
説教者に予定されたとき、どのように説教したらよいか分からないので、
日曜日が来るのが非常に不安な時があります。
聖書を中心としてどのように説教したらいいのか。
統一原理の内容と聖書をどのようにかみ合わせていったらいいのかと。
先生はいつも朝早くみ言を語られました。
今は聖書をそんなに見られませんけれども、
先生が平壌におられた時に、礼拝の前には必ず聖書を読んで、
聖書の内容を中心として、ずっとみ言を語ってくださいました。
☆
先生が説教していらっしゃると、霊能者たちは高い心霊の状態になりました。
ある人にお祈りをさせると、代表して立ってお祈りするのですが、
霊界に入ってしまうのです。
その祈りが終わらないと、次の式順に進めません。
非常に不思議なことですが、先生が「もうやめなさい」と言われると、
霊界に入っていたその人は、自分の意識に帰るのです。
そういう場面を見ますと、先生の世界がちょっと分かりました。
礼拝が進行しているうちに、先生のみ言を聞いて、
自分はどれくらい神に心配をかけていたことかと悔い改めの悟りをしました。
☆
ですから説教の時にも、お祈りの時にも、
涙を流して泣かない人はいないのです。
中には恵みを受けて喜んで涙を流す人もあれば、
悔い改めの涙を流す人もあり様々でした。
神の愛に感謝して涙を流す人もいました。
涙を流す動機はそれぞれ違いました。
涙を流すにも、ただ涙を流すのではなく、
胸をたたきながら泣く人もいました。
ある人は体が震え、ある人は大きな声を出しました。
その人はおばあさんですが、立って踊るのです。
しかし皆様が思うようなそういう踊りではありません。
韓国の女の人は、人の前では踊ることも歌うこともありませんでした。
ですからこれは自分の意志ではなくて、
霊の助けによって踊っていたのです。
踊る人自身も目を開けているのではなく、目をつぶって踊りました。
ある人は喜びがあふれて、歌を歌うにしても
手をたたきながら歌うのでした。
☆
酒に酔っぱらった人のことを考えてみれば、
大変理解がしやすいだろうと思います。
酒に酔ったら黙っていません。
歌を歌い、踊って喜びを発散させます。
笑ったり泣いたり、話をどんどんする人もいますし、
いろいろな人がいるのです。
もともと人間が神の愛に酔っぱらう世界が神の理想世界だというのです。
神の理想世界は神の愛で酔っぱらう世界。
そのような酔うという本性がありますから、
神の愛に酔うことができないと、
何かで酔っぱらおうとするのです。
お酒に酔っぱらっている様子と神の愛に酔っている様子は、
全く異なるものではないということをお話ししたかったのです。
しかし、方向性が違います。
☆
初期の先生による礼拝の雰囲気は、
本当に神の愛に酔っぱらったようなものでした。
ですから騒がしくて、それを理解できない周りの住宅街の人たちは、
教会の隙間からこれを見ていたのです。
こういう状態で、夜になると夫や妻を近づけない
ということと連結して考えてみると、
これは本当に淫乱なことがあるからそうなのではないかと考えたのでした。
☆
神様の愛に酔う。。。
真のお父様と初期に出会った方たちは、
まさにそのような姿を見せました。
韓国の女性は、自分の感情を率直に表現し、
また、よく踊りを踊ったりするな。。
そんなことを思っていたのですが、
昔は踊ること、歌うことができなかったというのは、
少し驚きです。
真の父母様は神様の愛に酔っておられるお方です。
ですから、その神様を万民に知ってもらいたい・・
そのような思いをもって、神様を証しされます。
神氏族メシヤに向かう私たちも
「メシヤ」の称号を与えられているわけですから、
その道を進むことにより、
まさに御父母様が出会った
神様に出会うことができるのだと思います。
前進あるのみですね。。。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
無断転載はお断りいたします。
曲解や悪用ととれる引用も、
差し控えてくださいますよう
よろしくお願いします。
(もちろん、善なる目的で
使用することに関しては
その限りではありません)